20 城下にて
「やん、かーわいっ」
語尾にハートマークがついているのがわかる。
ぐりぐりと自分の胸にヴィーの顔を押し当てるように抱きしめ、べスは恍惚とした表情でつづける。
「ホントわたしのヴィーはかわゆいんだから! どうしてそんなに愛らしいの? んもう、抱きしめ足りないぃ~!」
「んんっ、べス、離してちょうだい」
「そんなつれないあなたも素敵よ」
今朝からヴィーの専属騎士・エリザベスことベスは、暑苦しいまでも抱きついてくるのをやめない。食事をするときも、着替える時も、常に傍に馳せ参じる。まるで当たり前のことだというように。
ベスの『当たり前』は『異常』だった。
広場でのちょっとした騒ぎのあと、一向は港街に向かった。そこで海賊たちの動向を探ったが、彼らは明日の朝に港に到着するという連絡があり、夜は街の宿屋に三人で泊まることにした。
窓から広い海を見渡せる宿は、祭の影響もあってか空き部屋がひとつしかなく、しかもベッドはふたつしかない。結局二人部屋に三人で泊まり、ひとつのベッドをハノンが、残りにヴィーとベスが寝た。
「本当は主と床をともにするなど恐縮至極でございますれば、わたくしはあの卑しい男と寝なくてはなりません! しかし! もし、もし姫がお許しいただけるなれば、わたくしが姫を心地よい夢の国へと誘い、また夜中に襲いくるであろう悪漢を力の限り成敗したく――」
「も、もちろん一緒のベッドに寝ましょう、ベス。でも『心地よい夢の国へ』のくだりは必要ないけど」
「ああん、そんな殺生な……」
「てかテメェ、その『襲いくるであろう悪漢』ってもしかして俺のことか? ああ?」
「わかっているじゃあないか。もしかしなくとも貴様のことだ」
いつものように喧嘩ごしになるふたりをほっとき、早々にヴィーは眠った。習性とは恐ろしいもので、ふたりの口論も子守唄のようにすぐに寝入ってしまえる。
ヴィーは知らない。
寝静まったあと、ベスはくるりと振り返ってうっとりとヴィーの寝顔を見つめて「ああ! なんて安らかな寝顔! 風呂上りの濡れた髪も、しっとり潤った肌も、無防備な寝間着も! 化粧を落としたこのなんともいえないお顔! すっぴんだからこそ出せる、この中途半端な顔立ち! 表情!」と息も荒く喋っていたことに。
ハノンはドン引きしていたが、それもいつものこと。
さらに彼女は「ねぇっ、聴こえたかしら、このかわいい寝息! いや、やっぱりアンタには勿体ないから聴くんじゃないわよ、耳塞ぎなさいっ! てゆーか、アンタは外で寝なさいよ。うっとーしい」とのたまい、しっしっと犬でも追い払うかのように手を振ってハノンを蔑視した。
怒鳴りたくなる気持ちをなんとか抑え、「てめぇとヴィーを二人きりにしたら危ないだろ」と文句を言うにとどめ、ハノンは無視してベッドに身を投じた。
しかしこの発言、なにも女であるふたりの身を案じたわけではない。どちらかといえば、ヴィーの身を案じた発言だった。理由は言わずとも、彼女の異様な様を見ていれば自ずと理解できよう。
ハノン・モーガシアン。二十歳。モーガシアン海賊団船長の息子にして、ヴィーのお守り役。動物に好かれやすく、得意技は声質を自由自在に変えること。苦手なものは、女。
ただし例外は、カスパルニア王国第一王女ヴィヴィアクリナと、その護衛騎士エリザベス。どちらかといえば犬猿の仲であり、彼女たちはハノンにとって『女』ではない。
はぁ、と知らずこぼれたため息も仕方のないことだ。が、この苦労をわかってくれる者は、今のところいない。
* * *
祭の二日目。今日も朝から出店が軒を連ねている。今宵の夜は様々な催し物も開かれる予定で、祭の本番といっても過言ではない。
ハノンは海賊船長である父と話をつけてくると宿を出ていったので、ヴィーはベスとふたりで出店を見て回ることにした。十字路の道の端から端までずらりと並ぶ店は一日では回りきらず、今日も新しい店を目にするたびにヴィーは目を輝かせる。各国の商人が店を構えているので、いろいろな地方の特産物を目にでき、勉強にもなるのだ。
「この果実って、寒い国でしか手に入らないのよね」
青と紫の異様な色の果物にかぶりつきつつヴィーはつぶやく。
「さすがは姫。そのようですね」
「もう、姫はやめてよ」
「はい、ヴィー」
「敬語もいらないのに」
「でも……もうちょっとだけ、ヴィーの王子さま役になりたいのっ!」
気分は騎士ではなく王子さまらしい。
今日の出で立ちもベスは派手だ。飴色の髪を水色に染めている。髪飾りは出店で買った南国の両手ほども大きな華だった。
彼女にも旅人衣装に着替えてもらったが、やはり奇抜さが抜けない。これも個性というものだと、すでにあきらめている。
特に待ち合わせには便利だ。場所を約束せずとも、ハノンは「どこでも見つけられる」と言っていたくらいだし。
「そういえば、実家は楽しめた?」
休暇は家に帰っていたことを思い出し、ヴィーは尋ねる。
「はい。父も元気にしていました。でも帰るなり『おまえは毎年毎年、母に似てくるな』と涙ぐむので正直鬱陶しいです」
ぶすっとふてくされた顔をとっているが、照れ隠しだということはわかる。
「お父上もお寂しいのよ。残った家族はあなたたち兄妹だけじゃない」
「屋敷には使用人もたんまりいますし、年老いた執事も引退せず父に従っているので……寂しいというより、母が恋しいのでしょう」
やや真面目くさった顔で答えたあとで、ベスはそれより、と話題を変える。
「先に王宮に帰ってびっくりしちゃっい。姫がどこにもいないと、それこそ陛下は涙を流していらっしゃいましたよ」
ぶっ、と思わずヴィーはふく。
あの威厳たっぷりの父が泣く? 想像できない。とてもおもしろい顔しか想像できない。
「王宮は混乱していなかった?」
「王妃さまがいろいろ働いていましたよ。それに慣れたもので、兄も隠ぺいに奔走してました。いい気味です」
ベスの兄は、カイリ伯爵家のご子息・ケネスである。愛妾をとることなくただひとりの女を愛しぬいた彼らの父により、ベスもケネス同じ腹から産まれたきょうだいだ。
「そっか。ケネスには悪いことをしたね」
「いえ、どんどんこき使ってやってください。それに、下準備が為されていたようですし……計画的犯行なのでしょう?」
ニヤリと笑んだベスに、ヴィーも同じ笑みを返す。
すると、ベスは大袈裟によろめいた。
「ああ! なんて不敵で愛らしい笑み……! 男装姿も素敵だわ! 休暇中、何度家を飛び出し王宮へ馳せ参じようとしたことか……!」
「はいはい、ありがとう」
ヴィーは動じない。慣れたものだ。
ベスはふいに我にかえり、真面目な表情をつくった。
「というか、そもそもなぜ王宮から逃げ出したのですか。わたしを待てぬほど、ということでしょうか?」
問いかけにヴィーは押し黙る。
ベスは知らなかったようだ――婚約を。もし知っていれば、このように落ち着いてなどいられないだろう。
ヴィーは黙っていることにした。
「そういうこと、にしておいて。それより、城での様子をもっと聞かせて」
「うーん、そうねぇ……相変わらずフェリさまは義父さんに剣術の教えを乞うていましたし……ミル坊はルイーズごときにべったりよ」
だんだん『王子さま』がはがれ、いつものベスに戻ってきた。朗らかな笑みも剣呑なものに変わる。
余談だが、ベスは後見人のユリウス騎士を義父さんと呼んでいる。本気で照れる彼を見てからかっているのは明白で、ワケを問えば「だってあの人、オレンジの頭って超目立つ。すっごく素敵」と、奇抜代表のお眼鏡にかなったらしい。彼らは本当の親子のように仲が良い。ベスの実の父親がヤキモチを妬くほどだった。
これまた余談であるが、ベスは弟王子ミハルアディスと専属騎士ルイーズを好いていないようだ。理由は簡単で、ミルが頼りないばっかりにヴィーに負担がいっているのだと苛立ち、その苛立ちに専属騎士ルイーズが反発し、その反発にベスが苛立つという――要するにベスがヴィーを好きすぎることが原因だった。
ルイーズ自身も主であるミルを大切に思うあまりクールな彼女には珍しいことに反発が強く、ベスとは水と油だ。そもそもベスの言動が王族に対するものとはかけ離れているのだが――公の場では見事に騎士として振る舞うのでとりあえず放っとかれた。それに、彼女の言葉には棘があっても毒はない。父王も「あまやかされてばかりではダメだ」と言って放置している。
そんなわけで、表情が崩れはじめたベスにあわて、ヴィーは話題の方向転換を図る。
「そっか。じゃあ、リオルネ兄にはお会いした?」
「リオルネ……さま、ですか?」
ベスの顔が歪む。彼女はリオルネ公爵のことも好いてはいなかった。
理由は簡単、リオルネがヴィーに好かれているから。
というか、彼女が好きだと公言しているのはヴィーのみであり、態度も激変するのだが。
ベスはヴィーの専属護衛騎士であり、友人であり、理解者であり、城での数少ない味方だ。サロメがくる前までの侍女たちとの不仲の境遇を乗り越えてこられたのは、ひとえに彼女の存在のおかげであろう。
騎士エリザベスの隣を歩けば、自分もいっぱしの姫君になれる――それは知らずに身についたジンクスのようなもの。
ベスことエリザベスは《十貴族》のひとつカイリ伯爵家のひとり娘であり、上位の騎士ユリウスが後ろ盾になっており、加えて剣の腕前もたしかだ。将来有望、むしろ男なら下剋上も望めただろうと言わしめる。
ベスはだれがどう見たって美人だ。豊富な胸も引き締まった腰も、長い睫毛に縁どられた目は海のグレー。なにより色気があった。
たぶん、彼女は己よりもドレスが似合うであろうとヴィーは考える。いつかセクシーなドレスを着せるのが夢だ。
なにしろベスは「ドレスなんてとんでもない! わたくしはいつ如何なる時もあなたさまをお守りするのが役目ゆえ……それに、この護衛の任を生きがいとしているのでございますれば!」と訴えてくる始末で、取り合ってくれない。
どうしてベスは自分なんかのことが好きなのかと、ヴィーでも悩んだことはある。が、はじめからこうなのだから仕方がない。慣れたもの勝ちだ。
なんだかんだいって、ヴィーもベスの行き過ぎな性格も、好ましいと思っていた。他人が目を見張る、彼女の奇抜ささえも。
「そういえば、今日は警備隊の姿が多いわね」
串にささった肉を頬張りつつ、ベスがチラとも目を動かさずに言う。ごく自然に周囲は観察していたのだと、ヴィーはいつもながら舌を巻く。
「お祭だからじゃなくて?」
街での祭は二日目。今日は品市という別名があり、三日間でいちばん出店が多く並ぶ日だった。いろいろな地方のいろいろな品を見て買うことができ、他国からわざわざ足を運ぶ者も少なくない。
「祭ということもあるかもしれないけれど……もしかして、昨日の出来事を警戒して、だったり」
「ええっ」
ヴィーは思わず非難めいたまなざしを向ける。
昨日の出来事とは言わずもがな、ならず者たちと戦闘をしたことだろう。あちらから仕掛けてきたとはいえ、返り討ちにし過ぎた。ヴィーは手を下していないが、己が原因のような気がして落ち着かない。
「なら、あの煤男――いえ、謎の男の人も、捕まっていないといいけれど」
「あんなのはどうでもいいですよ。殺したって死にそうにない面してましたからぁ」
「もう、ベスったら」
昨日は急に現れ急に消えてしまった。怪我をしていないとは思うものの、ヴィーは心配だった。