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 彼は長い廊下を走っていた。この季節、廊下から見渡せる庭園には美しい花々が咲き誇っていたが、彼は見向きもしない。

「レスト様! 神殿内は走らないでください!」

 神官の忠告も今は無視した。遥か後ろで怒る声が聞こえるが、今はそれどころではない。

 早く、早く。

「ミスカ!」

 飛び込んだ部屋の中には、数人の付き人に囲まれて寝台に横たわるミスカがいた。ミスカは静かに顔を上げる。

「レスト、遅かったじゃないか」

「ミスカ……無事なのか……?」

 ミスカは微笑んで身じろぎする。

「見ろ、男の子だぞ」

 ミスカの腕の中には生まれたばかりの赤子が抱かれていた。その目元はどことなくレストに似ている。鼻筋はミスカだろう。

「僕の、子?」

「それ以外に誰がいる。私と君の子だ」

 ミスカは少し怒ったように答えた。それを聞いてレストは震えた。

「やったー!」

 腕を突き上げて叫ぶレストの目には、涙が零れていた。

 突然叫んだものだから、周りの人たちは呆気に取られてしまった。ミスカに至っては目をぱちくりさせている。落ち着いているのはドールだけだ。

「レスト、みんなが吃驚している」

 銀の髪の少女は淡々と告げた。その姿は三年前、祭典で舞を披露したときから変わっていない。レストもミスカも、三年分歳を取っていた。そこが造詣人形たる所以だ。

「あぁ、落ち着かなきゃね! でも嬉しくて……」

「レストもこの日を楽しみにしてたこと、知ってる。大丈夫」

 レストはそんなドールに微笑んだ。

「ドールは相変わらずだなぁ」

「だから傍に置いてるんだ」

 ミスカは誇らしげに呟いた。

 あの祭典からこっち、ドールは神殿で暮らしていた。ミスカが傍にと望んだのだ。断る理由もなかった。

それからドールは神殿に、ロッドは工房にいる。

 ロッドはフーマの助手として働いている。気さくで明るいロッドは看板娘ならぬ看板息子になっていた。師匠は。

 師匠は旅に出てしまった。レストとミスカが婚礼の儀を挙げるのと前後して、

『ちょっと世界を見てくる』

と言って出て行ってしまった。レストが神殿付きの人形師になってしまったから、工房はフーマが取り仕切っていた。

「名前はどうしようねぇ」

 生まれたばかりの赤子を抱いて、レストの顔は終始にやけっぱなしだ。ミスカはそんなレストを呆れつつ見ながらも、悪くないと思っていた。

「ドール、君が決めてくれないか?」

 突然話を振られたドールは驚いた顔をした。いや、表情こそ変わらなかったものの、ずっと一緒に過ごしてきたレストとミスカにはそれが分かった。

「私、で、いいんですか……?」

 戸惑っている様子のドールにミスカは優しく答える。

「レストと決めてたんだ。私たちの大事な子どもだから、大事なドールに決めてもらいたい」

 レストは頷いた。ドールは泣きそうな顔をする。造詣人形に涙はないのだけれど。

「では……“エル”はどうでしょうか?」

「“獅子”か」

 それはイルトの古い言葉で、獅子を意味するものだった。

「いい名だな。強くあってほしい」

 ミスカは我が子のまだまばらに生える髪の毛を撫でた。

「ありがとう、ドール」

「別に……」

 ふいっと横に目を逸らす様子は照れている証拠だ。ミスカもレストも笑っていた。


   *


 エルはすくすくと育った。

 “地の申し子”の子と言っても、その力を受け継ぐ訳ではない。一時代に一人、“神の申し子”がいる方が珍しいのだ。“地の申し子”がいなくても神殿は成り立っていたが、やはりいるのといないのとでは違う。ミスカの存在は人々の希望と言っても過言ではなかった。

 エルにはその力はないけれど、父の造詣人形の技術に興味を持った。

「エル様、次は算学の時間ですよ」

 エルは頬を膨らませる。

「分かってるけど……。フーマの工房に行きたいよー」

「街での課外授業は三日前に行ったばかりでしょう?」

「だってー……」

 八歳。やんちゃな盛りだ。エルはいつも神殿の教育係を困らせていた。

「ミスカ様がエル様くらいの年頃には、もうこの本は終わらせていましたよ?」

 エルは唇を尖らせた。

「そりゃあ母様は“地の申し子”じゃないかぁ。いくらその子どもと言っても僕はただの人間だよー」

 エルは頬杖をついた。事ある毎に比べられるのはもう慣れっこだった。でも落ち込むものは落ち込む。

 そんなエルを見て、教育係は柔らかく微笑んだ。

「エル様が十分努力しておられるのは知っておりますよ。そして優秀なのも。そうへこまないでください」

 それでもエルは恨みがましい目で見た。

「へこませたのは誰なのさー?」

「ははっ。私ですね。申し訳ございません。さ、続きをやりましょうか」

 こうしたやり取りをするのもいつものことだ。エルは苦笑いをひとつして、机に向かった。

 そんな穏やかな日々が続いていた。


   *


「王位継承?」

 夕食の席でミスカは切り出した。

「あぁ。先の王は長らく病に臥せっていたからな。喪が明けたから継承式があるらしい」

 ミスカはフォークで上を指しながら言った。公的な会食の場にはあるまじき行為だが、今は家族だけだからいいだろう。エルの教育に良くないとレストは思ったが。

「確か、先の王にはご子息が一人いたよね?」

「その王子だがまだ十二に満たないらしい。先王の弟君がそれまでは王となるそうだ」

 ミスカはそのまま食事を続けた。レストは深刻そうな顔でミスカを見る。

「それは……一波乱ありそうだね……」

「どういうことです? 父様」

 レストは困った顔で笑ってエルを見た。

「なんていうかね。権力っていうのは争いの元になりやすいんだよ」

 両親の顔を交互に見ると、エルの顔は泣き出しそうになった。

「母様、も……?」

 その言葉に二人は面食らう。顔を見合わせてくすっと笑った。

「お母さんはね、そういうのとはちょっと違うんだ。“神の申し子”というのは代わりがいないものだから」

 エルはいまいち要領を得ていないようだ。

「……母様は心配しなくてもいいってことですか?」

「あぁ」

 それを聞いてエルようやくほっとした顔をした。しかしレストの顔つきは険しくなる。

「無事に済めばいいけど……」

 しかしその言葉は杞憂に終わらなかった。

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