『白い朝の旅立ち 〜65歳からの再出発。元技術部長が信州の町工場を救う物語〜』第3話:過去からの呼び声
「もう自分は過去の人だ」――そう思い込んでいた真一に、予期せぬ依頼が舞い込みます。
家に戻ると、智子が声をかけてきた。
「婦人会で淳子さんから言づけがありました。山下さんのご主人が真一さんに連絡を欲しいそうです」
受話器を取り、山下さんに連絡を入れると、彼はすぐに要件を伝えた。
「会社の部長が、ぜひ真一さんに会いたいと言っているんです。連絡先を教えてもよろしいですか?」
翌日、真一は指定された「株式会社陽燦」を訪れた。 応接室で待つと、小太りで快活そうな四十代の男性が入ってきた。佐久間部長だ。
「高木先生、ご無沙汰しております! 講習会では大変お世話になりました」
身を乗り出して挨拶する佐久間部長の言葉に、真一は驚いた。
「先生の提案してくださった改善案のおかげで、今やわが社の包装機は生産の柱になっています。そこで……ぜひ、わが社の『顧問』をお願いしたいのです」
真一は過去、会社から派遣されて機械開発の講習会で講師を務めていた。 その時の仕事を、まだ覚えてくれている人がいたのだ。
――もう、過去の人だと思っていた。
だが、まだ自分を必要とする声がある。 胸の奥で、消えかかっていた種火がパチリと音を立てた。
「……まずは工場を見学させていただけますか。設計のスタッフとも話がしたい」 「もちろんです! 歓迎しますよ」 「ところで、山下さんの部署は?」 「製造課長をしていますよ。彼も喜びます」
懐かしい話に微笑みながら、再会を約束して会社を後にした。 真一の心には、新しい希望が芽生え始めていた。
車を走らせながら、真一はこれまでの自分を振り返る。 退職して以来、自分の経験はもう役目を終えたのだと言い聞かせてきた。 だが、あの応接室で交わした言葉は、ただの社交辞令ではなかった。
家に戻ると、智子が台所から顔を出した。 「どうだった?」
「思ったより早く話がついたよ。顧問の話だ」
智子の目が一瞬、明るく輝く。 「それはよかったわね。無理しないで、できる範囲にすればいいのよ」
彼女の言葉に、真一の肩の力が抜けた。 その夜、真一は書斎で久しぶりに専門資料を開いた。 かつて教えた図面が、深夜の静けさの中で光を帯びているように見えた。
手を動かすうちに、忘れていた感覚が指先に蘇る。 書き込むメモの字は以前よりも慎重だが、その線には確かな自信が宿っていた。
「必要とされる」ことの喜び。家族の理解も得て、真一の第二の人生がいよいよ本格的に始動します。




