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ネイの魔法  作者: 詠城カンナ
第一章 Jacta alea est
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13 花の王宮(1)

 舞踏会から数日。ヴィーはぼーっとしながら過ごしていた。

 城の侍女メイドが陰口を言っているのも知っている。大臣たちがため息まじりに話しているのも知っている。

 本当は、今すぐにでも父王へ謁見を希望し、拒否の言葉を連ねればならない。母に頼み込んで力添えしてもらうのも手だ。とにかく、どうにかして『婚約』の話をなかったことにしなければならないのに。

 ヴィーの頭のなかを占めるのは、夢のような出来事。実際、普通の人なら夢だったと思う出来事。しかし、ヴィーにはあれが真実であったとわかる出来事。

 ――ネイが、あたしに会いに来た!

 怪しい二人組の話をケネスにし、信頼できる騎士へ見回りを頼み、父王へ話をつけにいってもらったあとのこと。笑顔を振りまくという慣れないことをしたためか、いつにもまして顏が疲れていた。

(もういいや)

 いつのまにか無表情に戻ったヴィーは果実のジュースを片手に目立たぬようテラスへ出た。肌寒いものの、我慢できないわけでもないし、なにより人がいない場所に行きたかった。

 ぼんやりとしていた。すると、突然、視界がかすむ。けれどヴィーの意識は焦るこのなく、夢見心地であった。

 気配がある、というのがわかる。けれど暗示をかけられ思考は停止し、ただなんの脈絡もなく相手の言葉に合わせて疑問を投げかけていたような気がする。

 心のどこかで、歓喜の悲鳴をあげていたのに、それがなんなのか霞む意識のなかでは認知することができなかった。

 肩にあたたかなぬくもりを感じ、別れを告げられ――ヴィーの意識は海底から浮上した。

 唐突に、堰き止められていた感情があふれ出す。制御できない切なさが込み上げ、目がうるんだ。

 彼だ、彼だ、彼だ!

 彼は暗示をかけて正体を悟られぬようにしていたけれど、ヴィーにはわかる。

 ネイだ。

 気づいた後は、表情を維持するのもままならぬほどで、早々に具合が悪いふりをして退出した。



 それから数日。いくら時間が経とうと、久しぶりの彼の存在はヴィーにとって大きく、消えることなくくすぶる。

 耳に、彼の声が残っている。

 声は小川のせせらぎのように澄んで、けれど神秘的。心地よい、それこそ夢のような存在。

 心をかき乱す人、なんて愛おしい。

 すっかり心惑わされたヴィーは、だれの目にも明らかなほどの変わりようだった。

 侍女たちはまたあられもない噂に花を咲かし、大臣たちは政略結婚の負い目か強くは言わないが姫の態度に落ち着かなく、母も父も心配の色を忍ばせていたけれど、ヴィーにはどうしようもなかった。自分自身でどうこうできるほど、心は、この感情はたやすくないのだ。


 ふぅ、とため息をこぼす。

(けれど、いつまでもこうしちゃいられないわ……)

 このままでは、見知らぬ男と婚約させられる。

(あーあ。ベスがいたら直談判を手伝ってもらえるんだけどな…)

 ヴィーは奇抜な髪色の友人を思い浮かべぼやく。

 そもそも、カスパルニアは普段なら政略結婚しなくてはならないほど弱小ではない。するとしても他国から嫁ぎにくるならまだわかる。けれどこちらが嫁ぐメリットはないはずだ。

 婚約相手の国はシラヴィンド。砂漠の王国らしい。シラヴィンドとは十年以上前から同盟国であったはずで、関係も良好だと聞いていた。

 たしかに友好の証に嫁ぐ、ということはあるかもしれない。けれど。

(父さまだって、母さまだって……好きな人と結婚していいって、言っていたのに)

 ぎゅ、と拳を握りしめる。

 好きな人がいる。だから、政略結婚なんて、ごめんだ。婚約するだけでも吐き気がするくらいイヤだ!

(よし……行くか)

 ひとりででも、直談判に行こう。

(でもその前に、母さまに相談に行こう)

 ヴィーは思い立ったら即行動派である。今回も例外なく、伺いをたてることなく父王のいる執務室へ足を向けた。



 父王は謁見の間にいた。つい先ほどまで、シラヴィンドの使者の応対をしていたらしい。

 タイミングがよかったのか、すぐに目通りが叶った。

 父王アルティニオスはひどく疲れた顔をしていた。常なら爛々と光を帯びた青い瞳は濁り、目の下に濃いクマがある。余裕綽々とした雰囲気はどこか廃れ、半ば投げやりな態度に感じられた。

 しかし、父を気遣い辞退する気は毛頭ない。


「さっそくですが父さま、シラヴィンドの使者は如何様でいらっちゃったのです?」

「おまえの婚儀についてだ」

「まあ。わたくし、承諾してはおりませんわよ?」

 肩をすくめわざと驚いて言うヴィーに、王はため息こぼし、あきらかに機嫌が悪いのを隠すことなく瞳に剣呑な色をのせる。

「我がままを言うな。おまえはこの国の第一王女。その義務を忘れたか」

「でも、わたくしには国を支えるという……王位を告ぐという義務がありますわ! それに今回の婚儀の件、どうしても納得できません。なぜわざわざ同盟国に嫁ぐのです? わたくしは物言わぬ傀儡ではないわ!」

 後半は感情が高ぶり、自覚できる程父をにらみつけてしまった。

 それでも揺さぶりは効かず、王は淡々と応じる。

「皇太子はミハルアディスに決まった。おまえは継ぐ必要などない」

「けれどミルは身体が弱くて……」

「医者は問題ないと言っている。それにもしミハルアディスがだめでもフェリシアーナがいる。おまえが心配することなどなにもない」

 ぐ、と奥歯を噛みしめる。

「わたくしは……あたしは、必要ない、の?」

 喘ぐように言葉がもれた。

 それでも、王はあくまで淡々と。

「必要ない」

 そう言うのだ。


 ずっと、王位は自分が継ぐものと考えてきたし、そのつもりで学んできた。特に覚悟があったわけではないけれど、漠然と、将来は己がこの国の要になるのだと誇らしく感じていた。

 いつか結婚して子孫を残さねばならないだろう。けれど父も母も好きな人と添い遂げてよいと言っていた。だから己はもし好いている男と結ばれないのであれば、次の王位は弟か妹のこどもに任せればいいと、そこまで考えていた。

 それなのに。

 裏切られた、など思ってはいけない。父王からは一言も「おまえは次の王だ」などと言われたことはないし、もしシラヴィンドとの婚約が必至なら「いやだ」と駄々をこねて我がままを言うべきではない。

 わかっている。わかっているけれど。


「あたし、イヤ」

 ぽつりとつぶやいた声はしんと静まり返る部屋のなかでひどく滑稽に響いた。

 父王がどんなに眉間に皺を寄せて凄んだとて関係ない。足元から視線をあげ、まっすぐに父の青を見つめる。ガラス玉のような、宝石のような、明るい青の瞳。この眼に見られると、射すくめられる。有無など言わせぬ圧力がある。

 それでも。

「あたし、本当にいやなの。わかって、父さま」

「ならん」

 どんなに必死に説き伏せても、父は決して譲らないだろう。

 母から聞いたことが正しければ、父はヴィーの安全のためにシラヴィンド王子と婚約させようというのだ。

『父さまはね、ヴィーのことが大好きなのよ』

 母の言葉を信じるなら、この頑固親父はテコでも譲らないだろう。娘の気持ちなど考えずに、娘の幸せを祈って。


「わかったわ」

 だから、決めたのだ。

 ヴィーは言うなり踵を返して部屋をあとにする。後ろで父のきょとんと虚を衝かれた顔が浮かぶが今は無視だ。

(父さまのわからずや! そっちがその気なら、あたしにだって考えがあるのよ)


 このとき、ヴィーの父アルティニオス国王は、あまり真剣に危惧してはいなかった。なにかする気であろうことは容易に想像がついたが、所詮こどものワガママだ。できることなど限られている。

 ただ、ひとつだけ危惧することは。

「また口をきいてもらえなくなるのだろうか」

 ぼそりと無意識下でつぶやいた言葉は、凡そ一国の王とは思えない発言であったが、幸運なことにこの言葉を聞いた者はなかった。

 はやく愛しの妻に癒されたいものだとため息をこぼした彼は、完全に我が子を見くびっていたに違いない。

 ヴィーは父親似で頑固であり、そして稀に突拍子もない行動力を発揮する。そんな彼女は、母親似の珍しい人徳も持っていた。

 このとき、すこしでも娘の行動に目を光らせておくべきだったのだ――さすれば、この先数ヶ月、彼は頭痛に悩まされることはなかったであろう。

 そうは言っても、もう、遅かった。



* * *


(薄情者の父さまめ!)

 眉間のしわを深く刻み込み、口を堅く引き結んでヴィーは足音荒く回廊を闊歩していた。

 いつもの猫かぶりをかなぐり捨てて歩く様。この状態で人とすれ違わなかったのは奇跡といえる。


 『思いつき』により、リオルネ公爵やランスロット騎士のもとへ向かう最中、ふいに声は聞こえてきた。


 ――ねぇ、聞いた? お転婆姫がまたなんかしたらしいわよ。

 ――知ってる。姫君とは思えぬ所業をしたって、みんな言ってた!

 ――目立ちたいがために火事のなかをわざと歩いたとか……

 ――ちがうわよ。同情してほしくて、だって。

 ――じゃあ逃げ遅れた人を救助したっていうのも嘘なのかしら。

 ――どこからか人を雇ってわざと逃げ遅れさせたんじゃないかしら。

 ――そうよね。その逃げ遅れた人のこと、だれも見たことないって言っていたし。

 ――ほーんと、どれだけ『お転婆』なんだか! 煤汚れてもドレスが切れても気にしないなんて女じゃないわ。

 ――しーっ! だれからに聞かれたらどうするの。

 ――気にすることないわ。だってあの『高飛車姫』よ? だれが味方をするっていうの。あんな『中途半端』な人を!


 侍女たちの控室から声がする。そっと身をひそめ、廊下の柱の陰に滑り込み、耳をそばだてぬよう注意して――意識を散漫させて、聞いた。

 声の音量もさほど大きくはないし、普段なら使用人しか通らない回廊――ヴィーはときどき近道として有効活用させてもらっている――だ。たしかに不経済だと言ってヴィーを味方する者はいないだろう。


 ――それにしても、やっぱりあの人が王家だなんて思えない。どこかの庶子じゃなくって?

 ――たしかに。化粧する前なんて、お父君にもお母君にもあんまり似てないんじゃないかしら。

 ――ようく化けているのね。次のあだ名は『化け物姫』かしら!

 ――『化け物姫』の侍女から解雇されて本当に正解だわ。フェリさまとは天と地ほどもちがうのですもの!


 こそこそと会話しているのは、元ヴィーの侍女たちだった少女だ。三人でくすくす嫌な笑い方をしながら喋っている。

 最初に思ったのは、「まさか侍女たちからも『中途半端』と思われていたのか」だった。


 ――だいたい、たかが安物のペンダントくらいでひどい怒りようだったわよね。

 ――そうそう。『それに触らないで!』だって。きっと癇癪持ちだったのではない?

 ――わたくしたちの好意も無下にして。さすがは『高飛車姫』ね。


(好意……? そうかしら)

 ふ、と息を吐き、ヴィーは忍び足で再度足を動かし出した。もはやとどまる意味もない。

(安物なんかじゃない。これの価値はあたしにしかわからない)

 ぐ、と胸元の雫型ペンダントを握り込む。

 馬鹿にされたのだ。だから我慢できず、不平不満をデオに愚痴ってしまった。あんな奴ら侍女にほしくない、と。

『また、そのペンダントにするのですか?』

『そんなものよりも、もっと高価なものにしましょう』

『こちらのほうが価値あるものですわ』

 彼女たちも一生懸命だったのかもしれない。ただ馬が合わなかっただけかもしれない。

 けれど、このペンダントを『そんなもの』呼ばわりされたくなかった。

 断固として譲らないヴィーに、侍女は明らかに不満そうで、影で怒り狂っていたことも知っている。

『あんな安物をいつもして、わたくしたちのセンスが疑われますわ!』

『どなたからもらったのかもわからないのに。身に着けるなど得体が知れませんわ』

『もう付いていけない。はやく侍女を辞めたいわ』


 だからその通りにしてやった。彼女たちの悪態も告げ口せず、父王の計らいで第二王女の侍女になれたのだ。これで充分だろうに、彼女たちは己の態度をかんがみず、『ヴィーに味方がいないからバレてない』と思っている。

 実際そうなのかもしれない。だから怖くて、侍女たちの立場を護るふりして父王にすら話せないのかもしれない。

(けれど『彼』は気づいてくれたわ。悲しいときも寂しいときも、ひょっこり現れてあたしを笑わせるピエロなのよ……)


『なにかあったら庭師に相談しなさい』


(そうね。そうしよう)

 リオルネとランスロットの元を訪れたあとで向かおう。先ほどまでの怒りは鎮まり、ヴィーは穏やかな気持ちで足を進めた。


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