備品は全て私のものなので回収します。これもそれもあれも
婚約者に私物を持って出ていけと言われてしまう。契約書に無理矢理記入させられたときにとある一文をバレないように、こっそりと付け足してサインした。これにサインしたらこの国の国民は、王族を含めて服一枚なくなるかもしれないのに。
というか、もうサインしたから意味もない独白か。にこりと笑ってお辞儀をした。グラシスネは目を伏せて私物を手にするために生家へ行く。
父は黙ってぴらりと絶縁書を渡してきたのでそれにもサインする。彼は娘の己にとって親でもなんでもなく、雇い主……店主と商品だ。芸能事務所の社長と芸能人といった具合の表現が一番合っている。
話すことはなにもかも温かみのない会話。雇用主と雇用者との会話の方がまだやり取りのしがいがあるな。過去を思い出しても、話しているって感覚があるのに。
生まれた家では家畜と出資者だ、この関係は。いい餌を食べさせ肥やして利用するために育てているのが的確な例え。
この街どころか国が明日から停止するのに彼らはなぜか余裕そうな顔をしている。
いやいや、全てわかっててこちらはおちょくってるだけだ。向こうが何も知らずに明日を迎えることなんて……ね?
ぷっ、くすくすと思わず自室に荷物を詰め込みながら笑いが止められないのはお愛想だろう。メイドたちは精々気が狂ったとでも思わせればいいし、報告されるときに酒のつまみにでも提供させておくのもいい。
案の定、次の日からありとあらゆるものが停滞し、滞った。それに悲鳴を上げるのは場全てだ。あちらもこちらもてんてこ舞い。
過去ならばともかく、今現在においてグラシスネがサインしてないものはこの国に限って少ない。王族だけしか関われないものですら間接的に関係者なので関係している。王家は自分たちのお金を取り出せなくなった。お金がなくなったのではなく、お金を管理する上での契約書からのサインが無効になったことで手続きが止まったからだ。
「どうなっている!?」
美しいと自慢に思っていたブロンドをぐしゃぐしゃにした男が一人。元婚約者として昨日一人の女に婚約をなくすように周りに人がいる中で言い放った、とんでもない歪んだ性格を持つ者。
周りからはそう見なされているとも知らずに誰に支えられてきたのか知ることもせずに、切って捨てた大馬鹿者。
「おい、なんだ?早くもってこい!」
「無理です」
「パン一つもか?」
「そこにないのならばないです」
シェフがヤケクソに言い返す。自分の分すらないのだから空腹で苛立つ態度をしている。
「黙れ、うるさい」
「な」
言い返そうとしたら父親の国王だったので、喉がぎゅっと詰まる。何か言おうとしても睨みつけられて、何も言えなくなる繰り返し。口をひたすら開けては閉じるを何度もしてしまう。なにか言い訳を。
いや、言い訳なんていうのはまるで男がやらかしたみたいになるので、言うのであればまず先に周りの不手際を責めるのが正しいはず。
次に向いた時、山積みにされた書類の山が見える。今までこんなになかったのに。食事をしたいのにできなかったのは素材を入れ替えるときになったから、先に処分してしまったのだ。
翌朝に届くはずだったのに婚約破棄時間があり朝になると素材が届かなかったのだ。馬車を動かすとき、王城に入るにもサインがいるのに。
小麦粉がないからパンを作れない、それが真実。それを知らぬ男は書類が次々積み上がるのを見て、瞳を重くさせる。
なにをそんなに大量にやらせるのかと怒鳴った。しかし、側近や文官たちはやれやれと言いたげに目を細める。わがままな子供を宥めるかのようなやり口に苛立ちげに足をダン!と踏む。
「いい加減、持ってくるな!」
「これは元々あなたの仕事です」
文官たちにどっさりと持ち寄られたあと、男らに説明される。そんなバカなと血圧が上がるがさらに追加された。
「あなたの婚約者、昨日あなたが宣言して今の身分があやふやになりましたグラシスネ様がずっとやっていてくださったのを、あなたが本来やるべきものだと持ってきたまで」
「はあ?なにを言ってる?」
「殿下がやらなかったので困っていたら陛下に許可をもらってグラシスネ様が仕事を代わりにやり始めてくださいまして。今ではあなたがやっている仕事はあの方の量と比べるとほんの少しとなり、あちらの負担が激増してました」
このたんまりある量の仕事が彼の本当にやらねばならないものだった、と淡々と告げられ王子はたじろぐ。グウッとなりながらそれならばと、文句を言うためだけに父親のいる執務室に赴く。アポイントなしだ。
「なんだと言うのだ!つくならマシな嘘をつけばいいものを。すぐに看破できる言葉を、浅ましい奴らだな!クビにしてやるっ」
どこら辺が嘘なのだろうかと男たちは首を傾げたが、公式の場で非常識に婚約破棄を叫ぶ男がまともな思考をしていないという点について思い出してから、ため息混じりに言いたいことだけを言うことに努める。
「では、お好きにどうぞ。どれだけ怒鳴ろうとも机にある仕事が減ることはありませんので。粗末に扱った場合殿下であろうと王室の備品を破壊した記録が公式に残ることをお忘れなく」
文官がキリッとした顔で言い募り、さっさと部屋から出ていったことにより言葉の行き先がなくなり、苛立ちを拳で机を叩く行為に帰ることしかできない。
それでもその余韻で、書類が積み重なったところから崩れ落ちて地面にばっさりと広がったことにより、余計なことをしたと後悔がじわじわと胸に広がる。
女がサインしたのはこの国に必要なものばかり。生きるには多大に不便になるもの。それなのに、書類にサインさせたからという経緯を忘れて不幸に喚く男は、何が原因か知ることはないだろう。
元婚約者のことなどとっくの昔に過去になっている。婚姻予定を白紙にすることを考え出すより前から。
真面目すぎて息が詰まるというそれだけのことで王命での婚約を破棄する暴挙。王族ならば許されない、王族だからこそ。余計に罪も罰も重くなるのに、そんなことも頭にない男。
「父上、公務が回りません。もっと支えるものを寄越して下さい」
至極当たり前の要求をしたら盛大に怒鳴られた。
「き、さま……ふざけるな。口を閉じろ無能め」
「……はっ?へ、私ですか?」
「うちの国なんかじゃ勿体無い才女を無理矢理婚約させた私の王命を、容易く破る貴様に父上と呼ばれるたびに嫌悪が体が襲う。詫びもせずにのうのうと誰かのせいにして生きるお前を見ていると殴りつけたくなる」
「え、は、な、なんなのですかいきなり。乱暴な物言いはやめてください」
なんとか言い返す子息に鼻で笑う王。
「娘を軽く思う実父から契約を持ち掛ければ簡単に結べたまではいい。が、貴様まで冷遇し出すとはっ!人生を舐めるのもいい加減しろ!」
王がブチぎれたのは当然の流れ。天才を婚約者にして足りない息子にあてがって王家を安定させる計画を立てていたのに、肝心の王の子が一番何も考えずに捨てたのだから。
息子が馬鹿だから、王家が揺らぐのは分かりきっていた。バカに払う金はない。時間もないのだから息子を傀儡にしてでも王家を安定させたい王と元婚約者の女の利害は一致していた。
王家が安定するのなら息子の血を引かない子を得てもいいという契約までしてきたというのに。王が女でも息子のような頭の軽い男なんて嫌だと思ったから、余計に女にメリットのあることを重ねた。
「お前があんなことさえしなければ、今もこの国はなんでも手に入れられた。なにも得られなくなってまともに食事も服も、なくなり始めた」
王子は王の言うことが殆ど理解できなかった。王が欲しいと言えばいいのだと傲慢に考えたのに、王は心を読んだかのようにあざ笑ってくる。
「その顔はまだ何もわかってないというものか。はぁ、我が城の教育係は手を抜いていたとしか思えん。今となってはお前のようなバカを婚約者にした彼女には悪いことをした。こちらが思っているよりも百倍頭の悪い子と婚姻させようとしたなど、最早加害者。謝りたくとももう謝れないのが悔やまれる」
王たる父が何か色々言ってきているが、疲れた脳に上手く入ってこない。ただ、何か言うとまた同じようなことを言われることはなんとなく理解できた。
「お前の顔など二度と見たくない。廃嫡の申請を行なっているから部屋から出るな」
「は?廃嫡?なにを言っているのですか?」
「国を終焉に導いたものを最後の王として記すよりもマシだ。近衛兵、こいつを部屋へ」
「は」
返事をした兵士たちが王の息子を拘束する。息子は暴れる。すでに決まったことを受け入れられないまま、自室に閉じ込められろと言われ、パニックになっていた。
「離せ!」
「暴れないで下さい」
「私は王の子だ!無礼だぞ!?」
「おやめください」
王子は最後の抵抗に覚えたての子供のように振りかざす。
「処刑してやる!」
「部屋へお送りします」
興奮する声と冷静な声が異常な今を浮き彫りにする。周りは使用人や騎士達で囲まれているが、誰も顔色を変えない。すでに通達されている予定通りのことだったのだろう。
しかし、王の子は興奮してそんなこともわからない。王はそれをじっくりと観察しながらやはり王族にあらずとため息を吐く。
また一から後継者を見直さなくてはいけない。今度は優秀な婚約者だけに頼らずに済む相手を。
王子は暴言を吐き出しながら引きずられていく。父上父上とうるさく叫ぶ口を誰かに閉じさせ、王は深く椅子に座り込む。
ここから国を建て直すのは大変だろうと顔を伏せることしかできない。無理矢理婚姻の前段階の契約をさせた報いなのは簡単にわかった。
「はぁ。これも報い、だな」
王座に座っているのに一番下に沈んでいるように感じると、手を顔に当てた。
*
「聞いたか?」
「どれのこと?」
「この新聞に載ってることだ、これ」
男らしい指が新聞の欄を指す。
「ああ、これか……サインさせられまくったから、こうなるけどね」
皮肉に笑う。グラシスネは王子から無理矢理婚約白紙をさせられてから、国を回った。その中でやけに話しかけてくるドラゴン族の青年と出会い、なぜここまでしつこいのかと怒った時に理由を教えられた。
内容を聞いたら驚くべきものだったので、共に旅をすることに決めた。
『お前の幼馴染だった〇〇〇〇だ』
『え、ええええ!』
あの時は流石に令嬢の皮が吹き飛んだ。
「……サインさせられたんだから、最後の最後に嫌がらせくらいは許されるでしょ〜、ね?」
「ああ、それは存分にやれと思ってる。今も。追い詰めろと言いたい」
もう少し、前世のあちらではやんわりとした優しさを持つ人だったのにドラゴン族として生きてきた間に性格が変わったらしく、交戦的になってしまったらしい。
グラシスネですら令嬢らしさのある冷たさと貴族らしい冷たい口調、態度が貼り付けられたくらいだ。ドラゴン族なんて人間とかけ離れた種族になってしまい、生き方を変えざるをえないに違いない。
「追い詰めるの?あはは!これ以上したら隣国にまで広がりそう」
「広がらせておけ。心は邪神でいいじゃねぇか」
「心は邪神って、アニメのセリフだ。懐かしい!」
幼馴染は今ではバーニックという名前になり、それなりに自由に生きている。肩書きはフリーの冒険者らしい。
グラシスネは現在、国を回りながらその国にある古い遺跡を調査するフリーの考古学者のようなものをしているので、相性は良いと言える。
二人でいろんなところを回った。楽しくていつの間にか、そこそこ時間が経過している。祖国は名前だけを残して現在、弱小国にまで力が落ちている。
婚約破棄した時にいた隣の女の力では、国政を回せなかったんだろうな。役立たずだし。なぜ、できるデータを集める前にこちらを解雇したのか理解に苦しむ。
架空の事実をもってして、なにをしたかったのか。目立ちたかったのかチヤホヤされたかったのか。でもなぁ、あの地位はそんなにいいものじゃないしなぁ。なんて思い出す。
苦労、心労、疲れも取れない日々。常に呼び出されるストレス。どれをとっても人間に与えてはいけないものだろう。特に周りから与えられる、何某かの心労が一番キツい。
彼女たちも同じ立場になったら、即刻理解していくことだろうな。偽聖女扱いされても喜んで出ていった理由を。
その時には手遅れで、逃げられないようになってしまっているのかもしれないけど、そんなことは知ったことじゃない。
こちらはいらない役目から解放されて身軽。なにをしよう、何を食べよう。考えるだけでお腹が鳴る。食いしん坊の証。ちょっと照れ臭くて、あははと笑う。
将来には生まれた国も無くなるだろうし、実質地図から消えて二度と見ることがなくなるのならこれ以上、幸せなことはない。また違う名前で王家も変わるだけだ。
それが嫌ならただの婚約者の令嬢に委任なんてしなきゃよかった。ただただそれだけ。
モグモグ食べ物を食べながら明日からの予定を汲み上げていく。やることは決まっているので悩むことなく埋めていった。真正面に座る彼が訳知り顔で、ニッと笑いかけてくるのを笑い返す。
「行くか」
「うん」
元婚約者へ。言われた通り全ての私物を回収させていただきました。
最後まで読んでくださり感謝です⭐︎の評価をしていただければ幸いです。アイテムボックスに全入れってロマンですよね




