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ネイの魔法  作者: 詠城カンナ
第二章 Calamitas virtutis occasio est
20/26

17 逃亡の朝

新たな出会いと冒険のはじまり。(?)


 朝の光が直接に瞼を射抜く。あまりの強烈な眩しさに、ヴィーはばっちりと目をあけた。

(ひ、ひどい夢だった……)

 朝日の強い光のためだろう、窓から差し込む光を受けた方の頬が熱を帯びている。そのせいか、夢見はひどく悪かった。

 ヴィーは夢のなかで砂漠にひとり立っていた。ぞっとした。婚約相手の国・シラヴィンドは、砂漠の国である。夢のなかで、己がこれから生贄のごとくこの砂漠の灼熱のなかへ身を投じるのだと思うと、年甲斐もなく泣き叫びたくなったのだ。


 けれど、夢だった。


 ぐん、と横になったまま腕を伸ばす。悪夢だったがあれは現実ではなかった。その事実がうれしい。

 と、伸ばした腕は勢いよくなにか柔らかなモノに当たった。そしてそれは「ぐえっ」とカエルのつぶれたような音を出す。

 おや、と訝しげに目線をそちらにやり――固まった。

「――ったく、なにすんだよヴィヴィアクリナ」

「なっ、ななな、なんでアンタが――」

 ぱくぱくと口をあけ目を見開き、声もなく凝視する。

 同じベッドのなか、隣には上半身裸のハノン。たとえ女顔だろうが、ついているものはついている。たとえどんな美貌だろうが、ヴィーにとって彼は異性として意識したことはない。

 つまり。

「なにすんのよー変態! 悪魔! 色魔! おたんこなす! 女の子に無理矢理なんてことを~!」

 己で導き出した答えにヴィーはすでに涙目である。ハノンはあわてるどころかその優美な顔を不快気にしかめてみせた。

「なーに勘違いしてんだ馬鹿。ぎゃーぎゃー喚くなウルセェなぁ」

 いつも以上に毒舌である。ハノンは低血圧であった。

 しかしヴィーにはハッキリさせねばならないことがある。昨夜のことを思い返しつつ、反撃を試みた。

「じゃあこの状況を説明して! なぜ、あなたがあたしと同じベッドで寝ているの?」

「だって部屋にはひとつしかねぇだろ」

 ごく当たり前だとハノンは答えた。

 たしかに、昨夜なかなか空いている宿が見つからず、ようやく発見できたのは日も沈みはじめたころで、しかも一室だけだった。城下にはどうやら商人団体がやってきたようで、どこの宿屋も満員。すでに希望はない。

 仕方なく一人部屋にふたりで泊まることにした。

 ヴィーにもハノンにも抵抗なかった。異性として意識していないから。

 けれどこれはワケがちがう。同じベッドに上半身裸体で潜り込む男の神経がわからない。びっくりさせるなと怒鳴りたい。

 そもそも、昨夜は近場の湯浴み屋に行き、ヴィーは先に上がって部屋に戻った。いろいろなことがあって身体はくたくたで、ベッドにダイブしすぐさま寝入ったはず。

 ふつうなら、ハノンは気を遣いソファに寝るはずであろう。まさかベッドに入ってくるなど考えもしなかった。

 切々とそう訴えると、実に剣呑な顔で海賊青年は言う。


「なんで俺がそこまでしなくちゃならねぇの」


 ヴィーは驚愕し言葉も出ない。なんて男だ! 彼の紳士的な父親とは大違いである。

 無言を肯定と受け取ったのか、ハノンはあくびをひとつして起き上がり、さっさと服を着はじめる。用意されていた水をカップに注いで飲み干し彼の喉を麗し終わっても、ヴィーは唖然としたまま彼を見つめていた。

 麗しの顔をしかめていたハノンは途端、ニンマリと口端を上げた。

「なんだぁヴィヴィアクリナ? 俺に襲って欲しかったとか?」

「冗談! だれがアンタなんかに!」

 思いっきり投げられた枕を軽々キャッチし、ハノンはせせら笑った。

「だよね。こっちの食指が働かない」

(な、なんて失礼な男なの……)

 逃亡に協力してくれてちょっとでもいい奴、なんて思った過去の自分が憎らしい。ヴィーは唇を噛みしめ、目の前の天敵をできる限りにらみつけた。


「とりあえず今日は港に向かいがてら城下を散策。それでいいか?」

 ヴィーの眼光などものともせずにハノンは予定を話し出したので、ヴィーも肩をすくめ一時休戦に入る。

「ええ。久しぶりの城下だし、うれしいわ」

「三日にわたって祭が催されるらしい。明日は出店が連なるからな。父さんたちに会う前に行ってみる?」

「是非。それにしても、商人が王都に多く入ったのはそのためだったのね……」

 水をカップに注ぎ、ヴィーもごくりと喉を潤した。冷たい水が寝ぼけた身体を醒ましてくれる。


 久しぶり、といっても城を抜け出しハノンたちのモーガシアン海賊団に会いに行っていたのでそれほどでもないが、ヴィーにとってはわくわくと心が躍り、うれしかった。自分にはない世界に、いつも胸はときめく。特に海賊の船はもうひとつの故郷であると思っていたから、なおさらうれしい。

 それに、城下を歩くといろんな噂を耳にできる。特にうれしいのは、ヴィーの母であるステラティーナ王妃はたいそう民に人気があるということだ。

 まだ婚約する前のこと、なぜか城下にいたステラティーナは体調を崩した老人を助けたことがあるらしい。その手腕と心根のやさしさに感激した老人の孫は、その恩人を捜したが行方がつかめずがっかりしていたさなか――なんと恩人は、結婚のパレードで顔をみせた王妃その人とそっくりだったという。孫によってその噂は広まり、民たちは期待した。なにより彼女の母国は、今は亡き国王のいちばん上の兄・フィリップと同じらしく、フィリップはやさしい王子として有名で民の知名度も高く、期待はさらに高まった。そして応えるように、ステラティーナは民の暮らしが豊かになるよう、民の視点で物事を言い当て、王に進言したという。

 他国からは冷酷な王と恐れられている父王も、自国では賢王と名高い。ヴィーは城下に来るたびに、なんだか胸が誇らしくあたたかになるのだった。


「予定だと今日の夜か明日の朝に船が港に入るはずだから。それに間に合わせて行けばいい」

「わかったわ。それじゃあ、今日はゆっくり散策できるのね」

 知らずヴィーの顔がほころび、つられてハノンも微笑した。




「うわあ」

 ヴィーはこどものように目をきらきらさせ、感嘆のため息をつく。

 出店は広い一本道の両脇に所狭しと並びたち、客引くのために個性的な看板を掲げ、飾られ、彩豊かだ。目に映るものすべてが心をくすぐっていく。

 ヴィーの顔はフードに隠れ表情はうかがえないものの、きょろきょろ首を回したり、歓喜の声を上げる様はどう見ても出店に目を奪われ心躍る少年のそれで、店主たちはそろってヴィーに声をかけて品物を勧める。

「ほーら、焼きたてだよ!」

「こっちのが旨いぜ!」

「どうだい、きょうだいで買うならまけてやるよ」

どうやらヴィーとハノンはきょうだいだと思われているらしい。ヴィーを弟と見ているのは確定だが、ハノンを兄だと判断しているかは微妙なところである。実際屋台の親父に「べっぴんな姉ちゃんで羨ましいなぁ、坊主」と話しかけられたくらいだ。

 いっぱい歩いて、いっぱい話しかけられて、目に映る全部が心を躍らせて、体力的にも精神的にも疲労を感じはじめたころ、休息がてら街の広場に足を運んだ。

 中央に噴水のある広場はまばらに人の行き来があり、ヴィーたちのように休憩にくる者もいるようだ。

 端にある白いベンチに腰かけ、ふぅ、と息をつく。

「これ、すっぱい」

 押し付けられるように売られた果実ジュースを喉へ流し、ヴィーはぽつりとつぶやいた。隣では呆れ顔のハノンが肩をすくめている。

「当たり前だろ、ミンシェの実だからな……まぁ、王宮に運ばれるミンシェの実は全部熟れて甘くなったヤツばかりだろうけど……」

「でも、こっちの味のほうがあたしは好きよ」

「女は甘いほうが好きっていうけど。やっぱアンタは女じゃねぇんだな」

 ヴィーはむ、と顔をしかめる。

「その女の子なら無条件でこうだ! っていう横暴な理想論をみんなに当てはめるのやめてくれる?」

 たしかに、今の格好はどこからどう見ても少年だけれど。


 旅の衣装はハノンが用意してくれたもので、数年前に海賊のもとで過ごしてきた衣装と大差なかった。つまり、町娘というより少年スタイルである。

 水色のシャツに薄墨色のズボン、焦げ茶色のフード付きケープを羽織って体系を隠す。髪は高くひとつにくくり、フードのなかに隠してしまう。

「アンタの髪色は目立つからな」

「わかってるわ」

 ハノンと並べば少年ふたりの出来上がり。だから出店の主はみんな「そこの少年たち!」という認識で話しかけてきたのだ。


「ねぇ、靴擦れがひどくなりそうなの。包帯とかない?」

 革靴の紐を緩めながらヴィーは尋ねた。

「あー。薬問屋に行けばあると思うけど。痛むのか?」

「ん、今は平気だけど……」

 ヴィーの脚は海賊たちに鍛えられたおかげか、ふつうの姫さまよりは随分としっかりしている。だからある程度の距離を歩くことに抵抗はないが、やはり吐きなれない靴は歩きにくい。皮の剥けた踵をさすり、ため息をつく。

 もし急ぐならば速度の進行を落としたくはなかったので、散策できるだけの時間のと余裕があり助かった。

(けれどこの足じゃあ、ゆっくり歩いても長時間はキツイなぁ)

「じゃあ、包帯買ってっからここにいろよ」

 えっ、と声を上げる暇なくハノンは立ち上がり駆け出していた。

「いいか、絶対動くんじゃねぇぞ!」


 そう言って走りゆく、なんだかんだ言って男前なハノンの背中をながめ、ヴィーは息をついた。普段は「悪魔」と罵りたくなるほど憎たらしいが、今回ばかりは彼に感謝だ。自分一人で当てもなく城を逃亡しても結果はたかが知れているだろう。最悪、ハノンを脅してどうにかしようかとも考えたが……向こうから申し出てくれたので好都合だった。

 足を組み、手に顎をのせしばしぼんやりとしていたが、ややあって強い日差しに顔をしかめた。

 季節は春が終わり夏がはじまろうとしている。昼間近いこともあり、太陽は頭上にでかでかと輝いていた。

 動くなと言われたが、このまま日の熱さに耐えるほど我慢強くはない。ヴィーは立ち上がり、ベンチからそれほど離れていない木陰まで移動した。ちょうど木が多い茂っている開けた空間があり、人目の心配もなくくつろげそうだとニンマリする。

 木の幹に身を預け、ふぅ、と息を吐く。

 夏が本格的になったら海へいって泳ぎたい。日の光に反射してきらきら光る水面みなもに揺られながら、冷たく涼しい海の底まで潜るのもいいかもしれない……

 そんなことをつらつら考えて物思いに耽っていると、ガサゴソと茂みをかき分ける音がした。

 もしやハノンが帰ってきて己を探しているのだろうかとヴィーは思い立ち、あわてて顔をあげる。

 しかし、茂みから顔を出したのはハノンの麗しい顔ではない。どちらかといえばいかつい、いわゆるならず者の顔だった。


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