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ワルセング ~水晶の姫君~  作者: 安芸咲良


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 それから、季節はどんどん移り変わっていった。師匠の元で修行を積むレストとフーマ。たまに神殿に赴く生活は相変わらずで。

 “地の申し子”の成人の儀が間近に迫っていた。


「またあなたはそんなとこで……」

 神殿の最上階、屋根の上でミスカは街を見下ろしていた。ふくらはぎまである衣服とはいえ、あぐらをかいて座る姿はとても年頃の娘にあるまじきものだった。

「ここが得等席なんだよ」

 頭上の窓から覗き込んで小言を言ってくるレストを仰ぎ見て言うと、ミスカはまた街へと視線を戻した。その視線をなぞるようにレストもまた、街を見下ろした。

「美しい街ですよね」

 ふいにレストが呟く。

「……この街の人々が、私に祈りを捧げているんだよな……」

 いつになくか細く言葉を吐き出すミスカを、レストは見下ろした。まっすぐ街に目を向けるミスカだから、頭しか見えない。でも明らかにいつもの溌剌とした姿とは違った。

「ミスカ様……?」

「なぁレスト。君は人形を作るとき、怖くなたりしないかい?」

 ミスカの視線は相変わらずこちらに向かない。レストは仕方なく街の方を見ながら答えた。

「最初は怖かったですよ。新たな命を吹き込むんですもん」

 生き物とは違う、でもよく似た造詣人形。もし失敗したら。もしうまく動かなかったら。

 造詣ガラスを目に入れるときに手が震えることもあった。

「だから想いを込めるんです。『この人形の主が、この子を大切にしてくれますように。愛される人形になりますように』って」

 そこでミスカはレストを仰ぎ見た。その目は大きく見開かれている。

「エゴですけどね」

 そう言ってレストは苦笑いした。

 ミスカが何に悩んでいるのかは分からない。だけど聞いてきたことには自分でしっかり考えて出した答えを伝えるんだ。的外れではないことを祈る。

「……私、も……怖いよ……」

 視線を自分の膝に落としたミスカはぽつりと呟いた。

 “地の申し子”に目に見える力はない。存在そのものがイルトの土を良質にし、宝石の原石を増やすだけだ。少々土埃を上げさせることはできるが、大地を操れる訳ではない。

 それがミスカの重石だった。

「この国の人たちみんなが私に祈っている……? なんでそんな風に祈れるんだ? こんなちっぽけな小娘に……。私の力なんてそんな大層なものじゃないんだよ?」

 そう言った彼女は小さな子どものようだった。膝を抱えて、震えているように見えた。

 だからだったのかもしれない。レストは塀を軽々と乗り越えて屋根に降りると、ミスカの肩を掴んでいた。

「イルトの民のほとんどは」

 彼女は顔を上げた。レストにはその目が潤んでいるようにも見えたが、構わす続けた。今、それを指摘してはいけない気がした。

「“地の申し子”の姿を見たことがありません」

 ミスカの瞳はどこまでも透き通っていた。無垢に見えるその目は、きっと濁りがない訳じゃない。神殿という場にいて人々の思惑に晒されていないはずがないだろう。政治と宗教の関係は複雑だと、一人形師のレストにも想像が付く。

 でも伝えなければならない。

「僕だってそうでした。でも今は……。今は、こうやって触れられる距離にいます。ちゃんといます。ミスカ様はここに」

 拙い言葉だな、と自分でも思った。遠い存在じゃない、傍にいるんだということをどうにか伝えたかった。

 ミスカはまっすぐレストの目を見つめている。

「それに、地神様の御力もあるじゃないですか。あなたは地神様の御力を信じてどーんと構えておけばいいんですよ」

 レストは鼻息荒く言った。そんなレストをぽかんとミスカは見つめる。

 選ぶ言葉を間違えたか、とレストが焦り始めた頃。

「あっ……ははははは! 本当に、君は……!」

 今度はレストがぽかんとする番だった。この人がここまで大笑いするのは珍しい。というか初めて見た。

 どうしたものかとレストが思っていると。

「ありがとう。私はきっと、誰かに『私はちゃんとここにいるよ』って言ってもらいたかったんだ。じゃないと、『私』が消えてしまいそうで……」

 ミスカの目に浮かんだ涙は笑いすぎたせいか、はたまた違う理由か。指先でそれを拭って彼女は続ける。

「でも本当は、他でもない君に言ってもらいたかったんだ」

 ミスカはレストに向き直って言う。

「ずっと思ってたんだ」

 その真剣な表情にレストも姿勢を正す。夕日が彼女の額のエメラルドを照らした。綺麗だな、と思った。

「私の伴侶になってくれないか? 君が……レストが成人の儀を迎えたら」

 風が二人の間を吹き抜けた。微かに街の喧騒が聞こえる。

 レストは自分の目を覆った。そして長々とため息を吐いた。

「ミスカ様……ずるいです……」

「なにがだ?」

 ミスカは怒ったように言う。婚約も申し込んでずるいとは何事だ。

「僕だって男です。男らしく僕から言いたかった」

 なんだそんなこと、とミスカは笑う。

「先に言わない君が悪い」

 確かにそうだが……。レストはまたため息を吐く。

「僕で良ければ」

 レストはミスカの手を取った。

「生涯、あなたの傍にいると誓います」

 そしてその手に口付けた。


   *


「ミスカ様……せっかくのドレスが乱れますわ」

「分かっておる……。だがレストはまだか!」

 ミスカは綺麗に結い上げた焦げ茶の髪を振り乱さんばかりに叫んだ。付き人は肩を竦める。

「じきに参ると」

「私ばかり焦らせおって……」

 その時、廊下の先に一団が見えた。先頭を歩くはレストだ。

「ミスカ、お待たせ」

「遅い!」

 その剣幕にレストは一瞬怯む。

「ま、まだ時間はあるだろ?」

「一人で待ってた私の身にもなれ……」

 美しい白のドレスに身を包んだミスカは俯いた。そんなミスカを見てレストはくすっと笑う。いつもの無造作な髪型とは違い、綺麗にまとめていた。服もイルトの伝統に則った黒の正装だ。

「何か言うことはないのか」

 きっと見上げる彼女に思わず笑ってしまった。

「綺麗だよ。僕のお嫁様」

かぁっと赤く染まる顔に、珍しいものを見た、とレストは自然と笑みがこぼれた。それを見てミスカはまた怒った顔をする。

「こういう時だけなぜ気障なセリフを吐くのだお前は……」

「本音を言っただけだよ?」

「……! もういい! 早く行くぞ!」

「はいはい」

 レストは苦笑しながらミスカの手を取った。

 祭壇の間には多くの人が集まっていた。きっと外にはもっと多くの民衆が集まっているのだろう。なにしろ“地の申し子”の婚礼だ。待ち望んでいた民も多い。

 中央の通路を二人は進む。祭壇の下で待つ司祭の前で足を止めた。

 婚姻の儀が始まった。

「その身が朽ちるまで、互いに愛し合うことを誓いますか?」

 司祭が誓約の祝詞を述べる。

「誓います」

 レストはミスカをそっと見た。

「誓います」

 ミスカもちらりとレストを見て、そして微笑んだ。

「では、誓いのキスを」

 二人が互いに向き直る。レストはそっとベールを上げる。そして静かに肩に手を置いた。二人が見つめ合う。それから、二人の唇が重なった――。

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