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ネイの魔法  作者: 詠城カンナ
第一章 Jacta alea est
14/26

11 闇にひそむ吟遊詩人は(1)

「条件は」

 ゆっくりと言葉を紡ぐ。顔は余裕の表情で。

 じりじりと気持ち後退しているのは向こうのほうだ、こちらは平気――強く自分に言い聞かせて。

「なんだよ」

 ロナンが焦れたように声を発する。ヴィーはにこりと目を細めた。たぶん、いつになくあくどい笑みに見えることだろう。

「聞く気があるの、ないの?」

「条件次第だ」

「そう。じゃあ――あなたたちの、ボスに会わせて」

 よどみなく言い切る。

 目前の男は目をぱっちりと見開き、しかしやがて腹を抱えて笑い出した。

「ハッ! だれが小娘ごときに!」

 笑われたものの、ヴィーは内心ガッツポーズだ。

 この二人組に見覚えもなければ身に覚えもない。

 しかし。

 彼らはなにかを『探している』。そして以前にも、『探し物』としている男たちがいたはず。もし、彼らが前回の火事に見せかけた『煙事件』の犯人と関わりがあるのならば、ボスはいるはずだ。

「小娘でもなんでもいいの。わたくしは条件を提示ているのよ――ヨニ、という人に」

 男か女か、若いのか年寄なのかもわからないけれど。

 前回の犯人は「ヨニさま」と言っていた。すくなくともそいつが上層部なのはたしかだ。

 ヴィーは扇で口元を覆い、なるたけ表情を隠して相手の出方をうかがう。

 先ほどまでの大笑いはどこへやら、ぴたりと声をとめ、じっとこちらを見つめてくるロナン。悲鳴を上げなかったことを誉めてほしいくらいだ、とヴィーは思う。眉間にしわを刻みカッと目を開いた彼は、まるで地獄の亡者、般若、悪魔、とにかく凄まじく恐ろしいものを連想させる表情をしている。

(あら、やりすぎた? 失敗しちゃったかしら)

 前回の男たちは『ヨニ』の名を結構口にしていたように思う。そこまで顔が怖くなるほど、「ヨニ」という名は地雷なのだろうか。

 沈黙を破ったのは、ユハニだった。

「めんどくさい」

 唐突な声だったが。相方のロナンは慣れたもので、ジロリとにらみを効かせる。

 がしがしと白い頭をかき、ため息をついたあとでユハニは首を回した。身体中から『疲れた』を醸し出している。

「いったん戻ろう。その子がどんなつもりで『ヨニさま』の名前を出したのか知らないけれど、体制を立て直したほうがいい」

「黙れよ」

「聞けよ。俺たちの目的を考えろ。ここで時間を喰うわけにはいかないし、その子を攫って拷問するにはリスクが高すぎる」

 饒舌に語り出したかと思えば恐ろしいことを淡々と口にしている。もしかすれば、ユハニという男のほうが冷酷で残忍なのかもしれない。

 ヴィーは思わずぎょっとした顔を渾身の表情筋を使って戻し、何食わぬ顔でほほえんで見せた。

 再び緊迫した空気に包まれた、さなか。

 くん、とロナンが匂いを嗅ぐように鼻を動かし、舌打ちとともに闇に消えた。ほとんど同時にユハニも動き、さっと身を翻して姿を消す。

 なにがなんだかわからぬうちに、ヴィーはその場にひとり残される。まるで夢が醒めたように、他にだれもいなかったように。

(な、に……コレ……)

 先ほどまでの緊張はなんだったのか。なぜ唐突に、しかも渋っていてロナンまで退却したのか。そもそもあの身のこなしは一般的ではない。

(なに、アレ!)


「夜風は身体に響きますよ、レディ?」

「ひっ」

 いきなり肩を抱かれびくりと身体を縮めたが、聞こえた声は馴染みのものだ。

 声の主を認識し振り返ると、ヴィーの短い悲鳴にやや傷ついた顔をした、飴色の髪の男がいた。

「ご、ごめんなさい。驚いてしまって……」

「いや、僕のほうこそ驚かせたみたいで。……大丈夫だった?」

 灰色グレーの瞳が優しげに問いかける。反射的にヴィーは「ええ」と頷いたが、彼の「大丈夫だった?」という問いはなにやら含みがあったように思う。

「ならいいんだ。お父上が捜していたよ? 僕と戻ろう」

 ぐっと肩を抱かれ、有無を言わさず歩き出す男に、ヴィーも抵抗なくつづいた。

 男の名はケネス。宰相クリスと肩を並べるほどの有能な文官であり、フェリの家庭教師でもあり、ヴィーの専属騎士の兄でもある。やや軟派な雰囲気はあるし、同時期に複数人の女性と交際をするという強者でもあるが、根はいい人であると認識している。でなければあの父王の家臣など務まらない、と。

 そんな彼はスキンシップも多い。小さなころから見知っているためヴィーには抵抗はないものの、それにしても違和感が残る。彼はいつもなら女性の歩幅に合せてゆっくり歩くのに、今はなるだけはやく足を動かし急かしているし、顔は笑っているものの周囲に目を走らせ警戒を怠らない。

 おかしい――まるで、先ほどの二人組を警戒しているような……?

(まさか)

 あの二人組がヴィー以外の気配、つまりケネスの気配を感じとり退散したのは推測できる。しかし、彼は? まさか彼も二人組の気配を感じとり、ヴィーのピンチに駆けつけたというのだろうか?

(ありえないわ……)

 ケネスは容姿はともあれ才能は父親似である。つまり、根っからの文官派。体力も剣術も素人に毛が生えた程度で、殺気や人の気配にはお世辞にも敏感とはいえない。

(だれかに頼まれるわけないし……)

 不穏な気配に気づけるほどの人間ならケネスに頼むより自ら動いたほうが賢明だし効率がいい。もしヴィーを囲んでいたのが貴族のお嬢さんなれば口説き上手のケネスが選ばれても疑問はないが。

 ふと、何の気なしに口をついて言葉が出た。

「だれか……他に、だれか、いた?」

「いいえ」

「そう……」

 にっこり笑みのままケネスは答える。断定だ。

 ヴィーはそれ以上尋ねなかった。


 奇妙な疑問を抱きながら、ヴィーはケネスに連れられ明るい華やかな舞踏会へ戻っていった。



***


 一方、ヴィーたちが去った庭園。ほのかな明かりはあるものの、日はとっくに沈み、薄墨色の夜が広がっている。

 風が出てきた。

 滑るように、男は歩いていた――実際、足は地につくことなく少し浮かんでいる。

 男は闇に溶け込めそうな色合いの服を身に纏っているせいか、闇夜の化身といわれても違和感ない。

 レイブン色のゆったりしたロングコートをはおい、フードを深くかぶっていて男の表情はうかがえない。

 否、フードの下の顔には、口だけが露わになった仮面をつけている。赤、黄、青で装飾ペイントされ、赤い涙を流したピエロを模した仮面だ。

 不気味だった。

 道化師ピエロが笑うように、男の口元も嗤っている。


 彼は音もなく庭園へ降り立つと、口角をさらに引き上げた。

 そして。


「なにをしているのです?」


 声はあくまで静かに、穏やかに問う。

 突然声をかけられ振り向いたのは二人組の男。先ほどまでヴィーを囲んでいた、ロナンとユハニという名の青年たちだ。

「聞こえませんでしタか――あなたがたに、尋ねているのデスよ~」

 やけに間延びした喋り方。低すぎず高すぎず、けれど耳に心地よい声。

 闇から生まれ出たように。気配もなにもかもが、奇妙な出で立ち。

「同胞に手をかけて、あなたがたの『女王』は喜ぶと……そう、お思いですか」

 彼の声に、青年たちは身体を強張らせた。

 臨戦態勢に入ったものの、ヒトより秀でた能力をもつ青年たちには手に取るように相手の実力がわかった――いや、わからなかった。わからないということは、自分たちより遥かに上の存在ということ。

 たらり、と嫌な汗が流れる。

 それでも、普段から負けん気が強く短気なロナンは吠えた。

「同胞だと? 冗談言うな! あれは人間だ!」

「ええ、ええ。そうデしょうとも……あなたたちと、ほとんど変わらない」

「俺たちは選ばれし種族だ! ただのニンゲンどもと一緒にするな!」

 ロナンの言葉に『彼』はさらに、嗤う。

「どなたが、そうおっしゃっていたノですかぁ?」

「ヨニさまさ! あの方のためなら、俺たちはなんだってやる! 貴様の小娘なんて一ひねりだろうよ」

 興奮し、牙を剥き出しにしてロナンは声を荒らげた。

 背後でユハニが咎めるように声を上げるが、今の彼には聞こえない。

「これは復讐だ! 世界への! 俺たちを冒涜した、すべてへの――」

「『デキソコナイ』に、なにができると言うのです~?」

 高らかに宣誓するロナンの声を遮り、くすくすと笑って男はつづけた。

「アハハ! これは見ものだ! なんてツイているのでしょう!」


 手を広げ、仮面と一緒に男は笑う。

 闇のなかに、彼の声だけが異様に響き、木霊し、まるで演劇を観ているかのような錯覚を起こさせる。


「……おまえは、ダレ?」

「ワタシ?」


 ユハニがぽつりと尋ねた。闇に溶けてしまいそうなほど小さな声だったのに、男はゆっくりと首を傾げてユハニと視線を合わせる。

 びくり、と彼らしくもなく、ユハニは怯えた。

 はじめは計りかねていた。いきなり現れた男。奇妙で不可思議で妖しい男。姿かたちも、背格好も、声も、喋り方も、言葉もすべてがオカシイイキモノ――

 彼はなにを知っている? 『同胞』? 『女王』? 『デキソコナイ』?

 珍しくも焦った。焦って、どうしようもないことを悟る。

 野生の動物。弱肉強食。まさにソレだ!

 ロナンだって肌で空気の重みを感じ、本能で危険を察知しているのに、変なプライドが邪魔して逃げることもできず吠えている。ユハニは冷静になろうと努めたが、どうしたって鼓動ははやまるばかりだ。

 ごくりと生唾を呑み込んだ。もしかすれば、己たちは今日ここで、死ぬのかもしれないと考えながら。


「そう、ワタシ、ワタシは――」


 面白そうに、愉快そうに、狂喜して、仮面の男は朗々と告げる。

「今のワタシはただの吟遊詩人デス。舞踏会に呼ばれ、乞われた歌をうたい、客人に一時の夢をみせる……それが今のワタシです」

 ですから、と彼はつづけた。

「あなたがたももちろん役者キャスト。この物語に新しい風を運んできた出演者……ですから特別にご忠告して差し上げましょう」


 声は響く。闇夜に響く。

「どんな悪役を演じても、物語を悲劇にしても、めちゃくちゃにしても、構いません。ただし」

 仮面は、たしかに笑っていた。

 けれど吟遊詩人は、嗤わずに。

「あのこを傷つけるなら――舞台から退場していただきマスからねーぇ?」


 最後には、にっこりと。


 ロナンもユハニも、自然に滝のような汗を流しながら、人形のように何度も強く首を縦に振った。

 獣の本能が言う。

 逆らうな、コイツに逆らうな! 絶対に!


 吟遊詩人は「よかった」と口元だけでほほえみを浮かべ、踵を返す。

 彼の姿が見えなくなってもしばらく、青年たちはぴくりとも動けなかった。



や、やっと出せた!

いろいろ昔より変化しているなぁ、彼、と思う。

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