9 舞踏会(2)
ヴィーはにっこりと笑う。
「気色悪いのよこのボンクラ息子が!」
そして思い切りきれいな右ストレートをかましたのだった――心のなかで。
時を少しばかり遡る。
さて、第一王女ヴィヴィアクリナといえば、いつもツンとすましているかと思えば眉間にしわを刻み、会話に加わることなくミルとはまたちがった『壁の花』状態である。フェリと同じく父王そっくりの美貌――に見えるよう化粧を施し――をながらも、けれど決してにこりとも笑みは見せなかった。そんな彼女を人々は『高飛車姫』と嘲り『おてんば姫』と揶揄したり、父王そっくりで『扱いにくい』と遠巻きにしたり。最近ではあまりの能面ぶりに『感情のない人形姫』なんて呼ばれたり。
とある者は「あの澄ました態度が気に食わない。きっと将来は権力を我が物顔で行使するのだろう」と顔をしかめ、またある者は「他者に愛想を振りまかないのは下賤な者と蔑んでいるせいだ。『深窓の姫君』ともてはやされ愚かしいことに気づいていないのだろう」と言う。
貴族間でのヴィーとフェリの姉妹は、同じ涼やかな美形という系統ではあるが表情はまったくちがうという認識だ。ヴィーは愛想がまったくないが、フェリはふわりと笑みを見せる。どちらに軍配が上がるかなど言われなくてもわかるだろう。
弟王子ミルは外見を裏切らず儚げで、身体が病弱である。令嬢方の目を奪うくらいの美貌は兼ね備えているが、将来の権力者たる期待はできず、「なんて腑抜けな!」と言われる以外は、ヴィーのように貴族の論争に巻き込まれいわれのない噂が立つこともない。
いつからかヴィーは『きょうだいのなかで唯一の愚作』とひそかに称されるようになった。
(まぁ、いいわ。どうせあたし自身が己を『中途半端』だと思っているのだもの)
はじまりは、ヴィーにうまくあしらわれ腹を立てた貴族がこぼした「お転婆姫」の一言であったのに、いつしか尾ひれはひれがついて、すっかりヴィーはとっつきにくいお姫さまになってしまった。
海賊に預けられていたときも、居場所を暗殺者から隠すために『離宮に引きこもっている』と公表したことが災いしたのか、『深窓の姫君』と印象づけられていたものだから、現状のヴィーを見た人たちは逆に『人付き合いのできない王族』という認識になってしまったようだ。
ヴィー自身は己が王位を継ぐものと考えていたから、無駄に媚を売られなくて清々している、と強がっているのだが。
しかし、今宵のヴィーはいつもとちがって積極的に貴族の話の輪に加わっていた。
宝石を散りばめたいかにも金をかけた扇で口元を覆い表情を隠しつつ、目だけはいつも笑みのまま、貴族の話に耳を傾けている。ダンスに誘われれば快く応じ、さして面白くもない話に微笑をもらし、自慢には大袈裟に感心してみせた。
(仕掛けは上々、ね)
うっすらと目を細め、扇の裏でにんまりと笑う。
パーティーがはじまってしばらく経たぬうち、貴族たちの眼は好奇心に輝いてヴィーを追い、固まってお喋りに呆ける口から放たれるのは『王女殿下』のお話である。
――やや、今宵の殿下はいつもとちがうようだが。一体全体、なにがあったのか……
――夜会の度に見かけるツンと澄ました無表情とは大違いだ! まるで別人ではないか!
――父君にそっくりだと思っていたが、あんなふうに笑えるとは……母君にも似ているようだ。
――しかし、どうして突然お変わりし申したのだ? いいことでもあったのだろうか。
――ああ、そうか。あの噂が本当ということだろう……ヴィーさまが、ご婚約なされたという、あの……
ほくそ笑んでいたヴィーは、しかしカッと目を見開き憤慨する。
(ち・が・う・わ・よ! なんてこと! 婚約したなんてデマが、こんなにはやく広まっているなんて……)
突然の話題転換に、ヴィーは思わず集中してしまう。それからはいくら耳をそばだてたとて、音は取捨選択できそうにない。
ヴィーは耳がよかった。母のステラティーナもとりわけ耳がよく、どんな些細な音も漏らさず聞き分けられたが、ヴィーの場合それはちょっとちがっていた。彼女は『集中すると聞こえなくなる』のだ。耳をそばだて一生懸命聞き分けようとすると、まるで反発するがごとく耳はただの雑音しか拾わない。その代り、無意識下のヴィーの耳は凄まじい地獄耳であるのだが。
たとえば。
とある夜会の折、ヴィーは貴族の挨拶を受け、便宜上に応じる。次から次へと述べられ応えていく狭間、ふと耳は離れた場所の『貴族の娘たちの噂話』を聞きつけるのだ。
または、夕食の折、父と会話している最中。隣で母と弟妹たちが会話している内容も耳に入りかつ理解できる。そのまま答えることもできる。
庭園で花を愛でつつ、決して近くはない場所を通りかかった侍従たちの話も聞き取れてしまう。
このようにヴィーの耳は情報収集にはもってこいの耳であった。
そして今現在も、ふたりの青年と会話しながらホールにいる貴族たちの話題を拾っていたのだが。
『婚約したらしい』という聞き捨てならない台詞に意識は持っていかれ、もはや無意識にはなれそうにない。残念だが。
それでも、当初の目的『意識させること』はできたようだ。貴族たちはそろって首を捻っていることだろう。今まで人見知りという苦手を克服せずサボって、ある意味興味を抱かれないようにしてきたが、ここで遅まきながら貴族の掌握に務めた。まずこちらから仕掛けねば。
作戦は実に完璧に――みえた。
予想外なことが起こったのは、ヴィーが五人目の男にダンスを申し込まれた後だった。
さすがに疲れてきて次は断りを入れようと画策するヴィーに、その男二人組は実に穏やかに話しかけてきた。
「こんばんは、王女殿下。今宵も月が隠れるほどのうつくしさですね」
「たしかに、どんなにキレイな夜空の太陽も、あなたの前ではかすんでしまう」
背丈はそれほどないが物腰が柔らかそうでいかにも軟派な雰囲気の青年と、平均より背が高くさわやかな笑顔を張り付けた一見好青年だ。目が合うなり砂でも吐きそうな甘言をささやき目を細める男たちに、ヴィーは内心目を眇めたものの、表面上はおくびにも出さすににっこりとほほえむ。
「まあ、お上手ですこと」
名前は思い出せなかった。
たしか、一度パーティーがはじまってすぐに挨拶されたような気がするが。
仕方なしに《秘儀・父上そっくり微笑》をかます。これで誤魔化させてもらおう。
「それにしても、今宵はツイているようだ。あなたのような女性とこうして語り合えるなど」
語り合ってはいないだろう、というツッコミは心のなかにとどめておく。
「これは珍しい、ベルバーニの《銀の誘惑》ですね。王女殿下はいかがです?」
好青年然としたひとりが手にグラスをもち勧めてきた。《銀の誘惑》とは光をかざすと透明ななかに銀色のきらめきが見える不思議な酒で、口当たりがいいものの女性にはやや強い。男が勧めてくる理由はだいたい己がモノにしたいという『誘惑』の意を示すのだが、目の前の青年にはそんな下種な意志など片鱗も見受けられない。勘ぐるだけこちらが恥ずかしいとさえ思えるほどさわやかだ。
ヴィーはにっこりと笑い、けれど困ったように首を傾げる。
「ごめんなさい、わたくし、遠慮しておくわ」
他の国はしらないが、カスパルニアでは飲酒は十八からと定められているし、たいていパーティーで勧める場合は相手が既婚者か身内の場合のみだと暗黙の了承があるはずだ。
(まあ、老け顔かもしれませんがね)
ジト目でにらみそうになり、あわてて口角を上げてやる。
まったく、今夜だけで随分表情筋が鍛えられそうだ。
「それではこちらはどうでしょう? 《春風の乙女》――やはりベルバーニの飲み物ですね。令嬢には人気と聞きます」
視線も耳も意識も青年に向きなおしたところ、再度勧められた。グラスには淡いピンク色をした液体が入っている。が、これももちろん酒である。
若い女性、それも十八以下でも抵抗なく飲めるほどアルコール度の低い酒であるらしく、夜会ではこっそり口にするものも多いと聞く。が、王女自ら決まり事を破るのは頂けない。やはりこちらもにっこり笑って丁重にお断りしておいた。
それにしても、《銀の誘惑》といい《春風の乙女》といい――ベルバーニの酒はどれも銘柄で人気があるのだが、如何せん名前が夢みがちな少女の恋物語のようなものばかりである。ヴィーはいつも笑い出したくなるのだが、妹のフェリは新作が出る度その面白おかしい名前を楽しみにしている。酒ではなくその名前に興味を持つなど、彼女自身変わっているのだが。
侍女の盆にグラスを戻し、軟派男は残念そうに肩をすくめた。
「そうですか……人波に酔いましたかな?」
「ええ、そのようですわ」
笑顔が効いたのか効いていないのか、二人組は穏やかな表情のまま、けれどごく自然にヴィーの肩や腰に腕を回してきた。
「顔色が優れないようだ。どうかこの卑しきわたくしめに外の涼やかな場所まで案内させていただけませんか?」
「さあどうぞ。なあに、大丈夫。不遜な輩からはわたしたちがお守しましょう」
ぞわぞわぞわ、と鳥肌が立つ。もしくは腹を抱えて笑いたくなった。軟派な男はウィンクまでしてきたのだから、仕方がない。お守りされるどころか逆にこちらがやられそうではないか。
仕方がなしに、冒頭のセリフをお見舞いした――もちろん、心のなかで。
ヴィーはチラと周囲に目を走らせる。しかし今宵の護衛の騎士の姿は見えない。専属騎士の不在を理由に父から特別につけられたオレンジ頭の騎士は、この夜会でも目立つはずなのに見当たらない。どうやら近くにいないらしい。
焦る思いを押し殺しつつ、ヴィーは「心強いですわ」にとどめ、促されるまま歩き出した。




