10 舞踏会(3)
外はたしかに涼やかであった。けれどある意味、暑苦しくもあった。
パーティーを抜け出したうら若き乙女と若人が、ひっそりと愛をささやきあいながら屯しているのが見える。ヴィーはふたりの男に悟られぬようため息をこぼした。
テラスを抜けてすこし歩けば庭園の奥まった所へ出る。足はそちらに向いているようだ。
チ、と舌打ちする。「おや、何の音だ?」と首を傾げる好青年にヴィーも「なにかしら? 鳥かしら?」と首を傾げてやり過ごした。軟派男は白髪をかきあげ、「まるで雛鳥の親を慕い呼ぶ声のようだ」とかなんとか言っていたが、胸やけがしそうでそのままスルーした。
やがて、人の気配がないところまでやってきた。噴水がはねる音だけが静寂のなか響いている。
ヴィーは開いていた扇を閉じ、すっと背筋を伸ばして振り返った。
「――で、わたくしになにか?」
突如雰囲気の変わった――むしろ貴族の前に出すいつもの顔に戻った――ヴィーに虚を衝かれ目を見開いた青年たちであったが、立ち直りははやかった。軟派風な男はスッと表情をなくし、逆に好青年風の男は口元にニヤリと笑みを浮かべ、先ほどまでの面影は一切ない。
軽くショックを受けつつ、表には出さない。ヴィーもなるたけ父王の顔に真似ながら沈黙を守った。
口をひらいたのは、好青年風だった男だった。
「さすがはあの王の娘! 俺たちが名を騙っていたこともお見通しというわけか」
なんですって? と目を見開き、男の胸ぐらをつかんでグラグラ揺らしながら問い詰めたい衝動に駆られたが、なんとか声は出さずに済んだ。動揺の現れにくい父親の表情にはじめて感謝したいくらいだ。
「改めまして、マイ・レディ? わたくしはロナンと申します。こちらはユハニ」
好青年だった、けれど今は野獣のような男がロナン。軟派風だった、けれど無表情になった男がユハニ。
ヴィーは頭のなかで繰り返し、覚えた。
無言になっていたからだろうか、ロナンは声を出して笑い、肩をすくめる。
「警戒の強いお姫さんだ」
「よく入り込めましたね」
努めて冷静に問う。ぶるりと震えそうだ。
「よく言うぜ。わざわざ泳がしているっていうのか? アンタの親父は気づいていないようだが、ありゃあ、演技か?」
「……どうかしら」
背中を嫌な汗が垂れる。どうも、話が見えてこない。
強がりのクセで、口角を引き上げてしまう。余裕綽々の笑みに見えることだろう。
「単刀直入に聞いてやる。《涙》はどこだ。なぜあの女から獣のの匂いがする」
ぐるる、と唸るがごとく、ロナンは歯を剥き出した。
ごくりと生唾を呑み込む。
「さあ、なんのことか、さっぱり」
「侮るなよお嬢ちゃん。その様子じゃあ、俺たちの正体にも気づいているんだろう?」
――正体? なにそれ。
ごくんと言葉を飲み下し、あくまで落ち着き払って無言を貫く。『その様子』がどの様子なのか知れないが、ふっと思い浮かんだ父王の――他人を見下したような、ツンと澄ました表情は、なるほどたしかにすべてを見通していそうである。しくったかな、とヴィーは内心毒づいた。
喋ればボロが出る。けれど幸い勝手に相手は喋ってくれる。この口の軽い男に、さっさとそっちの情報を吐いてもらおう。
「ロナン、無駄口は禁止」
けれど思惑はうまくいかないようだ。口をひらきかけたロナンに被せるように、今まで無表情・無口だったユハニが声を出す。
ロナンは「わかったよ」と舌打ちまじりに言いつつも、探るような視線をこちらに向けた。
「『見張り』が煩いから、最終通告だ――貴様こそだれだ、お嬢ちゃんよ?」
「はあ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。これだけ焦らしておいて、「おまえはだれだ」はなかろうに。
「わたくしの名を知らぬはずはないでしょう。この国の『王女殿下』ですわ」
一笑し扇で口元を覆う。なにを企んでいるのだろう?
ロナンは相変わらずの笑みを浮かべたまま、困ったものだと肩をすくめた。
「俺たちにだって情報を集める手段はあるんだ――それにしてもこんなに表情豊かな『お姫さん』だとは。噂はあてにならないなぁ……?」
ニヤニヤしながら語る男は、本当に好青年だった男と同じ人物だろうか。まるで獲物を狙う猛獣ではないか!
思わず身をすくめそうになったヴィーに、しかし男はなにを勘違いしたのか、満足そうに頷き、舌なめずりした。
「そう、それがなによりの証拠さ。アンタは『姫』じゃねぇ。そうだろう? 『お嬢さん』よぉ?」
この勘違いがツイているのかいないのか。
扇で口元を覆ったまま、ヴィーは静かに問いを口にした。
「……もし、わたしが第一王女でないのなら?」
「それなら――」
ニヤリ、とよりいっそう深めた笑みに、ぞくりと背筋が凍る。
ロナンの背後で、ユハニと呼ばれた男は冷たい目のまま、腰に手を当て態勢を低くした。
「――それなら、捕まえて、拷問して――死んでもらう、かな!」
男の笑みが残虐に歪む。懐から出された手には、夜の闇にも鈍く光るナイフが握られていた。
ヴィーは思わず目をつむる。はやまった、と己の過失を悔いてもいまさらだ。
はじめにこの二人組が名乗った際に、もっと注意しておくべきだった。名を騙っていたならば、その容姿と名が一致せず、印象に残るのも薄いはずだ――なめられたものだ、とヴィーは舌打ちしたくなる。
つまりは、ヴィーを『他人に興味ない姫』として相手は接してきたはず。だから名を騙ってもバレぬだろうと考えたし、いつもなら早々に壁の花となるはずで、そうなったが最後、だれにも注目されないのをいいことに捕える算段だったはず。
しかしどうだろう。当のヴィーはにっこり笑みを常備し、愛想よく振る舞っている。壁の花になる気配もなく、常に人の目にさらされている。よって酒を飲ませ連れ出す手はずに急遽変更したものの、酒も断られ取りつく島もない――と思っていた矢先、おつむの弱いお姫さまは警戒もなく男についてきた、というわけだ。
なんて愚かな姫だろうと思えばしかし、雰囲気を一変して目的を問いかけてくる。男たちは意表を衝かれ、しかしこう思ったことだろう――王女には身代わりがいるのではないか?
第一王女なれば、のこのこ男たちについていくことはしまい。かといって普通の小娘にしては余裕がありすぎる。さてはおびき出されたのか。
(そんなわけ、ないじゃないの)
ヴィーは頭を抱えいじけたくなるのをなんとか堪えた。
そもそも、この二人組が怪しい、と思って誘導されたわけじゃない。貴族のなかで育まれるはずのあしらい方も駆け引きも、正直ヴィーは苦手だった。だからいつもは『冷酷陛下』とそっくりの表情を張り付け極力他者に近づけさせないようにしていたし、もし向こうが仕掛けてきても余裕の笑みを浮かべてやり過ごしてきた。これが案外うまくいくものだから、それでいいと思っていたのだ。
はぁ、と小さくため息をこぼす。
妹のように愛らしい笑みで相手を喋らせ駆け引きすることも、弟の人畜無害そうな顔で誘導することもできない。不器用で、苦手なことからは逃げていただけ。そんなヴィーに、このようなピンチを切り抜けるすべはない。
常なれば、専属の護衛騎士がいた。今日だって、本当なら腕っぷしは国の騎士では三本の指に入るくらい強い者がついていた。だから不貞を働く輩など、いないはずであったのに……。
ヴィーはチラと二人に目を走らせる。
ロナンはぺろりと舌なめずりし、今にも襲いかかってきそうだ。ユハニはなにを考えているのかわからない無表情だが、態勢はすぐにでも反応できるものだ。
じりじりと後退しても、向こうもじりじり迫ってくる。
「余裕だな、『お嬢ちゃん』」
だんだん馴れ馴れしさを増すロナンであるが、ヴィーは鼻で笑ってやった――やってから後悔したが、つい余裕に振る舞ってしまうのはクセなので仕方がない。無駄に悠然とかまえ相手を刺激してしまうことだけは一人前になっている。
この悪いクセにヴィーの護衛騎士は「さすが女王さま! 風格が備わってる。さすがは完璧な我が主。下僕として嬉しゅうございます」とうんうん頷き煽るのだ。決して認めてはいないが、この騎士は己がヴィーの下僕であると公言している。迷惑極まりない。曰く、「出逢った瞬間から、いえ、生まれた瞬間からあなたさまにお仕えする所存でございました。ああ、なんとお可愛らしい唇、花の香る髪、わたしを誘惑する綿菓子のような肌――いけない人だ」らしい。
なまじっか顔が整っているこの騎士のせいで、言われもない噂もたったことがある。父の第一騎士にも「お父上の真似をしてはいけませんよ。いくらお気に入りができたからといって、げ、下僕だなんて……」と顔を赤らめられた。いろいろツッコミたかったが、とりあえず遠い目をしてやり過ごした記憶がある。
さて、現実逃避からもそろそろ戻ってこなければなるまい。
ふっ、と息を吸い、目をあける。
扇を持つ手はすこし震えていたけれど、気づかぬふりをした。
「あなたたちの探しているもの――その在り処を、たしかにわたくしは知っていますわ」
ツンと顎をあげ、澄ましたまま告げる。
ロナンが喜色ばんだのがわかったが、無視してつづけた。
「ただし、条件があります」
作戦を練る暇もなかった。だからこれは時間稼ぎだ。
どれだけ相手にばれないか、演技力が試される。ヴィーは知らず、ごくりと喉を鳴らす。
「……条件? それを俺たちが聞くとでも? さっさと渡したほうが身のためだ」
ロナンの声はからかいが混じっていたが、目は笑っていない。脅しと決めつけるにはあまりに本気の色だ。
(そりゃあ、あればすぐにでも渡したいですけどね……)
けれど、ヴィーにはどうしてもできない。彼らの欲しがるものなど皆目わからないのに。
そう、つまりは――はったりなのだから。




