18
さすがにしばらくは町を出歩くのが怖かった。市場まではすぐそこだけど、私はできるだけ大通りを選んで歩くようにしていた。
もしかしたら、まだ近くにスィンはいるのかもしれない。でもスィンだってあまり大仰に出歩けない身だ。自分の身は自分で守らなければ。
例大祭が終わって、秋も深まってきた。北のノルシェほど寒くならないとはいえ、南国サウリアで育った私にとって、王都の寒ささえも厳しいものだった。
「ガンさん、おはようございます」
「おはようリッカちゃん……ってすごい格好だね」
ガンさんは苦笑する。それもそうだろう。私は着込みに着込んでもこもこに着膨れしていた。
「寒いです……」
太ももまでのコートに手袋はもちろんのこと、帽子にマフラー、ブーツ、と完全防備だった。
サウリアはこんなに寒くなることはなかった。というか常夏の町がサウリアだ。王都でさえこんななんだから、北のノルシェとかどうなってしまうんだろう……?
ガンさんは笑いながら裏から何かを取り出した。
「リッカちゃん、サウリア育ちだからなぁ。この寒さは堪えるだろう。どれ、これをあげよう」
差し出してきたそれは暖かな湯気を上げているカップだった。私はお礼を言って受け取る。
「これは……?」
ほのかに甘い香りがした。指先がじわりと暖かくなる。
「生姜湯だよ。ハチミツがたっぷり入ってる。暖まるから飲んでみなさい」
私は何度か息を吹きかけて、そっと口を付けた。生姜とハチミツの香りが口いっぱいに広がる。
「おいしい……」
「だろ? うちのかみさん特製だ。ワルセンの冬には欠かせないものだよ。いっぱい取れたから持って帰りなさい」
そう言ってガンさんは、生姜を袋に詰めてくれた。
*
店仕舞いを終えて、帰路につく。夕闇が迫る町は、私と同じように家へと向かう人たちばかりだった。
もしスィンが行動を起こしたら、この風景はどうなるんだろうか。平和な街に立ち込めるのは希望が暗雲か。どっちにしても思い浮かぶのはスィンの傷付く姿だった。
大事な人の傷付く姿は見たくない。
そんなことをぼんやり考えていたときだった。
ドン!
私は前から歩いてくる人物に気付いていなかった。あっと思ったときには尻餅を付いていた。
ガンさんにもらった生姜が辺りに散らばる。
「いったぁ……」
「悪い! 前を見てなかった!」
ずいっと目の前に手が差し出される。私はありがたくその手を取って、視線を上げてその顔を見た。
「……ドール?」
整った顔立ちと流れる銀の髪。
しかしその髪は短かった。
同じ頃。レストの家には来客があった。
「なんか心配だなー。俺も付いてけば良かったなー。王都の人だかりなんて初めてだろうから心配だなー」
「そう言うなら最初から一緒に行けば良かったじゃないか」
レストは椅子に座って足をプラプラさせてそう言う人に、お茶のカップを差し出してあげた。
「まぁなんていうか? 社会勉強?」
「めんどくさかっただけだろ……」
呆れながら言うレストをドールは見守っていた。
と、ドアが勢いよく開かれる。
「あ、リッカおかえりー」
「レスト! ドールがおかしくなっちゃいました!」
そう言ってリッカが手を掴んでいたのは。
「ロッド?」
ドールと対で作られた造詣人形だった。
*
リビングのテーブルに五人は座った。エルはソファの方で遊んでいる。
「紹介するね。イルトで造詣人形師をやってるフーマ。幼馴染なんだ」
「どーも、フーマです。レストとは同じ師についてたんだ」
フーマは人のいい笑みを浮かべてそう言った。
「それから造詣人形のロッド。ロッドとドールは僕らが初めて作った人形なんだよ」
「さっきは悪かったな。ケガはないか?」
「大丈夫です! 生姜も拾ってもらったのにちゃんとお礼言えてなくてすみません」
ロッドがすまなそうに言ってくるから、私は慌てて答えた。
「ロッド、リッカちゃんに何したのー?」
「ぶつかっただけだよ! ちゃんと前見てなくて……」
「いやっ、私もぼんやりしてましし!」
また二人の責任の取り合いが始まる。それを見てフーマはため息を吐いた。
「大方ロッドがきょろきょろよそ見してたんでしょ」
主人に言われてロッドはぐっと言葉に詰まる。
「だって……珍しいモンいっぱいで……」
ロッドの顔は叱られた子犬のようだ。
「ふふっ。私も王都に来たての頃はそうでした。面白いものがいっぱいありますよね」
味方を得てロッドの顔はぱっと明るくなった。
「そうなんだよ! すごいよなぁ、さすが王都! なんっかキラキラしたモンで溢れててさぁ……」
そう言う彼はまるで子どものようだった。ドールと対で作られたということだから、年齢的には同じはずである。造詣人形に年齢という概念はないのだが。
「ロッド、遊びに来たんじゃないんだよ」
静かな声でフーマは言う。主人に諌められてロッドはぐっと言葉に詰まった。
「分かってるって……」
「まぁまぁ。それよりいっぱい生姜もらってきたんだねぇ」
「はい。店主が暖まるからって。でもどう調理しましょう?」
「サウリアにはないんだっけ? そうだなぁ、僕はジンジャークッキーが好きだけど」
そう話しながら二人はキッチンへ向かった。
残されたフーマとロッドはそれを眺める。
「……どうよ?」
ロッドは頬杖を付いて視線を隣に向けずに言った。
「いやー、一口に“神の申し子”と言っても様々だね。サウリアは深い信仰がないんだっけ? 一見したら普通の子だ」
「ミスカ様はこっそり町に下りてもすぐばれてたからね」
「あの人は別格でしょ」
そう言ってフーマは笑う。
「フーマさん。何か苦手な食べ物とかありませんか?」
キッチンから顔を覗かせてリッカが言った。
「ないよ! 何でも食べるよ」
フーマは笑顔で答えた。それを見てリッカも笑顔を浮かべる。そしてまたキッチンに引っ込んだ。
「何にせよ、いい子そうなのはレストの言うとおりだ」
穏やかな顔でキッチンの目を向ける二人を、ドールは黙って見ていた。