2 獣の声~炎
ゆらゆら、揺らめく。
ぱちぱち、爆ぜる。
「もうすぐ、だ――」
ニンゲンは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
神秘的な色の瞳が炎に反射して妖しく光る。
手をそっと伸ばす。炎はゆらゆら揺れている。あたたかいを通り越して熱い。
けれどニンゲンの表情は笑みに彩られ、その眼はまるで獲物を前にした猛禽類のよう。
蠢く火のなかには人の頭三つ分も大きな小麦色の卵がある。その中央には蔓の紋様が刻まれていたが、それが自然の成り行きなのか彼らの理なのか、それともただの飾りであるのか、ニンゲンにはさっぱりわからなかった。むしろ、気に止めてすらいなかった。
「はやく、こい」
ニンゲンは再度、つぶやく。声は期待にかすれていた。
ふと、風がないのに炎の揺らめきが大きくなった。橙から黄金色、やがて血の赤に変貌を遂げた焔は、いっそう激しく燃えあがる。
ニンゲンは高らかに嗤う。
「そう!」
天を見上げ、野獣のごとく吠えた。
「ついに、ついに手に入れたぞ――!」
瞬間、ぱきり、と割れる音。
焔の殻を突き破り生命の世界へ飛び出したのは、はたして。
ゆるゆると激情が収まるように、炎はぴたりと燃えるのをやめた。おとなしく、しゅん、と肩を垂れる。
卵はまっぷたつだ。そしてその狭間、蕾が花開くように現れたのは――
『オマエ、ダレ』
口をぴくりとも動かさず、そいつは言う。
ニンゲンが驚いたのは一瞬で、すぐにニヤリと笑みをつくった。
直接ヒトの頭脳に語りかけて思念を操っている――これは意思疎通に事欠かない――まるで魔法のようではないか!
「口を動かせ化け物め」
決して恐れも嘲りも含めず、どこまでも純粋な狂喜をもってニンゲンは言った。
「貴様に名をやろう」
『名?』
《声》を響かせてから一巡し、化け物と呼ばれたそれは己の喉に手を伸ばす。
ぐ、ぐ、と何度か押し、唇を湿らせて口をあけた。
「これで、いいか」
「よい」
ごく簡潔にニンゲンは満足そうに頷いた。
化け物がこちらを気にして目を向けるのも悪くない。心地よい。
「来い。着るものをやろう。そのあとで名をくれてやる」
差し出された腕になんの警戒もなく、そいつは手を取った。
ニンゲンはふ、と目を細め、その化け物を舐めるように上から下までじっくりと見る。
裸体には見慣れていたニンゲンであったが、目の前のそいつは今まででいちばんうつくしく見えた。
燃える焔の色を宿した髪は激しい炎そのもので、そいつの腰まで伸びている。手足はすらりと長く、白い肌は赤に映えた。輪郭はすっきりとしており、凛々しい眉の下には野性的な――むしろ『生きとし生けるもの』すべての王を彷彿とさせるような力強い金色の瞳がある。目が合うだけで無意識に跪いてしまいたくなり、ニンゲンはあわてて足に力を込めなくてはならなかった。
目の前の、この化け物はある意味野生ではあるが、決して血に飢えた獣ではないことをニンゲンはよく知っていた。むしろその『獣』は自分自身であることも、ようくわかっている。
赤子なのだ。
ニンゲンは直感した。
卵から産まれたばかりのそいつは、たしかになにもわからぬ赤ん坊ではないかもしれないが、久しぶりの世界に好奇心と、そしてわずかな不安をもって生まれた赤子なのだ。
好都合というものだ。
「おいで」
ニンゲンは、なるたけ甘い声でささやく。刷り込みのように、そいつは頬を緩めた。
ああ、面白い。
おそらくそいつは、己のかけがえのないモノになるであろうとニンゲンは自覚していた。だからやさしく、あくまで愛おしげに接するのだ。
触れた肌は限りなく、熱い――
彼は知らなかった。
己の犯そうとしている罪を。そいつの感情を。
そして、自分自身の心というものを。
眷属の証はすでに刻まれているというのに。
薄墨色の夜。
洞窟に、幻の獣の声がこだました――。