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【書籍化決定】追放された黒剣士は白聖女と辺境でのんびり暮らしたい。~え? 聖女と一緒に戻ってきてほしいって? もう遅い~  作者: 九条蓮


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第54話 客人迎え

 森の縁を抜け、崩れた石標の立つ街道へ出た。

 朝の涼しさはすっかり退いて、陽は白く高い。道の土は乾き、踏みしめるたび細かい砂が靴底に鳴った。西からの緩い風に、麦藁や干し草、遠くの畜舎の匂いが混じって運ばれてくる。

 分岐点は、かつての里を示す道標が苔に沈んだ三叉路の要所。人の往来は少ないが、それだけに視界は開けていた。誰が来ても見落とすことはないし、誰かに見張られていても、こちらが先に気付ける。

 着いた時刻は、約束の刻より少し早かった。ロイドは道標の影に寄り、背負い紐を締め直す。腰の剣の位置、外套の襟、足元の土の具合。癖のように確かめてから、ふと空を仰いだ。淡い雲が風に伸び、砕けている。光の粒が乾いた土にこぼれて、粒々にきらめいた。

 五分ほどが過ぎただろうか。西の曲がり道の向こうに、人影が揺れた。背丈の違う二つ。肩を並べて歩く影は、やがて色を帯びて近づく。ローブを纏った髪の青い女が杖を持ち、緑髪の小さな女は、その小さな背丈に似合わない鉄槌を持っている。エレナとフランだ。


「やっほー、ロイド。来たよ~」


 フランが軽やかな足取りで、こちらに手を振った。遠くからでも通る声で、麦の穂みたいに腕を振る。

 間を置いて、エレナも軽く片手を上げた。ふたりとも首筋に汗を光らせ、砂をまとった裾を払うのが見えた。


「よお。歩いてきたのか」


 距離が詰まると、ふたりの息の上がり具合がわかった。

 顔色は悪くないが、少し疲労が滲む。靴の甲には道の白い粉が薄く積もり、肩の革紐には細い草の穂先が絡んでいた。


「あなたたちのために、歩いて来てやったのよ。場所、知られるとまずいんでしょ?」


 エレナが杖の石突きで軽く土を叩き、事もなげに言った。

 おそらく、昨日のロイドとクロンのやり取りから、諸々の事情を察したのだろう。こちらの事情を汲んで、当然のように最善の手を選ぶ──エレナらしいやり方だ。


「途中まで牛車に乗せてもらったけどね。さすがに歩きだと遠いねー」


 フランは肩にかけた小袋を揺らし、草の欠片をぱたぱた払う。

 声に張りはあるが、足取りにだけ疲れが出ていた。


「気を遣わせて悪いな。助かるよ」


 言葉にすると、ふたりの頬に薄く笑みが差した。

 待ち合わせの段取りで、クロンにも拠点の場所を明かしていないことは感じ取っていたのだろう。読みの速さと手際の良さ──ふたりが信用できる所以だ。

 フランがきょろきょろと周囲を見回していた。街道の先、森の影、道標の根元。落ち着きがないというより、探している。


「聖女様は?」


 やはり、まず気になるのはそこか。

 フランはルーシャを前にすると妙に畏まる。教会に身を置いてきた時間が、身体に染み付いているのだろう。


「昼食の準備をしてるよ。ふたりをもてなすんだって朝からずっと気合入りっぱなしだ」

「ひ、ひええ……聖女様にもてなされるなんて、恐れ多くて無理だよぉ」


 フランは両手を頬に当て、今にも泣きそうな顔を作ってみせた。大袈裟だが、本音でもあるのだろう。

 ルーシャの立場が教会にとってどれほどのものだったのか、改めて思い知った。末端の神官がこうして縮み上がってしまうほど、彼女は高位な存在だったのだ。


「そう言わないでやってくれ。ああ見えて、ふたりが来るのをかなり楽しみにしてるみたいなんだ」


 修道院時代の友はいたはずだが、聖女に選ばれてからは同年代と気安く語らう機会は殆どなかった、とルーシャは言っていた。同性の、同世代の来訪。張り切るのも道理だ。


「フランは朝からずっとこの調子だから、気にしないで。お土産を選ぶのだって、すごく時間が掛かったんだから」


 エレナが肩を竦めると、フランは「だってさぁ」と鼻を鳴らした。


「そんなこと言われても……あたしらにとって、〝白聖女〟様は女神様に最も近い女性なんだよ。焼き菓子なんかでいいのかなぁって」

「きっと、喜ぶと思うよ」


 お土産を渡された時のルーシャの顔が、脳裏に浮かんだ。手を胸の前で合わせて、嬉々として笑みを浮かべる……想像しただけで、ロイドの頬が勝手に緩んだ。

 ふと、フランに覗き込まれた。彼女は目を丸くしてから、柔らかく微笑んだ。


「……何だかロイド、柔らかくなったね」

「柔らかくなった? 身体が?」


 柔軟は毎日やっているが、今日特に変わった覚えはない。首を傾げると、フランが吹き出した。


「そうじゃないってば。雰囲気っていうか、表情っていうか。何だか話しやすくなった気がする」

「俺って、話しにくかったの?」


 自分を指差して、エレナに訊いた。

 エレナは苦笑いを浮かべてみせた。


「話しにくいってことはなかったけどね。でも、あんまり話しかけちゃいけないのかなって思ってはいたかな。私たちとは距離置きたがってたように見えたから」

「マジか……全然そんなつもりなかったんだけど」


 言われてみれば、心当たりがないでもない。

 誰とも〈共鳴〉できない、と自分で決めつけていた頃。距離を取るほうが互いのためだと、どこかで決め込んでいた。ルーシャとぶつかったのも、結局そこに根があったからだ。

 遠回りだったが、その果てに今がある。そうしたルーシャとの繋がりでロイドも変わってきているのなら、それはそれで嬉しいことだった。


「行こう。ここからは人通りが減る。一応、尾行には気を付けてくれよ」


 分岐から外れ、細い脇道に入った。

 足跡は薄く、雑草が道の中央まで伸びている。今やこの先を使うのは、ロイドたちだけだ。枝を手で払いながら、ふたりを先導する。

 歩きながら、他愛もない会話が続いた。


「ってか、聖女様って料理とかするんだ?」


 フランが道端の花を指で弾きながら言う。花粉が小さく散って、陽に溶けた。

 エレナもその言葉に同意する。


「あ、確かに。何でも付き人からしてもらってるイメージだったわ」

「多分、料理自体かなり好きなんじゃないかな? 修道院時代から料理を担当してたって言ってたよ。食べられる草とかハーブにも詳しくてな。そこらの雑草でも、ルーシャにとって見れば食材みたいだ」


 ロイドは足下の草むらを一瞥する。

 名も知らぬ葉、毛の生えた茎、紫の小花。自分にはただの雑草だが、彼女にとっては香りや薬になる。ここに辿り着くまでの道中、どれほどその知恵に助けられたか。


「しょ、庶民的過ぎる……全然イメージと違うんだけど」

「普通の女の子だよ。ちょっとだけ神聖魔法の扱いが上手いだけの、な」

「そのちょっとが異次元だから、あたしはこうしてビビり散らかしてるんだけど」


 フランが微苦笑を浮かべて言った。笑いながらも、敬意は崩れない。彼女なりの照れ隠しだろう。

 やがて、木々の切れ目から視界が開け、ザクソン村跡地が広がった。

 屋根の落ちた家、歪んだ垣。風に晒された土台だけが陽に白い。人の気配はなく、鳥の影だけが低く走る。


「ここだ」


 ロイドが立ち止まると、ふたりは思わず足を止めた。


「これはまた……」

「見事に廃村だねぇ」


 不安と好奇心が混じった声。互いに視線を交わし、眉を寄せる。

 表情は読める。本当に住めるの? という問いだ。


「まあ、俺たちしか使ってないからな。あそこの畑なんかは、この前一日掛けて耕したんだ」


 指さした先、一角だけ土が新しく起こされていた。

 畝がまっすぐに並び、風で薄く乾いた表土の下に、黒い地力の匂いがある。春に蒔く種は、この前の依頼で手配済みだ。


「あ、ほんとだー! 何だか、こういうのいいなぁ」


 フランが土の匂いを吸い込み、目尻を下げた。

 武具だけが世界の全てではない、と感じたのだろう。その感覚はわかる。ロイドもここで暮らし始めてよく抱いていた所感だ。

 その時、エレナがぴたりと足を止めた。廃村の中心──風雨に晒された石柱に、素朴な聖印が括り付けてあるのを見つけたようだ。紐は新しい。石柱の根元には清めの砂が薄く撒かれている。


「ちょ、ちょっと待って! もしかして、この一帯を〈破邪の結界(ホーリーフィールド)〉で包んでるの!?」

「お、気付いたか。そう。だから、この近辺に魔物は寄ってこないんだ」


 結界の縁は見えない。だが、風の通り方、鳥の飛び方、虫の巣の位置──微妙な『静けさ』の纏い方で、詳しい者にはわかる。エレナの目はさすがだった。

 フランが目を見開いて、すぐに頬をひくつかせた。


「嘘でしょ……村全体を覆う結界なんて、聞いたことないよ。それも、あんな小さな聖具で」

「あー、それは言ってたな。もっと大きな聖具があれば、結界を張りっぱなしにできるのにって。今は毎日、あの聖印に結界魔法を施し直してるよ」

「毎日? 信じられないわ。この規模の結界を作ったら、私ならその日の魔力を全部使い果たしちゃうわよ」


 エレナは杖の柄を握り直し、聖印から村を見渡した。

 その目には、驚きと技術へ向ける敬意が混じっている。彼女も結界魔術を扱うからこそ、ルーシャの凄さを肌で感じたのだろう。

 村の道を縫うように、三人は進んだ。屋根が落ちた家の影は涼しく、風が通る。壁の崩れた小屋からは、乾いた草の匂いが流れ出していた。遠くで、煙突からまっすぐな煙が一本、青空へ溶けていくのが見える。


「まだ何とかなりそうな家屋はあるけど、どれもボロボロね」

「まあ、廃村だからな」

「本当に住めるようになるの? 雨漏れとかしそうだけど」

「それは、俺たちが住んでる家を見てから判断してくれ」


 ロイドが指し示した先、低い木塀に囲まれた家。

 屋根は葺き替えられ、壁は完全に修繕されている。窓枠には薄い布がかかり、戸口の上には手製の庇が張り出していた。煙突からは、さっき見えた煙がたなびいている。

 近づくにつれ、焼いたものの甘く香ばしい匂いが鼻を擽った。スープの湯気の温かさ、バターの塩気、果実の酸味が混ざっている。


「ここだ」


 ロイドは戸口の前に立ち止まり、ふたりを振り返る。

 エレナとフランの顔に、期待とわずかな緊張が走った。フランは胸の前で小袋を抱え、エレナは杖の先を軽く土に押し当てる。


「入るぞ」


 ノッカーを鳴らすまでもなく、向こうから足音が近づいてきた。軽やかで、迷いのない足取り。戸板が内に引き、温かな空気がふわっと漏れ出す。木の香り、火の匂い、甘い湯気。

 ロイドは半歩身を引き、ふたりに先を促した。ふたりが敷居をまたぐ。続いてロイドも足を入れ、戸を閉める。

 外の風がふっと途切れ、家の空気が三人を包み込んだ。

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