クチャは災いのもと
ウィルザンは吹っ飛んだ。ものの見事に吹っ飛んだ。
小柄な身体は食堂の壁に激突し、ずるずると床に落ちる。
拳を食らわせたジェパイアも、さすがにやりすぎだと青ざめた。
-ーが。
……クチャクチャ……クチャクチャ……クチャクチャ……
耳障りを通り越して脳味噌まで侵食する咀嚼音は、なおもウィルザンの口から続いている。
瞬時に沸き上がったはずの罪悪感は蒸発し、殺意に変じていた。
「お! 落ち着けジェパイア! お前が本気を出したら死ぬぞ!」
「そ! そうだよ! 気持ちはわかるけど、もっと違う方法があるじゃんか!」
トドメを刺そうと椅子から立ち上がったジェパイアを仲間のエメイグとボーティマーが押さえつける。
ジェパイアは武道家、エメイグは槍使い、ボーティマーは治癒術師。そしてウィルザンは魔法使い。
職種の印象と体格は結びつき、ジェパイアはウィルザンより筋肉質である。純粋な殴り合いなら、武道家に分があるのは当たり前。
ジェパイアは肺に含まれたすべての空気を吐き出す。もし色がついていれば鉛色だ。
「『違う方法』ってなんだ? こいつ、俺がストレートに注意しても、食い方を直さなかったんだ。そんな奴が他の手使ってどうにかなるか?」
あえて抑え目の語調で告げれば、仲間二人は言葉に詰まった。
パーティーメンバー三人は幼馴染みで、気心の知れた仲。だが、戦術の幅をもう少し広げたいと考えていたところに現れたのが、ウィルザンであった。
魔法使いで実力もあったことから、パーティーに加入したのが一ヶ月前。しかし致命的な欠陥が発覚した。
食べ方だ。
物を咀嚼するにあたって、唇を閉じないから音が鳴る。黄色い歯が剥き出しで醜く、目にも拷問だ。
クチャクチャ……クチャクチャ…クチャクチャ……
槍使いと治癒術師は“マナーに難がある”程度だったようだが、武道家には公害や災害に等しい。
“悪いけどあいつとは無理だ。あいつを離脱させてくれ。そうでなければ俺を追い出してくれ”
ジェパイアは嘆願の域で二人に話したが、彼らはそれは大袈裟すぎると話し手に返した。
ならばせめて食事を別にと申し入れをするも、それは困ると眉を下げられた。
今は魔法使いと親睦を深めるべきだと。
確かに酒によって絡んではこないし、魔法は頼りになる。だが、だが……
そんなこんなで鬱積がたまった武道家、ついに魔法使いを怒鳴りつけたのだが、彼は悪びれずこう言ってのけた。
「別にいいじゃん。死ぬわけじゃないし」
刹那、全身の血潮が冷えた。
「じゃあ俺が殺ってやろうか?」
“やろうか?”で放った拳は、見事、完璧にウィルザンを捉えた。
-ー以上が事の次第である。
「ちょ! ちょっとお客さん! 何やってんだい! 揉め事は困るんだよ!」
血相を変えた店主が駆け寄ってきたことで、どうにか冷静さが戻ってきた。
しかし、そこに無粋者が。
……クチャクチャ……クチャクチャ……クチャクチャ……
-ーマジで常世に送ってやろうか……
剣呑な瞳で、ジェパイアはウィルザンをにらみつける。握り締めたテーブルの板がきしんだ。
「-ーすいません、警邏隊をお願いできますか? このままだと殺人に発展しそうで」
エメイグが店主に要求すると、彼はウェイトレスに頼んだ。
「あ~、ありえそう。ジェパイア~、少し落ち着いたら~?」
間延びした口調でボーティマーが語りかけるあえてジェパイアはそちらを向いた。
-ーなぜかと言われても、武道家にはわからない。
ただ身体が反応していた。
右手で椅子を投げつける。
同時に、
「ファイアボール!」
魔法使いの呪文が発動した。
一抱えある炎の玉が狙いを定めて一直線に飛来する。
延長線上には……ジェパイア。
なれど、高速で投げつけた木製の家具にぶつかり、即席の松明となって床に落ちた。
「バカ! 何考えてんだ!」
傍観に徹していられず、エメイグがウィルザンを押さえつけようとするが、
「!?」
小瓶を投げつけられ、避ける。
燃える床の回りにボーティマーが結界を張り、火を収縮させたのを目視したジェパイアは、跳躍してウィルザンを押さえつけた。
「店の中で呪文使うんじゃねえぇぇぇ!」
逃走を図ろうとする魔法使いの顔に座り込み、みぞおちに一発入れる。
クチャクチャ……クチャクチャ……クチャクチャ……
増したから聞こえてきた音に、再び拳を落とそうとして、違和感を覚えた。
今馬鹿の面は、完全に武道家の臀部で塞がれている。故に、咀嚼音が滞りなく鼓膜を揺らすなどあり得ない。
-ーもしかして、俺の耳がおかしいのか……?
ジェパイアが硬直していると、店の外が騒がしくなった。
警邏隊が到着したのだ。
諦念混じりの吐息をつく武道家。自分も根掘り葉掘り詰問されるのは、目に見えている。
「……おい、ジェパイア。どいてやれ」
エメイグの呼びかけで、ジェパイアは我に返る。
「ジェパイアのお尻で窒息死はやだよ~」
ボーティマーの台詞で、慌ててジェパイアはどいた。
次の瞬間-ー
クチャクチャ……クチャクチャ……クチャクチャ……
生理的嫌悪感をもよおす、例の旋律が。
ウィルザンを見下ろし-ージェパイアは目を見開いた。
それが仕事とばかりに、咬合を繰り返す魔法使いの顎。舌の前面を干物のように噛んでいた。
「おい!」何か持ってきてくれ! こいつ舌噛み続けてやがる!」
すぐさま指を突っ込み、叫んだ。
こうして、ジェパイアは警邏隊の詰め所に連行。スプーンを口に突っ込まれたウィルザンは、一旦病院に運ばれることになった。
数日後-ー
「それにしても……まさかあんなことになるなんてな……」
ドライフルーツの入ったサングリアもどきをあおり、ジェパイアはつぶやいた。
「俺もまだ信じられないけど、危ない橋をわたっていたんだな」
エメイグはサーモンをたっぷりのせたオープンサンドイッチを頬張る。
「何にしても、やっぱり命は大事だからね」
ボーティマーはスクランブルエッグをスプーンですくった。
-ーウィルザンを殴り、逆襲を返り討ちにしたジェパイア。警邏隊には赤裸々に理由を話した。
三日程牢屋に入れられる羽目になったが、外では大変なことになっていた。
ウィルザンが、壊滅した盗賊団“悪魔の爪”の元首領、アーヴィングだという事実が判明したのである。
他国の王国騎士団の捜査網をかいくぐり、この国にまで逃走してきたアーヴィングは、髪を切って髭を剃り、さらに入れ歯をはめて変装し、世間の目をごまかしてきた。
クチャクチャと音を立てて食事をしていたのは、そうすれば相手が視覚より聴覚に重点を置き、印象がぼやけると判断して。
もっともジェパイアがあまりにも短気だったのは、アーヴィングにも想定外だったらしいが。
元盗賊団首領は、本来の国に護送するつもりであったが、その計画はご破算になった。
彼が自殺したからだ。壁に頭を打ち付けて。
尋常じゃないくらいぶつけたらしく、触るとブヨブヨしていたとのこと。
さらに不可解な点は、押収したはずの入れ歯が装着され、舌のほとんどがミンチ状に変わる域で噛み潰されていたのだとか。
「まさかあの入れ歯、呪われていたのかな?」
治癒術師はつぶやく。
「じゃあ、俺たちも危なかったんじゃないか?」
槍使いが顔を青ざめる。
武道家はドリンクを飲み干すと、カップを置いた。
「とりあえず、今は三人でいいな。変に仲間入れないで」
ジェパイアが言うと、二人もうなずいた。




