25
その日の空は灰色だった。時折吹き付ける冬風に、道行く人の影もまばらだった。
勝機、と睨んだのは王子軍である。万が一、反乱が町まで及んだ場合、町の人たちを無駄な危険に晒さずにすむ、と踏んだ。
国王軍がどこまで攻めてくるか分からないけれど。
手勢は広場に集まった。中心にはスィンがいる。レストも、フーマも、ロッドも。
落ち葉が舞い散る広場には、異様な空気が流れていた。
時は満ちた。
スィンが立ち上がる。
「行くぞ」
王子の声に、怒号が涌いた。
城は王子軍と国王軍とで入り乱れた。
反乱は困窮を極めた。スィンが各地を回って集めた手勢は多い。だが国王軍とて一国の精鋭部隊だ。攻めつ攻められつつを繰り返していた。
「王子! 先に行ってください!」
シェルが叫ぶ。彼がなぎ払った国王軍の兵士がまたひとり、床に倒れた。
玉座はもうそこだ。スィンは一瞬立ち止まりかけた足をまた前に向けた。
「王を……必ずあの悪しき王を討ってください……!」
彼の期待に応える訳ではない。彼だけじゃなく、国民に応えるのだ。必ずこの悪政を終わらせる。
スィンは駆け出した。
*
その頃。
石造りの階段を上り切った。塔の最上部には格子の填められた一室しかなかった。その部屋は暗がりにあって、中をよく見渡せない。
こんなところに閉じ込めていた人物を恨みたい気持ちはあるにはあるが、もう十分に恨んだ。それに、恨みは彼が晴らしてくれるだろう。
レストは鍵束からひとつずつ填めていく。
カチン
小さな音を立てて鍵は開いた。キィっと軋んで扉が開く。
奥に待つその姿は、昔のままどこまでも輝きを失っていなかった。
「遅かったじゃない」
何度、この声を焦がれたか。
「待たせてごめん」
レストは膝を折ると、愛しい妻を強く抱きしめた。
*
謁見の間はしんと静まり返っていた。さっきまでの怒号や、剣と剣のぶつかり合う音が嘘のようだ。
その男はただ立ち尽くしていた。こちらに背を向けて、玉座を見下ろしていた。
「……叔父上」
スィンは静かに声を掛ける。二人だけの謁見の間に、それは予想以上に響いた、
スィンは一歩進んだ。
「ようやくこの日が来ました」
スィンは歩き続ける。大きな窓からは白い光が入り込む。雲は厚みを増していた。
王はまだこちらを見ない。
スィンは玉座の壇の下までたどり着いた。
「覚悟なされよ! 叔父上!」
スィンは柄に手を掛けた。そのときようやく王が振り返った。
「大きくなられましたね」
王は相変わらず笑みを浮かべていた。スィンの記憶のまま、感情の読み取れない笑みだった。スィンはきっと睨み付ける。
「感慨深い訳でもないでしょうに……。どういう状況かお分かりですか」
「あぁ、分かっているとも。まったく、城を滅茶苦茶にして……。仮にも王族ともあろう人間が。天国の兄もさぞやお嘆きのことでしょう」
「その口で父を語るな!」
その声はビリっと間を揺らした。王は笑みを深める。
「本当に成長された」
「まさかただ話をしに来たとお思いではないでしょう? 五年間、この日を待った……。さぁ、剣を抜かれよ!」
スィンはすらっと剣を抜いた。相変わらず王は笑みを浮かべている。王も同じように剣を静かに抜いた。
「この私を倒そうと言いますか。面白い……。どこからでも来なさい」
スィンは床を蹴った。
キンっと刃がぶつかり合う。一瞬力が均衡するが、スィンは身を引いた。狭い玉座の壇上では分が悪い。
王も壇上を降りてくる。
距離を取って睨み合いが続く。互いに剣を構えたまま、しばらく沈黙が流れた。
「はっ!」
先に仕掛けたのはスィンだった。一気に間合いを詰めて王に切り掛かる。王も素早くそれを受けた。
剣同士が重なっては離れ、離れては重なる。スィンは後ろに下がって、体勢を立て直した。
それを見て、王はふっと笑う。
「……何がおかしい」
王もまた、全身から殺気が消えない。同じように剣を構えたままその質問に答えた。
「いえ、さすが親子だなぁ、と……。その剣捌き、兄上にそっくりですよ」
スィンとて王宮にいた頃は王族としての教育を受けていた身だ。剣術も学んだ。父の剣捌きをこっそり見ていたこともある。
稽古こそ付けてくれなかったが、それは強い人だった。
でも、それをこの男に言われるのは絶え難かった。
「あなたは……父をどう思っていたんですか?」
搾り出すように声を吐き出した。半分とはいえ、血を分けた兄弟だ。情すらなかったのだろうか。
「ただこの五年を、国を回るだけに費やした訳じゃない。父上と母上を……。殺したのはあなたではなかったか!」
国を放浪して数年。先王の従者だったシェルは様々なことを教えてくれた。
今の王都の情勢。官僚の堕落。そして両親の死の真相。
真実はときに残酷だ。今の王が先王夫妻に毒を仕込んでいたなど、誰が想像できただろか。
「はっ……、ははははは! 大方あの人の従者にでも吹き込まれましたか! いましたよねぇ、兄にくっついている男が! けれど今さらそんなことを言ってどこに証拠があります? あなたの存在が心労になったのは間違いないでしょう!」
王は心の底からおかしそうに笑っていた。ここにきて感情の読めないあの笑みが崩れたが、そこに満ちているのは狂気だった。
スィンは鋭い瞳でそれを見ていた。
「確かにここに証拠はない……。だが五年掛けて僕が行き着いた答えがこれだ。それに……これ以上、“神の申し子”を使って国を滅ぼさせる訳にはいかない!」
スィンは王に向かって走り出した。
「兄の亡霊にでもとり憑かれましたか……。来なさい! さっきまではとは違いますよ!」
王の表情が変わった。もういつものような感情の読めない笑みは浮かべていない。
スィンの額を、ひとすじの汗が流れた。