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【書籍化決定】追放された黒剣士は白聖女と辺境でのんびり暮らしたい。~え? 聖女と一緒に戻ってきてほしいって? もう遅い~  作者: 九条蓮


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第73話 初めての四人戦闘

 森の中は、村の中とは比べ物にならないほど、空気が淀んでいた。

 踏み込んだ瞬間、肌にまとわりつく圧が一段階増す。

 瘴気の匂いが、鼻の奥ではなく肺の内側にへばりついてくるようだった。木々の根元には、黒ずんだ苔とも黴ともつかないものが張りつき、落ち葉の隙間からは細い霧が滲み出している。

 呼吸ひとつごとに、血の巡りが鈍る感覚。だが、それでも足は止めない。


「ルーシャ、きつくなったらすぐ言えよ」


 前を走りながら、振り返らずに言う。

 返ってきた声は、思っていたよりしっかりしていた。

 

「全然大丈夫です! 急ぎましょう」


 後ろをちらりと見てみると、ルーシャは神妙な眼差しで前を見ていた。

 やる気十分、といったところだ。

 瘴気の濃いところほど、〈呪印(マリス・グリフ)〉の疼きが強くなる。右手の甲の下で、じりじりと赤熱した蟻が這うような感覚が続いていたが、それも今は都合がよかった。濃度の高い場所を、感覚だけで避けて走れる。

 細い獣道を、二人分の足音だけが貫いていく。

 頭上では枝と枝が絡まり合い、空を覆い隠していた。ところどころ、葉の隙間から淡い東雲色が滲んでいるのが見える。夜明けは近そうだ。

 その時だった。

 前方の木々の密度が、急に薄くなる。視界の先が、ふっと開けた。


「……抜けるぞ」


 木の幹を最後の一本掠めるようにして駆け抜けると、そこは小さな丘の斜面だった。

 森を背にした緩やかな登り。その頂上付近で、赤と白の光が乱舞している。獣の咆哮と、乾いた骨の軋みが混ざった音が、風に乗って降りてきた。

 獣型とアンデッド型の魔物が入り混じった群れが、丘の上を黒い帯のように渦巻いている。皮膚の朽ちた狼、小さな角の生えた鹿の骸骨、半ば土から掘り出されたばかりのような人型の影──それらの間を、巨大な炎の奔流が薙ぎ払った。

 丘の斜面を、一瞬にして昼のような明るさが包む。空気が膨張し、遅れて熱風がロイドたちの頬を打った。炎だけではない。燃え残った足下を凍らせるような冷気がすぐ後を追い、赤と青が入り混じった霧となって瘴気を切り裂いていく。


(……範囲焼却と、氷による足止めの複合か)


 見覚えがあり過ぎて、逆に言葉にならない。

 炎の海の中で逃げ惑う影が、そのまま凍りつき、次の瞬間には砕け散っていた。魔物の列の一角が、まるごとごっそりと削り取られていく。

 別の方向からは、白い光が差し込んでいた。

 陽光とも月光とも違う、柔らかいのに芯のある輝き。聖なる光が輪を描いて広がるたび、アンデッドたちの動きが一瞬止まり、黒ずんだ骨に亀裂が走る。うめき声が、霧の中に溶けていく。


(……やっぱり、あいつらだ)


 胸の奥が、ぐっと掴まれた。

 丘の頂上近くに、人影が二つ見える。まだ遠くて顔までは判然としないが、その立ち姿と魔力の波長だけで、誰かはわかる。

 炎の奔流が一段落したところで、風が一瞬だけ抜けた。

 その隙間を縫うように、ふたつの声がロイドの耳にも届いてくる。


「もう、何なのよこいつら!」


 苛立ちと疲労を半分ずつ混ぜた、聞き慣れた凛とした声。


「キリがないし、何かキショイよ~!」


 泣き言のようでいて、どこか楽しげですらある、間の抜けた声。

 ロイドの口元に、自然と笑みが浮かんだ。


「ロイド、いました!」


 ルーシャが先に指さす。指先を追ってみると、丘の稜線に立つ二つの影が、炎と光の明滅の合間にくっきりと浮かび上がっていた。

 片方は、炎を纏う杖を肩に担ぎ、乱れた青髪を掻き上げながら魔物の群れを睨みつけている美しい女。もう片方は、鉄槌と光の盾を半ば抱きかかえるように構える、小柄な少女だ。

 エレナと、フラン……〝なんでも屋〟の後輩で、元パーティーメンバーたちである。


「ああ。助っ人に行くぞ。ついて来いよ!」

「はい!」


 ロイドは短く告げると、躊躇なく丘へ駆け上がった。

 瘴気の濃度が、さらに一段階跳ね上がる。丘の中腹あたりには、焼け焦げた魔物と砕けた骨が山のように転がっていた。その隙間をすり抜けるようにして、まだ動いている影の背後へ回り込む。

 森側から押し寄せている魔物の列の尻尾に、ロイドは飛び込んだ。

 気付かれる前に、〈呪印(マリス・グリフ)〉が勝手に先に反応する。右手の甲の下から立ち上る黒い線が、魔剣〝ルクード〟の刃へとすっと流れ込んだ。


「悪いな。先を通してもらうぞ」


 低く呟きながら踏み込む。

 背後から斬り上げる一閃で、瘴気をまとった狼型の魔物を三体まとめて裂いた。刃にまとわりついた黒い靄が爆ぜ、血と霧が同時に舞い上がる。

 続けざまに半身をひねり、右側のアンデッドの首を薙ぐ。

 首の骨が乾いた音を立てて飛び、胴体が崩れ落ちる。その勢いのまま、前方にいる猪型の後ろ脚を断ち切った。巨体が前のめりに倒れ込み、前列の魔物を巻き込んで雪崩を起こす。


「え!?」

「なに!?」


 エレナとフランの驚いた声が重なった。

 ロイドはそちらを見ず、倒れ込んだ魔物の上を踏み台にして、さらに前へ出る。

 瘴気の濃い中心部に向かって、一歩、また一歩と。

 ようやく、前方から声が飛んできた。


「全く……助太刀、遅いんじゃないの?」


 呆れとも安堵ともつかない調子。

 ロイドは、左斜め前にいる青髪の女──魔導師・エレナを横目に捉えながら、肩を竦めてみせた。


「待たされたのは、こっちも同じだよ」


 返しながら、飛びかかってきた骸骨兵の腕を叩き折る。

 骨片が飛び散り、その隙間から白い光が差し込んだ。フランの放った浄化の光が、アンデッドの胸骨を内側から焼いていた。


「その言い方はないんじゃないかな~。手紙見てすぐ来たのに」


 文句を垂れつつも、フランの動きは止まらない。

 光の盾で獣型の突進を弾き、足下に集めた白光を爆ぜさせて、複数体をまとめて吹き飛ばしていた。


「来てくれて、ありがとうございますっ」


 ロイドの後ろを走ってついてきていたルーシャが、ふたりの横に滑り込むように立つ。息を切らしながらも、その顔はぱっと明るかった。

 四人の視線が一瞬だけ交錯した。

 炎の明滅に照らされて、それぞれの口元に同じ形の笑みが浮かぶ。


「よ~し! ほいじゃあ、いっちょやったりますか!」


 フランが、鉄槌をぐっと掲げて叫んだ。


「行くわよ!」


 エレナが杖を振りかぶり、足元に新たな魔法陣を展開した。

 赤と青の紋様が、彼女を中心にして同心円を描く。炎と氷の二属性を同時に展開する、エレナの得意とする複合術式だ。


「ルーシャは後方でエレナの横にいてくれ。前は俺が行く」


 ロイドは短く指示を飛ばす。

 陣形を崩さなければ、ここは一気に押し切れる。


「はい、わかりました!」


 ルーシャは頷き、エレナの半歩斜め後ろに位置を取った。

 両手を組み、祈りの構えに入る。すると、彼女の足元とロイドの足元に、小さな光の紋が咲いた。

〈共鳴スキル〉……ではない。だが、ロイドとルーシャの間には、〈共鳴スキル〉を発動させていなくても、いつもで共鳴状態のような空気感がある。先日の森の戦闘で、それを何か掴んだ。きっと、ルーシャも同じなのだろう。彼女が傍にいるだけで、力が溢れてくるのだ。


「気を付けてくださいね」


 ルーシャがこちらに向けてにこりと微笑みかけた。


「誰にものを言ってるんだ」

 

 ロイドもにやりと笑みを返し、一歩前へと進み出る。

 フランもそれに合わせて前に出るが、完全な最前列にはならず、半歩後ろで構えを取った。筋力強化の魔法を、自分とロイドとルーシャに順繰りに掛けていく。光の紐のようなものが、三人の身体を一瞬だけ結び、すぐに溶けた。


「さあ、殺されたいのはどいつだ?」


 声に呼応するように、正面の瘴気がざわりと波打つ。

 炎に炙られ、氷で足を止められたはずの魔物たちが、なおも這い寄ってくる。肉が崩れ、骨がむき出しになっても、瘴気で無理やり動かされているのだ。

 それを迎え撃つように、エレナの足元の魔法陣が華やかに輝いた。


「燃やし尽くしなさい……〈天炎獄滅(ラグナ・フレイム)〉!」


 低く呟いた瞬間、丘の斜面の前方一帯に、炎の波が走った。

 今度の炎は、先ほどよりも範囲は狭いが、その分密度が高い。地表を舐めるように進みながら、瘴気と魔物の肉体だけを選り分けて焼いていく。焼け残った足場に、すぐさま青白い霜が貼りついた。

 炎で弱らせ、氷で動きを鈍らせる。

 そこから先は、前衛の仕事だ。


「行くぞ!」


 ロイドは炎の消えかけた痕を踏み込み、凍りついた地面の上を滑るように間合いを詰めた。

 足裏にはフランの強化が乗っている。瘴気で重くなった身体が、一瞬だけ軽く感じられた。〈呪印(マリス・グリフ)〉の熱と、強化魔法の刺激が、同じ方向へ背中を押す。

 一本の斬撃で、前列の獣型を串刺しにする。

 刃に付着した黒い靄を、ロイドは意識だけで弾き飛ばした。背後から、ルーシャの祈りが飛んでくる。見えない浄化の風が、ロイドの周囲だけ瘴気を薄めてくれていた。

 フランも、ロイドのすぐ横で動いていた。

 小柄な身体に似合わぬ力を鉄槌を振り回し、突っ込んでくる魔物の頭蓋を片っ端から砕いていく。

 背後から、ルーシャの声がかかった。


「母なる光よ……!」


 彼女の小さな手のひらから飛び出した光の衝撃が、側面から回り込もうとしていた骸骨の群れをまとめて吹き飛ばした。骨の山が転がり、そこへエレナの小規模な火球が降る。

 焼け焦げた骨片が爆ぜるように砕け散り、その中をロイドが駆け抜ける。


「ロイド、前に出過ぎだよ! もうちょい後ろで──」


 フランが咎めるような声を上げた。


「お前こそ突っ込み過ぎだ。後ろでルーシャを守ってろ」


 ロイドは短く言い返しながら、目前の魔物の首を落とす。

 フランが前に出過ぎると、後衛ががら空きになる。それが頭にあるからこそ、つい言葉が鋭くなった。


「二人とも、口喧嘩は後にしなさい。今は数を減らすのが先よ」


 背後から、エレナの冷静なツッコミが飛んできた。

 魔力の奔流の中でも、声の調子はまるでパーティー時代の頃のままだ。怒っているというより、呆れているのに近い。


「わ、私なら大丈夫ですから! 安心して、戦ってくださいっ」


 ルーシャが慌てて宥めるように言う。

 その声が、不思議と戦場の空気を和らげた。

 魔物の群れの真ん中で、狂ったように動き続ける骸骨兵の頭蓋を割りながら、ロイドはふっと笑ってしまう。


(……なんだよ。こんな状況なのに)


 死と瘴気に囲まれた丘の上で、どこか楽しいとさえ思っている自分がいた。

 背中を預けられる仲間がいて、互いに言いたいことを言い合いながら戦えている。その事実が、恐怖や重圧をほんの少しだけ溶かしてくれている。

 そして、それはロイドだけではなかった。皆の顔にも、うっすらと笑みが浮かんでいる。

 まず、エレナの炎が、再び前方の帯を焼き払った。

 フランの強化が、ロイドの身体に新たな力を与える。

 ルーシャの祈りと〈気弾(フォース)〉や〈聖光(ホーリーライト)〉が、魔物をまとめて吹き飛ばす。

 四人の動きが、徐々に噛み合っていった。

 ロイドが斬り込んだ隙間を、フランが盾で広げ、そこへエレナの爆裂魔法が落ちる。ルーシャはその余波で生き残った個体だけを〈気弾(フォース)〉で仕留め、ついでに周囲の瘴気を薄く削いでいく。

 終わりが見え始めたのは、それからどれくらい経った頃だろうか。

 最初には丘を埋め尽くしていた黒い影が、目に見えて減っている。まだ数体、瘴気に操られた屍がよろよろと立ち上がろうとしていたが、その動きには最初の勢いはない。


「これで……最後だな」


 ロイドは、残りの一団を視線で数えた。

 数としてはもう、大したことはない。問題は、周囲に残っている瘴気だ。倒したそばから土が黒く染まり、新たな霧が立ち上ろうとしている。

 それを断ち切るように、ロイドは前へ出た。

 最後に残った獣型の群れの中に飛び込み、〈呪印(マリス・グリフ)〉の熱を刃に集める。斬撃というより、線を一本引くような感覚で、横に薙いだ。

 瘴気をまとった身体が、紙のように裂けた。

 紫がかった血と黒い霧が同時に吹き上がり、その中心にぽっかりと空白が生まれる。


「エレナ!」


 振り返りざまに呼ぶ。

 エレナは既に杖を構え、こちらの意図を察していた。


「ええ、わかってるわ……消えなさい。〈上位火球魔法イーニュス・ファトゥス〉!」


 彼女の指先から、小規模な爆裂の火球が飛び出した。

 さきほどロイドが作った空白の中心に、それが吸い込まれる。次の瞬間、音より先に光が爆ぜた。

 ドン、と腹の底に響く衝撃。

 爆心地から外側へ向かって、炎と衝撃波が輪のように広がり、最後に残っていた魔物たちをまとめて吹き飛ばした。瘴気に染まっていた土が、一瞬だけむき出しの地肌を見せる。

 静寂が、丘を包んだ。

 耳の奥が、じんじんと鳴っている。

 焼け焦げた肉と骨の匂いが風に流れ、代わりに冷たい朝の空気が少しずつ入り込んでくる。東の空は、ほんのりと朱を帯びていた。夜明けは、すぐそこだ。

 ロイドは、ゆっくりと肩で息をした。

 視線を巡らせると、倒れ伏した魔物の山々の隙間から、白い霧がふわりと立ち上っているのが見える。だが、それはさっきまでの瘴気とは違う。

 ルーシャとフランの浄化の光と、エレナの炎に焼かれた影響か。

 この丘の上だけ、瘴気の膜が一枚剝がれ落ちたように、空気がわずかに澄んでいた。遠くの森の陰りは相変わらずだが、この小さな戦場だけは、夜明けを一足先に迎えたかのように──どこか、明るかった。

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