第80話 神殿跡到着
それから先は、ひたすらに数を削る作業だった。
瘴気に焼かれた狼型、土から半ば生えたままのスケルトン、黒ずんだ蔓が人影のように蠢くオチュー……森の奥へ進めば進むほど、そういった魔物の数は増えたが、それでも四人の足を止めるほどではない。
「左──」
短く告げて、ロイドは右側の狼の喉を一太刀で裂く。
同時に、左前方から飛びかかってきた別の一体は、フランの鉄槌にまとめて叩き落とされた。
「はいはーい、まとめてどうぞー!」
彼女の軽口とともに鈍い衝撃音が響き、その影を狙ってエレナの〈炎弾魔法〉が着弾する。爆ぜた炎が瘴気を焼き払い、残った欠片はルーシャの〈浄灯〉で灰になった。
「母なる光よ⋯⋯憐れな魂を清め給え」
柔らかな光が、黒ずんだ血と腐った肉を淡く照らしていく。瘴気を含んだ煙が、じじ、と音を立てて消えていった。
(ふたりの時とか大違いだ)
ロイドは内心そう呟いた。前回来た時は数の多さにうんざりとしたものだが、今回は四人ということもあって、効率よく敵を倒せている。
(いや、それだけじゃないか⋯⋯)
エレナとフランの成長も凄まじい。以前のフランとエレナなら、自分が前に出て、後ろの三人を守ることに意識の大半を割いていた。だが、今は違う。隙を見せればフランがそこを殴り抜き、エレナが射抜き、ルーシャが支えてくれる。
守らなければいけない、というより──一緒に戦える、という感覚に近い。
「……ここいらで一旦区切りだな」
何度目かの小さな群れを片付けたあと、ロイドは足を止めた。
前方の木々の隙間から、空の色が変わって見える。鬱蒼とした森の天蓋が切れ、開けた場所が近い証拠だ。
「もうすぐ?」
フランが額の汗を拭いながら尋ねる。
ロイドは頷き、瘴気の流れに意識を澄ませた。
「ああ。ここから先は、さすがに真正面から突っ込むのは得策じゃない。エレナ」
「わかってるわよ」
エレナは一歩前に出て、静かに杖を掲げた。
深く息を吸い込むと、低く呟くように詠唱を紡ぎ始める。
「我らの影よ、森の囁きに紛れ、気配を沈めよ──〈気配遮断の帳〉」
杖先から、ほとんど色を持たない薄膜のようなものが、ふわりと四人を包み込んだ。
風が止まったわけでも、音が消えたわけでもない。だが、それまで肌に絡みついていた瘴気のざわめきが、一段階外側へ押しやられたような感覚があった。
自分たちの存在そのものが、森から一歩引いた場所に押し出されたような──そんな奇妙な浮遊感。
「気分悪くない?」
エレナが確認するように尋ねる。
フランは何度か瞬きをしてから、肩を竦めた。
「ちょっと変な感じはするけど、吐きそうとかはないかなー」
「なら十分よ。瘴気に馴染ませて存在感を薄めてるだけだから、完全に見えなくなるわけじゃないけど……そうそう気付かれないと思う」
「助かるよ」
ロイドは短く礼を言い、先頭に立って茂みを掻き分けた。
視界が開ける。
黄ばんだ草地の向こうに、石造りの台地が口を開けていた。
かつて神殿があったであろう高台。その中央へと続く石段は、途中でところどころ崩れているものの、まだ形を保っている。その上──祭壇があったのだろう場所には、巨大な石盤が横たわっていた。
石盤は、中央から大きくひび割れている。その裂け目から、黒い霧が絶え間なく溢れ出していた。煮え立つ墨汁をそのまま空へ向けて注ぎ上げているかのような濃さだ。霧はゆらゆらと揺れながら上空へと伸び、やがて森全体に広がる瘴気の膜へと溶け込んでいく。
(あれが……封印の残骸か)
前に来た時も見た光景だが、距離が近いせいか、瘴気の圧力が段違いに感じられた。
右手の〈呪印〉が、ひときわ強く疼く。噛み殺した歯の裏側に、鈍い鉄の味が広がった気がした。
そして、その石段の周囲には──。
「うわぁ。一杯いるー……」
思わず漏れたフランの呻き声に、ロイドは心の中で同意した。
石段の下、崩れた柱や瓦礫の影。瘴気の溜まりに。そこかしこに、魔物たちの姿があった。
狼型。不死系の兵士。全身を蔦に絡まれ、ほとんど植物と化した熊のような魔物。目玉だけが浮遊しているような異形まで、大小様々なものが蠢いている。そのどれもが石盤から漏れ出す瘴気を啜りながら、だらりと舌や腕を垂らしていた。
「ここに来るまでに散々倒したと思うんだけど、まだこんなにもいたのね」
エレナも眉を僅かに顰めた。
その声音には、純粋な嫌悪と、状況を冷静に見積もる計算高さが入り混じっていた。
(外でこれだけってことは……中は、もっと悲惨ってわけか)
神殿の奥に何が、どれだけ潜んでいるのか。想像するだけでげんなりする。
ロイドたちは、崩れかけた石壁の陰に身を潜めた。エレナの〈気配遮断〉が効いているおかげか、近くをうろつく魔物たちの視線は、こちらを素通りしていく。
「どうする? 入り口周辺の奴だけ倒して、こっそり中に入ってもいいけど」
エレナが囁くように言った。
視線はロイドではなく、ロイドとルーシャの両方に向けられている。戦闘指揮としてのロイドと、封印の専門家としてのルーシャ。両方の意見を聞くべき場面だと判断しているのだろう。
「そうですね……」
ルーシャは石盤の方をじっと見つめた。
瞳の奥に、別種の緊張が宿る。目の前の術式を、少しでも理解したいという、聖職者としての責任と好奇心だ。
「私としては、ちょっと封印をしっかり見てみたいです。この前も、遠目にしか見れませんでしたから」
祠の封印術式──ひび割れた石盤の残骸には、まだかすかに聖印のような刻印が残っている。
それを読み解くことができれば、これから新たに施す封印にも応用できるかもしれない。
(ルーシャがそう言うなら、近付けるだけ近付いておいた方がいいな)
ロイドは短く息を吐き、状況を頭の中で組み直した。
神殿内に突入すれば、いずれにせよ親玉とは顔を合わせることになる。その時、背後にこれだけの数の魔物を残しておくのは、あまりに危険だ。
「なら、全部倒しておこうか」
ロイドがそう言った瞬間、フランが明らさまに顔を顰めたのが視界の端に入った。
「ちょ、ちょっと待って。全部って……あれもこれも、それもどれも、ぜーんぶ?」
ひそひそ声でありながら、しっかりとした抗議の響きがある。
「そんな顔するなよ」
ロイドは苦笑を浮かべた。
「どのみち、中に入れば親玉には気付かれるだろうしな。ここの連中が追ってきて、中で挟撃されても面倒だ。だったら、今のうちに掃除しておくに越したことはないさ」
言いながら、自分たちの位置と魔物の配置、石段の形状を頭の中でなぞっていった。
視線だけで、どこが射線になり、どこがボトルネックになるかを確認する。地形そのものを武器に変えるのは、ロイドの得意分野だった。
「おもっきり正面から喧嘩売る形になるけどね……」
エレナが肩を竦める。
その口調には、呆れと、微かな高揚が混じっていた。
「どうせ喧嘩は売ることになるんだ。変わらないだろ?」
ロイドがそう答えると、隣でルーシャがくすっと笑った。
「どうした?」
「いえ。ロイドが少し楽しそうだったので」
「楽しそう?」
思わず聞き返してしまう。
エレナとフランへ視線を向けると、ふたりとも呆れたように、しかしどこか納得した顔で頷いていた。
「うん、わかる。さっきからちょっとニヤニヤしてたよ?」
「緊張してるっていうより、いい獲物を見つけた狩人って顔してたわね」
「……マジか」
ロイドは自分の頬に手を当てた。
そこには、確かに微かな笑みの形が残っている気がした。
(楽しそう、ね……)
言われてみれば、胸の奥が少し軽い。
怖くないわけじゃない。失敗すれば、村も仲間も、全部が終わる。それでも、こうして四人で正面から挑むという状況に、どこかワクワクしている自分がいるのも事実だった。
(確かに、こうしてパーティーで何かをやるって感覚は……初めてだもんな)
ユリウスの護衛として戦っていた頃とは違う。
今は、自分たち自身の判断で、自分たちのために戦っていた。全てが自分たちの『意思』だ。
「よし。じゃあ、エレナ」
ロイドは顔から余計な表情を追い出し、真っ直ぐに彼女を見た。
「どでかい花火を上げて、盛大に喧嘩を売ってやろう。派手な魔法で頼む」
「ええ。任せて。それなら、とっておきのがあるわ」
エレナの唇が、にやりと歪んだ。
彼女は一歩前に出ると、ちらりとロイドとフラン、ルーシャに目配せをする。三人とも、無言で頷き返した。
ロイドは剣を抜き、フランは鉄槌を構え、ルーシャは手に魔力を込める。
それぞれの呼吸が、ひとつのリズムに揃って──。
次の瞬間、エレナが魔力を一気に高めた。
空気が震える。
瘴気すら一瞬押し退けられたかのように、石段の上空の気配が澄んだ。髪が逆立ち、肌に細かな静電気の刺が走る。杖の先に集まる光は、いつもの炎や氷とは違う、白と紫の混ざりあった鋭い輝きだった。
「罪過は消滅せよ──〈神裁の雷〉!」
宣言と同時に、世界が白く弾けた。




