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ネイの魔法  作者: 詠城カンナ
第一章 Jacta alea est
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15 旅立ち

 深い緑色の瞳を面白げに揺らし、海賊船長の息子ことハノン・モーガシアンはヴィーのストロベリーブロンドに指を絡ませ、にっこりと笑った。

「おや、ヴィヴィアクリナ。とっても愉快な顔をしているね」

「どういう意味よハノン」

 例外なくヴィーの名前を略すことなく口にして、貴公子然とした態度で目を眇める。白いシャツに紺色のズボン、装飾品は銀の鎖の首飾りだけというシンプルな装いであるにも関わらず、上品さは雰囲気からオーラとなってかもし出されていた。ドレスさえ着れば傾国の美女にだってなれるだろう、とひそかにヴィーは思っている。

「いや、君の愛らしい顔がまるで下賤な虫けらのような顔になっていたのでね。とても気がかりだったんだよ」

「……やめてよハノン。とっても気持ち悪いわ。今度はなんの真似なのよ?」

 ふふんと鼻で笑って言うハノンに、ヴィーは気持ち的に砂を口から吐き出している。

 洒落た喋り方をやめ、ハノンは心外だとでもいうように肩をすくめた。

「城下で演劇をやっていたからさ。真似してみただけだよ。俺にはさっぱりだけど、貴族の令嬢はうっとりしててさ。まぁ、ヴィーと同じ感性というのもちょっと考えたくなることだけど……」

「黙りなさいよもう! だいたいあなたが貴族の令嬢とお近づきになれるとは思わなかったのだけれど?」

 身分的に、というのももちろんあるだろうが、ヴィーが言ったのは性格的に、だ。そして性質的に。

 彼はその美貌とは裏腹に口から出るのは貴族にとっては粗相にあたる言葉だし、なんといっても彼自身が女の子を苦手としているのだから。

 しかしハノンは前者と受け取ったようで「貴族のオトモダチに聞いたんだ」と笑った。

 ここでいうオトモダチは友人ではない。配下だ。どういうわけかわからないが、ハノンは時々貴族の子弟に絡まれるらしい。それもあまりアルティニオス陛下に賛同的ではない子弟から。そしてどういうわけか、数日後には立派なハノンの配下もとい下僕となって組織に組み込まれている。空恐ろしい男だ。

「あー、というか、その、ちゃんと寝ているのか」

 ふいに、何気ない調子でハノンは言った。そっぽを向いているが、チラとこちらに目をやるあたり心配しているのかもしれない。

「大丈夫よ。まあ、寝つきは悪いけれどね。支障はないわ」

「じゃあ、なにがあったんだ?」

 『なにか』あったのではなく『なにが』と聞いてくるあたり、すでに情報は回っているのだろう。

 白旗をあげてヴィーは口をひらく。

「あたしが結婚しなくちゃいけないってことはもう知っているわよね?」

「ああ。ついでにリオルネ公爵やランスロット騎士に相談をもちかけていることも」

 淡々と答えているが、ヴィーが彼らに相談したのはつい数時間前のことだ。情報を手に入れるはやさはさすがで鳥肌が立ちそうだが、今回ばかりはありがたい。

「なら話ははやいわ。あたし、その婚約がいやなの。たぶん、あと三日もすれば父さまは強行手段に出るわ」

「あの娘大好き陛下が? 無理矢理するはずないじゃないか」

 さすがのハノンも、なぜアルティニオス王が娘を嫁がせようというのかまではわからないらしい。

 母に聞いても「父さまはあなたのことを想っていっているのよ」というだけだし、父の友人でもあるランスロットに聞いても「いきなりご結婚させることはありません。婚約だけ発表し、シラヴィンドの地にてしばし観光でも楽しまれる時間はたっぷりあります」となんとも的外れなことを言う。

 なにやら隠れたワケがあるのは明白だ。しかしヴィーは絶対に嫁ぎたくなどない。たとえ我がままであろうがそれだけはイヤだった。

 深刻なヴィーの表情を見、なにか悟ったのであろう。

 ハノンはきちんとこちらに身体を向け、ヴィーの名を呼んだ。ひどく緩慢な動作で顔をあげる。ヴィーの母と同じ、深い緑の瞳が気づかわし気に見ていた。

 少しの時間だったのかもしれない。ふたりが見つめあい、やがてハノンの薄い唇から息がもれたと同時に、言葉が発せられる。


「俺ンとこに来るか」


 それはそれは男前な発言であった。

 ヴィーはぱちくりと瞬きし、目を見開き、口をぽかんとあけ、ついてごしごしと目を拭った。

「もう一回、言って?」

「俺ンとこに、来るか?」

 見間違えでも幻でも聞き違いでもないらしい。疑う前に彼の真摯なまなざしを受けて、ヴィーは言葉もなく頷いた。

 リオルネはヴィーにとってあこがれのお兄さんのような存在ポジションで。

 けれどハノンもまた、ちがった意味の兄的存在である。認めたくはないが。

「……いいの……?」

「いいもなにも、この城を自由自在に抜け出せるのはきっと俺だけだぜ? ランスロットは陛下の第一騎士だし、リオルネだって公爵家だ。危険とわかっていながら、一国の姫を脱走させる馬鹿はいないだろう?」

 ふざけた調子で笑みさえ浮かべるハノン。ヴィーはおかしくて、小さく声をもらして笑った。

 たしかに、衛兵をかいくぐり城と城下を行き来できるのは彼をおいて他に――『彼』以外に――いないだろう。そしてきっと、ハノンなら城下での護衛も兼任できる。

「ごめん。ありがと」

「ん、いいさ」

 差し出された手をとり、ヴィーは珍しく、柔らかな微笑を見せる。

 先ほどまで心のなかに巣食っていた暗い気持ちは消え去り、代わりにほのかな希望が見出された。

 ハノンがいなければ、きっと無理をしてでも城から脱走していただろう。リオルネもランスロットも、同情はしてくれも助けてはくれないとわかっていたから。たとえ気狂いといわれようと、だれか人質にとってでも城から逃げ出しただろう。

(だってあたしは、そうでもしないと死んでしまう)

 心が、死んでしまうのだから。


「支度に何分いる?」

「もうできているわ」

「なるほど、すでに準備万端か」

 ハノンは呆れたように首をすくめたが、ヴィーはにんまりと口角を上げる。

「ええ、いつでも出発できるけど……できれば少しだけ時間が欲しいわ」

「なら半刻後におまえの部屋の前で。ちゃんと衛兵は追っ払っておけよ」

「うん」

 衛兵に責任がいかないようにしなくちゃ、とヴィーは考え、ハノンにいったん別れを告げて部屋に引きこもる。

 羊皮紙にインクに浸したペンを滑らせ、彼女の口角はさらに弧を描く。


(お父さまごめんなさい。それでもあたし、これだけは譲れないのよ)

 国力はあるはずだから、たとえヴィーが逃亡しようとも時間は稼げるだろう。

(お母さまごめんなさい。でもあたし、やっぱりあなたの娘だから――)

 彼女も若いときはいろいろ無茶をしたのよ、と面白おかしく母の武勇伝を語ってくれた侍女たち。ヴィーはずっと覚えていて、だから迷いはなかった。

(それとごめんねハノン。ちょっとだけ、父さまがあなたに殺気を抱くかもしれないけれど……)

 知らぬ男と結婚するよりマシである。



***


 約束の時間――


 異国の侍女サロメは、不安げな表情を押し隠すように笑顔を浮かべた。

「大ジョブです! でも、ゼッタイ、帰ってクる、ですよ?」

「うん、ありがとう。……たぶん、これから母の侍女として召し抱えられると思うから」

 サロメは連れていけない。けれどヴィーがいなければ仕事がない。だから母に口添えを頼み、ヴィーがいなくとも一時的に仕事には困らないようにしてもらった。


 部屋の前で彼女と別れ、ヴィーはハノンと連れだって裏庭へ出る。

 このハノンという男、つくづく食えない人物である。なぜなら、ヴィーでも知らないような城の抜け道を知りつくし、警備の配置も頭に入れているのだから。彼にかかればこの城くらい庭のようなものなんだろう。海賊のくせに。


「なんて言って出て来たんだ?」

 洞窟のような穴の抜け道を歩きながらハノンは口をひらいた。すでに警戒しなくていい位置にまで来たらしい。

「置き手紙をしてきたわ。駆け落ち逃避行します、探さないでって」

「はあぁあ?」

 突如、素っ頓狂な声をあげてハノンはがばりと首を回してこちらを見る。手がぶるぶると震え、持っている松明を落としそうだ。

 ヴィーは肩をすくめハノンの歩みをうながし、なんでもないように言った。

「大丈夫よ。母さまにはそれとなくあなたと一緒だって伝えてきたから」

「いやいやいや……駆け落ち?」

「あら、あながちマチガイでもないでしょう? 『俺のとこに来るか』って言ってくれたじゃない」

「それはアンタがとてつもなく『らしくなかった』からで……ああ、言うんじゃなかった」

 なにを言ってももう遅い。己の未来に絶望し、顔を覆う。

「チッ。さっさと父さんトコ行って、俺は命の保証してもらわなきゃ」

「どうしてよ?」

「ヴィヴィアクリナ、アンタは国王を父にもつ。そして奴はめちゃくちゃ親馬鹿だ。駆け落ちと聞けば怒り心頭で国軍をもってくる可能性だってある。でも、たとえ国王にだって弱みはある」

「それが、あなたのお父さま?」

 思い出のなかのハノンの父親はとても穏やかな人だった。一見して海賊船長などとは結びつかない、どちらかといえば優男だ。けれど剣の腕はたしかで、ヴィーも護身術を学んだものだ。

 そうはいっても、彼が父王の弱みだとは到底考えが及ばないのだが。

 よってヴィーは「ふぅん」という曖昧な返答にとどめた。

「なんだよ、信じてないな?」

「だって……それに、父さまがあたしごときにそれほど必死になるとは思えないけれど」

「それは王さまが報われねぇな」

 言葉通り、ハノンはたいそう憐みのこもった目を向けた。

「まあ、どうでもいいわ。とりあえず、婚約だけはしたくないの。いわばあなたは囮ね」

 あまりの言い草だが、幼馴染であるハノンはあきらめたのかため息まじりに「おまえの狗がいないだけマシか」とぼやく。

「イヌ? ベスのこと? ベスは犬っていうより猫だわ」

 ヴィーは彼がイヌ呼ばわりする専属護衛騎士を思い浮かべクスリと声をもらす。

 ハノンは半目で再度深いため息をついた。

「もう、いいよ」



 しばらく行くと城下の町に出た。とりあえず今宵は宿に泊まり、明日は港で海賊たちの行方を探る算段だ。

「ところでこれ、ミハル坊ちゃんから」

 ふいにハノンがポケットから小包を取り出す。からかいまじりに彼はミルのことを坊ちゃんをつけて呼ぶ。正式名称をいちいち呼んでいたら怒られたらしい。それにしても皮肉なものだ。

「あとこれはフェリシアーナから。餞別だって」

 次に手紙を上着から取り出す。こちらは律儀に長ったらしい名前を呼ぶ。

「ミルとフェリから、あたしに?」

 品物を受けとり、まじまじと見つめた。内密に事を運ぶために弟妹たちにはなにも言えずに出てきてしまったが、ハノンはどうやら告げてくれたらしい。

 まったく、抜け目がないというかなんというか。やはり食えない男である。

 ヴィーは『餞別』をぐっと握り、目を細めた。薄紅色の花模様が刻み込まれているそれらに、胸の奥がじんわりと、あたたかくなった。


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