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 頬を風が撫ぜていく。荷馬車はガタゴト音を立てながら街道を進んで行く。

 この辺りまでくれば道は整っている。田園風景も大分減ってきていて、家々が増えてきていた。

 生まれて初めて乗った荷馬車にお尻が痛くなっていたけれど、頬を撫でる風は心地良かった。初夏のにおいがする。

 私は御者台を覗き込んだ。

「王都ワグールまではあとどのくらい?」

「もうすぐ着くよ。ほら、見えてきた」

 御者の指差す先にはたくさんの建物が見えた。王都というだけあってかなり大きい。私の村とは比べ物にならないだろう。その中にひときわ高くそびえる城。

 遠目からでも分かる。青空に映える真っ白の城は古くからあるものだけれど、荘厳に見えた。あんな建物、私の村にはなかった。きっとあの中に住まう人々は、それは立派な姿をしているんだろう。

 その城下町。あんな見事な城の下に栄える町だ。いろんな人や、いろんな物が待っているんだと思うと、胸が高鳴った。

 でも私が求めるものはただひとつ。


 あそこにきっと、あの人が待っている。


   *


 私が村を出ようと思ったのは、ひと月前のことだった。あの村で私は“水の申し子”として暮らしていた。

 額に水滴の宝玉を持って生まれてくる子ども。それを私の村では“水の申し子”と呼んでいた。水神に愛され、その子がいると水に不自由しない。水を操る“水の申し子”。

 一時代に一人しかいないと言われ、また“水の申し子”がいない時代もあったという。

 両親は早くに亡くなった。父ははやり病で、母は体の弱い人で私を生むと同時に、だったらしい。私は長老の婆さまと一緒に暮らしていた。

 でも淋しく思ったことはなかった。婆さまこそ厳しかったけど、村の人たちは同情する訳ではなく優しく接してくれた。

 “水の申し子”も昔は信仰の対象にもなっていたらしいが、今では見る影もない。私の力だって少し水を操れるくらいだった。

 時折雨乞いをしたりはするけど、普段はオアシスに立ち、水を求めに来た人たちに水を汲むのが私の仕事だった。

 水の恩恵に感謝し、暖かな人たちに囲まれて、私は幸せに過ごしていた。


 村にあの人が来たのは夏至が近付いた頃だった。太陽が一番高くに昇り、暑い砂漠が更に暑くなるとき。

 村に辿り着いた彼は、息も絶え絶えだった。強い日差しに晒されて、彼はオアシスの傍で倒れていた。

 この時期に砂漠越えとは自殺行為だ。私は慌てて人を呼んだ。

 次の日の朝、ようやく彼は目を覚ました。

「ここは……?」

「あ、気が付きました? ここは婆さま……この村の長老の家ですよ」

 彼はゆっくり起き上がって、辺りを見回した。そして最後に私と目が合った。

 それは鮮やかなまでの青で、私はその空の色に強く惹き付けられてしまった。

 この辺りには濃褐色の目の人が多い。空の青と同じ瞳を見るのは初めてだった。

「ここは……、サウリアの南端の村かい?」

「ええ。あなたよくあの砂漠を越えてこられましたね」

「うん、死んじゃうかと思った」

 彼は苦笑した。笑い事じゃない。私が見つけたから良かったものの。金の髪がさらりと揺れた。

「私、リッカと言います」

「僕はスィン。助けてくれてありがとね」

 そう言ってスィンは微笑んだ。その顔を私はじっと見つめる。この胸に湧き上がる気持ちはなんだろう?

 そこに婆さまが入ってきた。手には薬湯を乗せた盆が握られている。

「おぉ、目覚めたか」

「はい、助けていただきどうもありがとうございました」

 スィンは姿勢を正し、深々と頭を下げた。婆さまは私を見る。

「リッカ、婆はこの人と話があるからちょっと出ておいき。そろそろオアシスに戻った方が良いだろう?」

「……はい」

 婆さまの言うことは絶対だ。私は大人しく部屋から出ていった。

 あの人に、何かあるのだろうか?


 あの人はしばらく村に滞在することになったようだ。二日、大事を取って婆さまの家で休んだあと、村を見て回っていた。村のあちこちを見ては、興味深そうにしていた。

 この辺りには赤毛に濃褐色の瞳の人が多い。私も背中まで伸ばした赤毛を毎朝、二つに編んでいた。

 金の髪に青い瞳のスィンは、それだけで目立つ。でも最初は遠巻きにされていたスィンも、村の人たちと話をしたり、農作業を手伝ったりしていくうちに、だんだんと村人たちとも打ち解けていった。

 スィンはオアシスによく来た。人がいないときは、私たちはよく喋るようになっていた。

「スィンは今までどんなところを旅してきたの?」

 夕暮れ時。そろそろ家に帰ろうかというときに、私はスィンに話しかけた。

「いろんなところを見てきたよ。イルトの陶器は素晴らしかった。あそこはいい土が取れるんだ。その土で人形作りも盛んなんだよ。ノルシェはいつも雪に覆われててね、一面の銀世界ってあいうのを言うんだね。ウェルズはまだ行ったことがないんだけど、音楽の町なんだって。すごく賑やかな町だって聞いたことがある。……僕はねリッカ、この国の今を、全て知りたいんだよ」

 スィンは穏やかに笑った。

 それは、途方もない願望のように思えた。

 この国、ワルセングはひし形を少し崩したような形をしている。中央の王都ワグールを中心に、北のノルシェ、東のイルト、西のウェルズ、そしてここ南のサウリアから成っている。一つ一つの地域がとても 広いから、全てを知るなんて途方もない願いのように見えた。

 それでもスィンの穏やかな瞳は、その途方のなさを超えていくような強さを秘めていた。

「……できるの?」

「分からない。でも、知らないことを知るのは面白いよ。“髪の申し子”なんて初めて話したしね」

 スィンは私をちらりと見て、微笑んだ。私は頬が熱くなるのを感じて、ふいっと目を逸らした。

「そんなに珍しいものなの?」

「うん。一時代に全員揃うことはまれだって言われてるんだけど、地・水・火・風といるんだ。みんな額に宝石を持っているらしい。リッカのは水晶だね。綺麗だ」

 スィンは私の前髪をかき分けて、額の宝玉に触れた。スィンの冷たい右手が心地良かった。

幼い頃から、“水の申し子”として普通の人とは違うと言われてはいた。だけどこの村の人たちは、他の子たちと分け隔てなく接してくれた。おかげで普通に暮らしてこられた。自分が特別だなんて思わないけど。

 スィンの「綺麗だ」という言葉は宝物のように思えた。

 ふと隣を見ると、スィンは険しい顔をしていた。眉根を寄せてどこか遠くを見ている。

「スィン……?」

 スィンははっとして、慌てて表情を取り繕った。

「そろそろ帰ろうか」

 深く尋ねることもできず、夕日が落ちてしまった道を二人並んで帰った。


 スィンはいろんな話を聞かせてくれた。長いこと、この国を旅しているようで、たくさんのことを知っていた。この地で生まれ育って村から出たことのない私には、遠い町のお話は夢物語のようだった。

 いつか、スィンと一緒に世界を回れたら。私はいつからかそう思うようになっていた。

 だけどそれは許されないことだった。信仰が薄れたとはいえ、“水の申し子”はサウリアにいてこそのものなのだ。

 サウリアは水神様の加護を受けている。その愛を特に受けた人が“水の申し子”だ。そんな人がこの地を離れていいはずがない。

 ちょっと願うだけでいい。夢物語だと自分に言い聞かせた。


 スィンは、中央の王都の話をすることはなかった。

「スィンは生まれはどこなの?」

 気になって聞いてみたことがあった。その問い掛けをした私を、スィンはじっと見つめる。そして目を伏せた。

「……王都だよ」

 その答えは意外だった。スィンは王都の話は一度たりともしたことがなかった。だから行ったことがないんだろう、と勝手に思い込んでいたのだ。

 でも考えてみれば当然の話だ。この国の全てを見たいと言う人が、中央だけ見たことがないというのも変な話だろう。

「王都の話は聞いたことがないよ?」

 私の言葉にスィンは遠くを見やる。それは王都のある方向で

「王都には……、あまりいい思い出がないんだ」

 そう言われてしまっては何も言うことができない。スィンも聞いてほしくないという空気を醸し出していた。

 二人でしばらく黙って王都の方向を見ていた。北の空はどこまでも澄み渡っていて、王都が見えるはずもなかったのだけれど。

「でもそのうち王都に戻ると思うよ」

 ぽつりとスィンは言った。私はスィンを見上げる。スィンは目を伏せていてこちらを見ない。その姿はどこか痛ましげで、私はその手をぎゅっと握ることしかできなかった。

 あれは、どういう意味だったんだろうか。今となっては聞くことができない。

 その三日後、スィンは旅立った。

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