24
二人はノルシェを目指していた。
「シェルさんはいつから王宮に仕えてたんです?」
その道中、スィンがふいに口にした。
二人の服装は、ウェルズにいたときより厚いものになっていた。
「なんです、藪から棒に」
「だって一緒に城にいたはずなのに、僕は全然あなたのことを知らないんですもん。影武者だったとはいえ。僕のことは知ってたんでしょう? 不公平じゃないですか」
「不公平って……」
シェルは遠い日に思いを馳せた。
*
その場だけ、時が止まっていた。
長身の男は短剣を首に付き付けていた。
肩に王紋を付けた男はナイフでそれを止めていた。
「さすが『ワルセングの瞬神』と呼ばれた人間だなァ」
短剣を持った男が言う。
「もうただの老いぼれですよ」
ナイフを持った男がふっと笑った。
一瞬、沈黙が落ちる。
そこで均衡は崩された。
ナイフを持った男が素早く足技を掛けて、短剣を持った男を床に倒した。形勢逆転、首筋にナイフを付き付ける。
「さて、どこの誰に頼まれて来ましたか。と言っても答える訳ないですよねぇ」
倒された男は小さく舌打ちをした。
「命を狙われるのももう慣れっこですが、君みたいに若い子は初めてですよ。世も末ですねぇ」
その言葉に男はギリっと表情を歪ませた。
「誰が……」
男は小さく呻く。
「誰がこんな世の中にしたって言うんだ! お前がこの国を守んねぇから俺みたいなのが生まれんだろ!」
ナイフを持つ男の肩に入った紋章。それはこの国の王族だけが付けられることを許された紋章だった。左肩に入れられたそれは、この国の王であることを意味していた。
「……民には辛い思いをさせたと思います」
ここ数年、悪天候による不作や、隣国との小さな小競り合いが続いていた。その影響をいちばんに受けるのは小さな町からだ。町は荒れ、口減らしもあっただろう。
王は瞬時にそれを察した。
「分かってんならなぜ俺たちを救ってくれない!? 民がどれだけ苦しい思いをしているか……! てめぇそれでも王か!?」
王はナイフを下ろした。複雑な表情で男を見つめる。
「民に辛い思いをさせたのは、私の力不足です」
男は身を起こした。それでも王はもうナイフを構えたりしなかった。
「私を恨んでいる民も多いでしょう」
今、目の前にいる男もそのひとりだった。
貧しい家に生まれ、幼い頃に捨てられ、貧困街で盗みを働いて生きてきた。金になるからと強盗まがいのこともやった。そうしないと生きてこれなかった。
時代を恨むしかなかったのだろうか。矛先は救ってくれなかった王へと向かった。なにもしてくれなかったと憎むことしかできなかった。
「それでも私はこの国の王なのです。今、民を見放すことなどできない……。最後まで、足掻いて、醜くても、この国の民を守る義務がある」
その言葉はビリっと男に響いた。
「そんなん……口だけじゃねぇのかよ……」
「戦に関しては先日、隣国との間に和平調停を結びました。ノルシェには国境線があるからしばらくはごたつくかもしれませんが、当面は大丈夫なはずです。飢饉に関しては各地の神殿に参ってきました。今は“神の申し子”が全員揃ってはいませんが、四神の力を信じるしかありません」
王とてなにも考えていない訳ではなかった。一国の主として、できうる限りのことをやっていたのだ。
それを恨んで、憎んで、回りのせいにしていた自分。
男は急に自分が恥ずかしくなった。
もっとも、男の環境は不可抗力だったのだが、今のこの男は気付かない。
王は見定めるように男を見やる。
「君、私の護衛をしませんか?」
「は!?」
男は素っ頓狂な声を上げた。王はにこにこと笑っている。
「どこの世に暗殺しに来たヤツを護衛にしようっていうバカもんがいんだよ……」
「君の目の前じゃないですか」
王はくすくすと笑った。
「いいじゃないですか。この私と互角に手を合わせたくらいだ。君は強い。理由はそれだけで十分ですよ」
男は納得のいかないような顔で、ぶすっとしていた。
「この国の民なら全て、私が愛し守る存在です」
王は瞳を閉じる。
一国の王として、その背中に圧し掛かるものは途方もなく重いのだろう。ましてやワルセングという大国だ。ひとつにまとめるのは並大抵のことではない。
それでも王は、この国を守ると言った。
男は王の器を見た気がした。
「君、名前は?」
「……シェル」
王はシェルに手を差し出した。
「よろしく頼みますよ、シェル」
シェルはその手を取った。
*
「たまに、自分が護衛をやってていいのか迷うときがあるんですよ」
「なぜ?」
シェルの瞳は遠くを映していた。その先はきっとスィンの知る由もないのだろう。
「先王との出会いは褒められたものではなかった……。当時は周囲にいろいろと言われたものです。だけど、陛下だけは私を放り出さないでくれたんです。……あの方は、民の全てを愛してくださっていたのですよ」
そう言うとシェルはスィンを見て微笑んだ。その視線に込められた意味を、スィンは知らない。
スィンが育つ姿を、シェルも影から見守っていた。きっとスィンは親の愛情というものを知らずに育った。王という立場上、普通の家庭に見られるような愛情は注げなかったのだろう。シェルも同じだった。
今、ようやく隣に立つことができて、その目が親心に満ちたものになるのは当然の話だろう。
「えぇ、父の背はいつだって大きく見えました」
夕日を背景にスィンは呟いた。
もうすぐ日が落ちる。そろそろ宿を取らねばならないだろう。
その姿は、以前より大きく見えた。
「あなたも、きっと……」
風が吹いた。その言葉は多分、スィンには届かなかった。
「寒くなってきました……。もうすぐノルシェですね」
言葉の続きを考えるのはやめた。国を背負うのならば、どちらにせよ茨の道だ。道を平坦にするのが自分の仕事だろう。
そう思い直して、シェルはいずれ王になるであろう男の背を追った。
三年振りに訪れたノルシェの町は、変わっていなかった。“火の申し子”がいなくなっていることを除いては。
「“火の申し子”様がいらっしゃらなくとも守るのがこの砦です。ここはワルセングの国境線ですから」
ノルシェの神官長は、まっすぐな視線でそう言った。その瞳は強いものだった。
スィンのことは覚えていないようだった。三年で随分背も伸びた。もう城を追放されて、寒さに震えていた子どもではない。
「神官長様にお話したいことがあります」
シェルが声を潜めて言った。『ノルシェの轟炎』の間には三人の他には人影はない。だがどこで誰が聞いているのか分からないのだ。スィンもシェルも大っぴらにはできない身分だ。
「“火の申し子”を、取り戻したくはありませんか」
神官長の眉がぴくりと動いた。それを見逃さず、シェルは続ける。
「今の国王は各地の“神の申し子”を集めて国を強くしようと言っています。だがそれは表向きの話。国王は四神の力を集めて戦争を起こそうとしているのです。そして……隣国を乗っ取る気なのです……!」
神官長は落ち着いていた。さすがは国境線を守る町の人間だ。
「……あなた方は、何者なんですか」
沈黙の後、神官長はようやく口を開いた。
スィンはちらりとシェルを見た。シェルはこくりと頷く。
「僕は、先王が子、第一王子・ワルセンスィングです」
王都を出てから初めてこの名を名乗った。実に三年ぶりのことだった。
神官長の目が見開かれる。そしてはっとしたように膝を付いた。
「これはご無礼をいたしました……! 王子とはいざ知らず……」
「いいんです。お察しのとおり今はこういった身分です」
スィンは両腕を広げた。シェルは肩を竦める。神官長は顔を上げた。
「多くの味方が必要です。協力していただけますか」
スィンは神官長をまっすぐ見つめた。その瞳の中には三年前の小さな少年のものはない。王の目だった。
「……けてください……」
小さな呟きが部屋に落ちた。
「助けてください……! “火の申し子”様は半ば連行されていきました……。国王陛下は言葉巧みに逃げ道を奪っていったのです」
神官長は唇を噛んだ。パチパチと『ノルシェの轟炎』が燃える音がする。
「どうしようもない状況でした。〝火の申し子〟様がノルシェを頼むと仰った以上、我々はこの地を守るしかありません。どうか、どうかあのお方をお救いください……!」
あの男の会話術はスィンも味わった。ゆるゆると真綿で締め付けるように、逃げ場を奪っていくのだ。
スィンはぎりっと歯を噛んだ。
「もちろんです。王を討ち、“神の申し子”を解放するのが私たちの目的ですから。ただ、それにはあなた方の協力が必要です」
神官長は頷いた。
「最大限の協力はいたしましょう。ですが……ここは北の国境線。隣国への備えは外せないものですから、どこまでお力になれるか……」
「分かっております。ノルシェはワルセングの防衛線。それを崩してはなりません。できうる限りでお願いします」
そうしてスィンたちは味方を集めていった。
国を一回りしたときには、更に二年が経っていた。国王の目を逃れながら行く道中は厳しく、困難を極めた。それでも徐々に味方を増やしていった。
そして王都に戻ったとき、心の支えになっていた少女と再会することになる。