7 決意と準備
湯浴みをし、身体中に香りの強いオイルを塗られ、化粧をし、髪を結い上げ、ドレスを身に纏う。
鏡のなかの少女は、せっかくのドレスアップにも関わらず口をへの字に曲げていた。
とうとう舞踏会の当日。先日の父に叱られた行動もあり、渋々ながらヴィーは準備に取り掛かった。
侍女はサロメひとり。他の者を呼ぶことも断った。母も自分の侍女を貸そうかと言ってくれたが、母だって己の準備があるのだからと断る。だから朝から準備に取り掛からねばなるまい。
ひとりの侍女ですべてを熟すのは大変で、なかなか慣れない支度にサロメは四苦八苦状態だ。けれどヴィーはもともと己でなんでもやってしまうことが多く、人の手を煩わせるのは苦手だ。それが顔に出てしまうためか、だからこそ以前の侍女たちとはソリが合わなかったのだが。
先日の事件――火災ということで発表されたらしい。表向きは原因は不明、しかし実際はちょっとした客人が燭台を倒して火元をつくった、ということで片付いている――それすらもすべて表向きの発表であるのだが。
ヴィーが捕えた二人組の犯人たちは下っ端らしい。もっている情報もすくなく、きちんとした行動の理由はわかっていない。ヴィーが話に聞いた「ヨニさま」などのことも事情徴収されたが、それがだれなのか父は顔を曇らせたまま教えてくれなかった。
「憂鬱ね」
ぽつりとヴィーはつぶやく。鏡越しにサロメが首を傾げるのが見えた。
ため息をついて、再度口をひらく。
「先日の一件であたしみんなに見られたじゃない……ほら、いろいろと」
いろいろとは、変なゴーグルを装着して簀巻きにした男たちを二階から転がしたこと、己も野生児のごとく非難したこと、などなど。手足に擦り傷をつくりドレスは破れ、とても一国の王女とは思えぬものだ。
「あア! ミんな、見テ、まシた」
なぜかパアッと顔を輝かせてサロメは言う。本人もあの場にいたようだ。
「トテも落ち着いて……冷静でイラッしゃって、さすガは、ヴィーさマです!」
「そんなわけ、ないわ」
ヴィーは件の日、落ち着いていたわけではない。一見冷静に行動したように見えても、頭はパニックを通り越してしまっただけだ。ああいう場面ではいつもそう。後日思い返しても、どうして己がああいう行動が取れたのか、どこか靄がかかったように思い出せない。
つまり無我夢中、我武者羅だったのであろう。
顔を曇らせるヴィーに、サロメはにっこり笑った。
「大丈夫、平気、デす。皆、ルイーズさんト、フェリさまの、ご活躍に夢中デ、だかラ……陛下があの場所マデ、率先して、駆け込んダ、です……ヴィーさまヲ大切にし、い、イラっしゃるんデす!」
ヴィーはぽかんと口をあけた。
なぜあんなに人が多かったのだろうと思っていた。それも貴族にはあまり好意的に見られないヴィーのために、だ。きっと父王の手前そうしたのか、あるいは野次馬根性で騒ぎ立てたのか、もしくはああいう場面にはそういう人の好き嫌いも関係ないものなのか……それはともかく、どうしてだろうとは疑問に思っていた。
常より饒舌なサロメが言うには、つまり連絡を受けたアルティニオスは一目散に例の場所まで足を運んだのであろう。騎士や宰相が止めるのも構わず、なりふり構わず……【冷酷王】が必死なのだ、城の人々が何事かと集まるのは必須である。
(けれどまぁ、いろいろな意味で、フェリたちのおかげで救われたみたいね)
注目をされないならそれに越したことはない。王族にあるまじき奇怪な行動だと噂されるのはもうこりごりだ。
鐘が鳴った。
「そろそろ行くわ」
「ハイ、オキレイです! がんばって、クダさいね」
もう一度、鏡の前に立つ。
淡い色をベースにしたドレスは、ピンク、赤、薄紫、白でまとめられている。上質な生地をふんだんに使っており、全体的に身体のラインはきれいに出されている。首の周りは薔薇のモチーフとレースであしらわれ、胸元を引き立てている。後ろのリボンは薔薇の形に結ばれ、シンプルながら上品な雰囲気をかもしだしていた。
足元も同じく薔薇をモチーフにした靴を、頭には銀のティアラをのせてできあがり。
髪はゆるく横に結んで垂らすだけにとどめた。もともとヴィーの髪は赤みのやや強いストロベリーブロンドで華やかさを出している。青みがかった緑という不思議な色も相まってか、ちょっとした小道具だけで随分と着飾って見えるのだ。
今宵の化粧のベースは母である。つまり、柔和な顔立ちになるように整え、淡い桃色を使ってメイクした。しかし表情や仕草のベースは父王にするつもりだ。というか、無自覚でそうなるだろう。愛想をつくるのは難しい。化粧も父王ベースの凛とした冷たさのあるようにしたかったが、今回選んだドレスには不向きだと考え、泣く泣くあきらめた。
胸元にかかる、ペンダントに指を絡ませる。ヴィーの瞳と同じ色の雫型の石。なかに小さな三日月と星が寄り添うように浮かんでいる。
(ネイ……)
今宵の夜会、ヴィーは絶対にしなければならないことがある。これを機会に、父王を説得するつもりだ。
だからこの華やかさとやさしさを同時に併せ持つドレスを選んだのだし、決して貴族の前ではすることのなかった母親ベースの顔に化粧したのだ。
(やるわよ)
再度、ぐっとペンダントを握り込み、ヴィーは決戦へと赴いた。
「姉上」
悶々とやる気をため込んでいたヴィーに声をかける者がいた。そもそも彼女に自分から話しかける人間など数えるほどしないない。
振り返ると、予想通りの顔があった。
「ミル、ルイーズ」
「姉上、ひとりで行動は危ないって母さまに叱られるよ?」
「恐れながら王女殿下、たとえ専属騎士が不在でもだれか側につけてください」
開口いちばんにお叱りを受け、ヴィーはおとなしく謝る。
現在ヴィーの専属騎士はいない。一か月ほど怪我の養生のために実家に帰っているのだ。
ミルとルイーズは苦笑していた。
今宵、ミルは全体的に緑でまとめてきた。軍服をベースにしているのか堅い雰囲気はあるものの、ちょっとしたところに金色の刺繍を入れ、シンプルながら気品にあふれている。隣のルイーズはいつもの紅蓮の制服なので、彼女に合わせたようにも見えなくはない。
彼の赤毛は後ろに撫でつけられ、耳元に茜色の耳飾りが光り、いつもより洒落気が出ている。まだ幼さが残る顔立ちであるものの、いつもの病弱さながらの儚げな雰囲気は抑えられ、将来は赤毛の貴公子と呼び名が高まるであろうことも想像させる出来栄えだ。
我が弟ながらすばらしいとひとり頷くヴィーの後方から、感情の起伏の少ない妹の声が聞こえた。
「姉さま、いいことでもあったの」
「あら、フェリ」
妹のフェリは濃いブルーのドレスを身に纏っていた。全体的にふんわりとしたドレスだが、サファイアを思わせる青が余分な広がりを締め、下に向かって濃くなっていくグラデーションには目を惹かれる。ダイヤモンドのイヤリングとパールのネックレスが華やかさを演出し、彼女の輝くブロンドがよく映えた。髪はひとつにまとめて結い上げ、ラメとパールが編み込まれている。
ヴィーは父親そっくりの妹の艶やかさに圧倒され、しばし見入っていた。
(なるほど、これが『本当の父さま譲りの美貌』……)
決して『中途半端』なヴィーには真似できない芸当だ。まだ十二というのに、随分色っぽさがある。
対して、フェリも姉の姿をじっと見ており、ふたりの姉妹はしばし見つめ合う形となった。
沈黙を破ったのはミルだった。
「ねえ、フェリ……もしかして、君も騎士を連れていないの?」
「……忙しそうだったから」
つい、と視線をそらしてフェリは答える。
彼女の専属騎士には年ころのあう人材がいなかったため、母の護衛であるセルジュと部隊のひとつを任されているユリウスというふたりの大物が交互に務めていた。それにも関わらず、フェリはふたりを出し抜きひとり行動することがすくなくない。ヴィーのように目立たずに行動するので咎められることも少ないのだが。
ちなみにユリウスはヴィーの専属騎士の後見人にあたる。専属騎士の家柄はどちらかといえば武官より文官派であったため、ヴィーの護衛となるときに後ろ盾が必要だったのだ。そんなことからも、ヴィーとユリウスは結構仲が良い。年をとってもすぐムキになる実直な青年を思わせる彼は、よき友人でもあった。
またセルジュとは、『ネイ』関係で親しくなった。なぜか彼の過去を赤裸々に知るセルジュに、ヴィーは貢物をして様々な情報を聞き出したのである。ある意味彼とは非常に仲が良い。どこか飄々としてつかみどころがなく、愉快なことが好きな確信犯的な性質はネイを彷彿とさせるのでついつい近寄ってしまう存在でもある。
ただしネイという男はよりいっそうの愉快犯でありつかみどころがなく、奇妙であるのだが。
『それにしても、どなたなのでしょうね』
ふっと、言われた言葉がよみがえる。
三日前の事件のあと。ルイーズに連れられ訪れた医務室には医療の心得もある宰相クリスがいた。擦り傷の手当てを終え、他の怪我はないか診察を受けたヴィーに、彼は厳しい表情のまま口をひらいた。
「あなたは運がいい」
犯行に使われた煙ガスを短くはない時間吸っても、ヴィーに障害は現れなかった。目も喉も染みたけれど、それ以降身体のどこかに不調をきたすこともなかった。常人なれば、すでに声は枯れ視界はぼやけているはずなのに。
幸運なのか、それとも。
「けれど、その僥倖は常にあなたについて回るとは思わないでください。決して、危険を侮りご自身の身を滅ぼすことのないように」
再三注意を受けたことであるが、肉親から言われるのとはまた別に、ヴィーを反省させ己の行動を自戒しようと思わせた。
「それにしても、どなたなのでしょうね」
やや口元をゆるめ、クリスは視線をはずしてから独り言をヴィーに聞えよがしにつぶやく。
「人知れず害から守り助けた、その魔法のような幸運を運んだ方は――」
答えなどだれも知らない。それなのに、ヴィーはハッとして息を呑む。
(だれなのか?)
ただ幸運なだけで難を逃れたと本気で信じる者はおそらくいまい。なぜなら、『彼』の存在はあまりにも大きかった――ヴィーを取り巻く環境には、あまりにも。
(そんなの、わかりきっているじゃない)
『今宵からの、ワタシの名前をお教えしましょう』
高らかに名乗った彼の声が唐突に頭をしめた。
『ワタシはネイ――ネイセレイユ・セル=ジオ・ゾクソナツィル……ネイとおよび下さい、姫君』




