16
王位継承式から三ヶ月。新国王がイルトを訪問することになった。迎えるは地の神殿だ。
「レスト、ここはもういいから人形の準備に戻れ」
大広間は客人を迎える準備で大わらわだ。レストも例外でなく、手伝いに追われていた。
「そう? じゃあ工房行ってくるね」
フーマの工房でこのための造詣人形が作られている。
レストは妻の顔を見やった。いつもの覇気はあるにはあるが、若干疲れが見えた。いつか感じた政治と宗教の問題が目の前にあるのだ。心配せずにはいられない。
「……大丈夫?」
その視線を受けてミスカはふっと笑う。
「まぁ、仕方がないさ」
気丈に振舞うミスカを見て、レストは痛ましげな顔をするしかできなかった。
「あと三日だから無理しないようにね」
「善処する」
そして三日後。
訪れた国王一向は実に少ないものだった。王を含めて八人だ。
「ようこそお越しくださいました、国王陛下。思ったより少ないお付きの方々で驚きました」
ミスカはよそ行き用の笑顔を浮かべてそう言った。
「あまり多くで来てもお邪魔になるかと思いましてね。重臣のみで参りました」
王は王で笑顔を浮かべているが、どこか本心が読めない笑顔だった。
会話こそ和やかだが、漂う空気にレストは気圧された。ミスカはこんな世界で生きてきたんだよなぁ、と改めて思う。
滞在は三日間の予定だった。さしたる問題が起こることもなく、順調に二日が過ぎた。
晩餐も終わり、全てのものが眠りにつく夜。
「国王?」
国王を送る準備の最終確認をしようと庭園を走る廊下を通ったとき、ミスカはそこにいるはずのない人物を見た。庭園にいたのは国王その人だった。
「こんな時間に何をされているんです? そこは冷えるでしょう?」
問いつつもミスカの心中には疑念が涌き上がっていた。
どう考えてもこんな夜更けに、王ともあろうお方が一人でいるなんておかしい。ミスカは庭園に踏み出した。
「何か、ございましたか?」
国王はその場を動くことなく、この季節に咲き誇る薄紅の花を眺めていた。
「考えていたことがあります」
そっとその手が花に触れた。ミスカは徐々に距離を縮めていく。
「四神の力はこの国に四散していますね」
ほぼひし形の地形を持つこの国は、中央を王都に東西南北それぞれに四神が祀られている。
そうあるべきことが当然で、互いに干渉することなく今まで来た。
「私はですね、考えるんですよ。“神の申し子”たちの力を集結させたら? 各々は小さな力でも一ヶ所に集めたら強大なものになる。なにせ神の力なのだから」
ミスカは王の前まで迫っていた。その距離でも王はこちらを見ることはない。
「王……何をお考えか」
そこでようやく王は振り返る。その表情にミスカはひやりとしたものを感じた。それは外気のせいばかりではないだろう。王の瞳の奥はどこまでも暗かった。
「あなたには、王宮に来ていただきたい」
ざっ、と風が庭園に吹き抜けた。土埃が舞う。
「断る」
即答だった。ミスカは王を睨みつけた。
それを聞いても王は冷たい笑みを浮かべたままだ。ミスカは続ける。
「地神はこの地におわす。それを遠い王宮にいて力を振るえとは、いくら王とて冗談が過ぎますぞ」
イルトの女性の強い視線に晒されてもなお、王の表情は崩れなかった。そうでなければ王権争いに勝つことなどできなかったであろう。
「我々が、少数で参った意味をお分かりですか?」
ミスカは眉を寄せた。
「私の部下は優秀でしてね。そうですね……。この神殿程度なら一夜で制圧できるでしょうね」
それはミスカも気になっていたところだった。
就任間もないとはいえ、一国の王ともあろう人にしては護衛が少なすぎる。加えて彼らからは何か只ならぬものを感じていた。
鵜呑みにする訳ではないが、“地の申し子”としての勘は外れていなかったようだ。
はっとする。
ミスカの後ろにはいつの間にか王の護衛の一人が立っていた。ミスカの首筋にナイフを当てがっている。この気配に全く気が付かなかった。
「これ、止めなさい。まだ命令はしていませんよ」
護衛はすっとナイフを降ろすと、静かに闇に消えた。
不覚だった。幼い頃からいざというときのために護身術を学び、殺気に晒されることも一度や二度ではなかった。だが手も足も出すことができなかった。
王はまだ感情の読めない笑みを浮かべている。
「断っても別に構わないんですよ? イルトの民を巻き込んでもいいというなら」
「民を人質に取るか……!?」
その尊大な顔は月明かりに照らされる。しばし睨み合いが続いた。
月に雲が掛かり始めた頃、ミスカは呟いた。
「……肯定すれば民には手を出さぬのだな」
「あぁ。それだけは約束します」
「ならば……参ろう」
“地の申し子”は王に背を向けた。
「すぐにとは言わぬだろう? しばし準備の時間をいただく」
「えぇ勿論。明日は予定通り私たちだけで王都に戻りますよ」
ミスカはそれに返事をせずに立ち去る。それを王は楽しそうにただ見ていた
「城へいらっしゃる日を楽しみにしております」
またひとつ土埃が舞った。風が吹いたのが先だったか、土埃が舞ったのが先だったか。
答えを知るのは“地の申し子”ばかりだった。
部屋に戻り、ベッドに並んで腰掛けた。そして人形師の夫に掻い摘んで話をした。
案の定、言葉をなくしてしまっている。
「レスト、この町を頼むよ」
「ミスカ……! 駄目だ!」
たまらずレストはミスカの手を掴んだ。その顔は今にも泣き出しそうになっている。ミスカは困ったように眉尻を下げた。
「参ったな。君に言われると揺らぎそうになってしまう」
手はレストに掴まれたまま、下げている。強く握られた手は離れそうにもない。
ミスカは彼の胸に額を押し付けた。
「時期を、待って」
彼女はぽつりと呟いた。それはともすれば消え入りそうな声で、彼女もまた不安でないはずがないのだということが伺えた。レストは思わずその体を抱き締めた。
「どうして……どうして君ばかりが辛い思いをしなきゃならない」
ミスカがレストに弱いところを見せたのは一度きりだ。でもそれだけですべてを分かってくれた。
それがミスカを“地の申し子”としてあらせてくれた。
「“神の申し子”として生まれた者の宿命なんだよ」
散々人の汚いところを見た。反神論者に殺されかけたこともあった。
でも、それでも生きていこうと思ったのは、この人がいたからだった。
この人が生きる町を守れるのなら。
「あなたさえ守れるなら、この身を捧げるくらい安いもんだって思っちゃったんだよ。……地神様に見放されるかもしれない」
ミスカは顔を上げずにそう吐く。ふっと笑った顔は、たぶん気付かれていない。
レストはミスカを抱き締める腕の力を強くした。
「それなら僕が地神様を殴ってやる」
ミスカはレストの腕の中で小さく笑った。
「ふふっ、滅多なことを言うもんじゃないよ。この宝玉が青いうちは足掻いてやるさ」
ミスカの額の青い宝玉に、光が反射する。
二人は抱き締めあったまま、静かな時間が流れた。月だけが二人を見ている。
「あとを頼むよ」
そうして“地の申し子”は、囚われの身となったのだった。
*
「レスト?」
懐かしい声に現実に引き戻された。
「こんなとこで何をしてるんだ」
神殿の庭園を望む廊下に、レストはぼんやり立っていた。あの晩もこんな感じだったのだろうか。薄紅の花が今年も美しく咲き誇っていた。
「フーマ」
「風邪ひくぞ?」
幼馴染の忠告を受けて、レストはフーマと並んで部屋へと歩き出した。
イルトに戻って二日。ようやく二人で話す時間が取れた。
「こちらの状況は?」
「昼間の会議で話した以上のことはねぇよ。そうだな……。師匠が今ノルシェにいるんだが、あちらも厳しいらしい。国境線があるからおいそれと兵力を裂けないそうだ」
「そうか」
沈黙が落ちる。
「そういやドールは相変わらずだな」
ふいにフーマは話題を変えた。レストはちらりと横目で幼馴染を見る。
「ねぇ? 造詣人形の性とはいえ、僕とミスカ以外には懐かないんだから」
レストはくすくす笑う。フーマはぶすっとした表情を浮かべた。
「日常生活に支障が出る」
「まぁそんなことは言ってもさ、リッカと出会って変わってきてるみたいだよ」
「例の“水の申し子”か」
レストは頷いた。
「同年代の友達はいなかったしね。他の“神の申し子”と出会ったこともいい刺激になったらしい」
「……いい傾向じゃないか?」
「君のとこの子を見習ってほしいよねぇ」
「あいつはおちゃらけすぎだ」
相変わらず仏頂面のフーマにレストはくすくす笑う。もうひとりの造詣人形は、ドールとは正反対だ。
「……それにしてももう神殿のやつらも限界だ。囚われてもう五年だぞ」
レストは前を見据えて廊下を進む。その顔はもう笑ってはいない。
「時期が来た」
フーマはちらりと隣を見やる。その表情は硬い。無理もないだろう。
「あの話は本当なんだな?」
問われてフーマは頷く。その話を聞いたから、この地に戻ってきた。
「この目で紋章も確認した」
最初に対面したときは俄かに信じがたかった。本人はその場に不在で、従者だという男が神殿に現れただけだったから。その従者は確かにその証を持っていた。
「先王の子……。王子がこちらの手勢に加わった。これは強い味方だぞ。……今こそ攻め入るときだ」
暗がりの中、二人の男の目が爛々と光っていた。