平民の逆襲! 伯爵家の跡取りに選ばれたのは、平民である俺の息子だった件! 托卵に気づかない豚伯爵にざまぁ!
それは18年前のことだ。
幼馴染のミランダが伯爵家にメイドとして奉公することになった。
彼女は、僕と同い年で初恋の人だった。
彼女が仕えることになる伯爵家には、タチの悪い執事がいて、若いメイドに片っ端から手をつけていた。
そうして、メイドが妊娠したら身一つで家から放り出していたのだ。
「そんな家に奉公するのをやめろ」と、何度も言葉にしかけては飲み込んだ。
ミランダが奉公に出なければいけないのには、理由があった。
彼女の家には借金があり、ミランダが伯爵家に仕えることで、チャラになることになっていたからだ。
ミランダに最初から拒否権はなかった。
彼女の手を取り、誰もいない遠い土地に逃げてしまいたいと何度も思った。
でも、それもできなかった。
彼女には病弱な両親と、歳の離れた幼い弟や妹たちがいたからだ。
僕が彼女を連れて逃げたら、彼らが伯爵家のターゲットにされてしまう。
僕は己の無力さから目をそらすように、仕事に打ち込んだ。
本当は、彼女が奉公に出るその日まで、彼女の傍にピッタリとくっついて、離れたくなかった。
伯爵家に奉公する前日、家の前にミランダが立っていた。
随分前から待っていたのか、体はひどく冷えていた。
寒さを言い訳に僕は彼女を家に上げた。
彼女と話すのもこれが、最後だと思うと……突き放すことができなかった。
彼女は思いつめた表情で、僕に抱きついてきた。
「どうせ大切なものを奪われてしまうなら、その前にあなたと……初めては好きな人がいいの!」
愛する人にそう言われ、僕は拒否することはできなかった。
僕は彼女と一夜を共にした。
「思い出をありがとう」
彼女はそう言って泣いていた。
翌日、僕は真新しいメイド服を着て馬車に乗る彼女を、無言で見送った。
かける言葉が見つからなかった。
◆◆◆◆◆
市井にいても伯爵家の噂は流れてくる。
伯爵家に奉公に上がった彼女は、すぐに家のものに手をつけられたらしい。
幸い……と言っていいのか、彼女に手を付けたのは、執事ではなく伯爵家の嫡男だったらしい。
年老いた執事に辱められるよりは、将来有望な若者であっただけ、ましと言えるかもしれない。
ミランダはその美貌で伯爵家の嫡男の心を射止め、一夜の相手ではなく、彼の愛人の座を獲得したようだ。
よかった……と言っていいのかわからない。
年老いた執事に乱暴され、望まぬ妊娠をしたあげく、無一文で放り出されるよりはましだった。
本当にそれだけだ。
だがそんな結末にも希望はあって……。
彼女が伯爵家を追い出されていたら、僕は彼女の手を取ることができた。
他の男に抱かれた彼女を、愛することができたかわからない。
知らない男との間にできた子供を、可愛がったかどうかもわからない。
ただ、彼女と生きることはできた。
そんなタラレバを並べては、自分を罰するように、じめじめした気分に浸っていた。
◆◆◆◆
それから18年の月日が流れた。
彼女のことが忘れられなくて 僕は今でも独身だ。
体力も衰え、小豆色だった髪にも白髪が混じるようになった。
このまま行くと孤独死するかもしれない。
初恋の人を救えなかった僕にはちょうどいい結末だ。
年月は、彼女と彼女の周りの人生を大きく変えていた。
ミランダの仕送りにより、彼女の両親は医者に診てもらうことができた。
彼女の妹や弟たちは、学院を卒業して立派に巣立って行った。
何が良かったのか、見守ることしかできなかった僕にはわからない。
ミランダを愛人として囲った伯爵家の嫡男は、今では伯爵家の当主だ。
◆◆◆◆
ある時、事件が起きた。
伯爵の正妻と息子を乗せた馬車が事故に遭い、二人とも亡くなったのだ。
伯爵は、正妻と嫡男を一度に亡くしたことで酷く気落ちし、病に臥せっている。
伯爵家には他に男子はおらず、伯爵は再婚する気力も体力もない。
お家存続の危機につき、ミランダの息子が伯爵家を継ぐことになった。
このようなことは通常は起こらないらしい。
そんなこともあるんだな……。
なんともいえない不思議な気持ちに包まれながら、僕は彼女の顔を思い浮かべ空を眺めた。
◆◆◆◆◆
そんな折、ミランダの両親が亡くなった。
彼女は葬式に来ないだろうと思っていた。
だが、参列者の中に、古びた教会には似合わない上品な喪服をまとった美しい女性がいた。
桃色の髪に赤い瞳で、すぐに彼女だとわかった。
ミランダの横に立つ、上等な衣服を纏っている青年は彼女の息子だろう。
彼女とよく似た顔をしている。
ただ彼女と違って、青年の髪の色は小豆色で瞳の色は緑だった。
きっとそれは、彼の父親である伯爵の色なのだろう。
年相応に老けた僕とは違い、彼女は若々しさを保っていた。
昔は素朴で可愛らしい感じだったが、今は伯爵夫人として気品がある。
遠い世界の人間になってしまったんだと、まざまざと見せつけられた。
俺は遠くから彼女の姿を眺めていた。
一度だけ体の関係を持ったとはいえ、それは公にはできないこと。
彼女もそんな昔のことなど忘れている。
言葉を交わすこともなく、離れたところから眺めることしかできない。
今の姿を見ても、彼女は僕だと気づかないだろう。
なんとも、哀れで惨めだ。
そう思っていたのだが……。
ふとした時、彼女と視線が合った。
彼女は僕を見て、ハッと目を見開いた。
そして、僕に向かって歩いてきた。
「久しぶりね、アレク」
彼女の声は昔と変わらず美しかった。
「ああ、久しぶり。君は昔とちっとも変わらない。いや、昔より綺麗になった」
あまりにもフランクに声をかけられたから、つい昔の口調で話してしまった。
相手は伯爵家の次期当主の母親なのだ。
気をつけないと、話し方ひとつ、所作ひとつで命を落とすことになる。
「すいません。こんな話し方いけないですよね。あなたはもう昔と違い伯爵家の……」
僕が頭を下げようとするのを、彼女は手で制止した。
「止めて。私はここにはただのミランダとして来たのよ。伯爵家とは関係ない一人の人間としてね」
そう言った彼女の表情は、どこか寂しげで……。
そんな彼女を見ていると、苦しい気持ちになった。
手を取って、逃げてしまいたい。
そんな衝動に駆られた。
こんな年齢になっても、こんな気持ちが残ってるとは思わなかった。
「聞いたよ。息子さんが伯爵家の跡継ぎに決まったんだって」
僕は呼吸を整え、己の気持ちに蓋をし、言葉を紡いだ。
慎重に、冷静に、心を波立てないように。
「ええ、そうなの」
彼女は少し離れたところに立つ息子を一瞥し、艶然とした笑みを浮かべた。
「おめでとう……と言っていいのかな」
葬儀でその言葉は不謹慎だったかもしれない。
そんな言葉をかけずにはいられなかった。
僕はミランダの息子を一瞥し、すぐに視線を彼女に戻した。
愛した人と、見たこともない伯爵との間に生まれた青年……。
彼への思いはとても複雑な存在だ。
「御子息は君によく似ているね」
「ええ。顔は私にそっくり。
でも、髪と瞳は愛する人と同じ色なのよ」
そう言って、彼女は僕の髪と瞳をしっとりとした目つきで眺めた。
「伯爵もあなたと同じ髪と瞳の色なの。
だから伯爵家での屈辱の日々にも耐えられた」
そう言って彼女は目を細めた。
彼女の赤い瞳がギラリとまばゆく光った気がした。
憎しみや苛立ち苦しさを乗り越えた、深い欲望のような物が宿っているように見えた。
「それって……、まさか彼は僕の……!」
胸がざわざわと音を立てた。
そうだとしたら嬉しい!
だけどそんなことが知れたら、僕も彼女も彼女の息子の命も……!
彼女は人差し指を立て僕の唇に押し当てた。
全てを呑み込めと、合図するように。
「このことはあなたと私、墓場まで秘密よ」
ミランダは、そう言って口角を上げた。
「これは私の復讐なの」
鮮やかな笑みを浮かべ、彼女は踵を返した。
あとには、唇に押し当てられた指の感触と、香水の甘い香りだけが残った。
彼女は息子を連れ、伯爵家の豪華な馬車に乗り込んだ。
多分もう、二度と会うことはないだろう。
彼女を乗せた馬車が遠ざかって行くのを見送りながら、僕は口元を押さえた。
「くっ、くくく……」
僕たちを引き裂いた伯爵家が、彼女と僕の血によって乗っ取られる。
そう考えたら笑いを抑えることができなかった。
この秘密は、墓場まで持って行くつもりだ。
「さよならミランダ、幸せに」
そう呟いたとき、馬車はもう見えなくなっていた。
――終わり――
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