番外編 残された者たちの不安
「ねえ、本当に大丈夫だと思う?」
宿屋の一室にて、まだ幼さの残る緑髪の少女──〝回復術師〟フラン=アーキュリー──が不安げに訊いてきた。
もちろん、何のことかはわかっている。追放した〝黒剣士〟ロイド=ヴァルトのことだ。
「……そうね。ユリウスが大丈夫って言うなら、大丈夫なんじゃない?」
青髪の美しい女──〝魔導師〟エレナ=ルイベルは投げやりで答えた。
ロイド追放の件に関しては、勇者ユリウス=マフネスが独断で決めたことだ。そして、彼が独断で決めたことをどう反論しても、覆らない。それは、ここ暫く旅をしていて嫌という程わかっていた。
これまでも、強敵を前にして『まだ早い』『撤退した方がいい』と進言しても、受け入れられた例がない。
この前のレッドドラゴン討伐の件もそうだ。エレナやフランがどれだけ止めても、ユリウスは『勇者なら、あれくらい簡単に倒すもんだよ』と言って聞かなかった。
結果が、全滅寸前の危機だ。正直、ロイドが〈呪印〉の力を解放していなければ、今こうして無事にはいられなかっただろう。
「でもさー、前衛がいなくなるんだよ? あたし、不安だよ」
「王都に帰れば、新しい戦士を紹介してくれるんですって。アテもあるそうよ」
「……結局、王様頼りかぁ」
フランは呆れたように溜め息を吐いて、枕に顔を埋めた。
「あたしはロイドのこと、結構頼りにしてたけどなぁ」
「そう思ってるなら、反対すればよかったじゃないの。〈呪印〉が暴走して、あなたが怪我をしたから追放されたのよ? あなたが庇ってあげれば少し流れも変わったと思うけど」
「……そう言ってユリウスが話を聞いてくれると思う? っていうか、そんな大した怪我じゃないから大丈夫だってあたしちゃんと言ったし!」
フランの意見も尤もだ。もしユリウスが聞く耳を持つような人間だったならば、エレナだって反対している。どうせ反対しても無駄だ──というより、むしろ逆効果だ──というのがわかっているから、何も言わなかった。彼が癇癪を起こすことの方が面倒臭い。もししつこく食い下がれば、どんなことをされるかわかったものではなかった。ロイドのように、報復で辺境地に放り出される可能性もあるし、勇者に逆らったということで意味のわからない罪を擦り付けられる可能性もある。
国王陛下も面倒な男を勇者に認定したものだ。有力貴族の息子だか何だか知らないが、どうして神はあんな男に勇者たる資質を与えたのだろうか。いまいち納得ができない。
「っていうかさ、ロイドいなくなったらめっちゃ大変じゃない? いつもアイテムの買い出しとか整理とか、手続きとか面倒なこと全部やってくれてたんだよ? それ、誰がやるの?」
「私たち、じゃない?」
「そんなぁ」
フランがうんざりだという様子で再び枕に顔を埋めた。
そんなぁもこんなぁも何も、実際この宿の手配だってエレナがやっている。今まではロイドのお陰で戦闘と冒険だけに集中させてもらっていたが、これからはそういうわけにもいかない。エレナやフランの仕事は、否応なしに増えるだろう。
「あいつさー、ロイドをクビにして困るの自分っていうの気付いてないのかな?」
「気付いてないんじゃない? だって、彼にとっては何から何まで面倒なことは誰かにしてもらって当然なんだもの」
ユリウスは、実に貴族のお坊ちゃまらしい性格をしている。
自分は自分のやりたいことだけをやって、面倒なことはロイドに全部「これやっといて」だった。普通の感覚なら、ロイドがいなくなったら面倒なことを頼める人間がいなくなる、という判断に至りそうだが、ユリウスに限ってはそうではない。というのも、彼はこれまでの人生に於いて、面倒なことは常に誰かがやるものだと思っている。ロイドがいなくなったとて、誰かがやってくれると勝手に思っているのだろう。
どうせなら、前衛と一緒に雑用兼ユリウスの執事係も国王陛下に頼んで派遣してもらいたいくらいだ。
「でも、ロイドに甘えてきたツケだよね」
「そうね……私たちにも責任がないわけじゃないわ」
これもまた、その通りだった。
ロイドは王命によってパーティーメンバーに組み込まれた、謂わばパーティーの世話係だった。
国王とロイドにどういった関係があったのかは定かではないが、まだ戦闘経験もないユリウス一行の護衛としてつけたのが彼だった。寡黙であまり自分のことを話したがらず、いつも一歩、エレナたちとは距離を置いていたように思う。いや、置かせてしまった、というのが正しいのだろうか。
どういったわけか、何故か国王陛下から特別扱いをされているロイドを、ユリウスは嫌っていた。ユリウスが、ロイドをエレナたちと馴染ませないようにしていた節さえある。
もしロイドと〈共鳴スキル〉を確立することができれば、彼が〈呪印〉の力を解放する必要もなかったのだが……これは、信頼関係を築けなかったフランやエレナにも責任はある。今さらながら、彼に歩み寄れなかったことが悔やまれた。
「ロイド、大丈夫かなぁ……」
フランが物憂げな様子で、顔だけこちらを向けてきた。
訊かれても困る。一文無しで食糧もなく辺境で追い出され、無事かどうかなど判断できるはずがない。
少なくとも、エレナが同じ状況に置かれたら生きていける自信はなかった。
(でも……〈呪印〉って、一体何なのかしらね)
ふと、レッドドラゴンを撃退した際に見せた、〈呪印〉の力を思い出す。
真っ黒の瘴気を纏って狂戦士と化した彼は、まさしく鬼神の如き強さを誇っていた。
その姿を思い浮かべる同時に、昔読んだ呪いの書籍の中にあった一文も脳裏に過る。
「『黒の呪いと白の奇跡が交わる時、世界は救われる』、か……」
ぽそりとその一文を、呟く。
確か、こんな内容だったと思う。前後の内容までは詳しくは覚えていないけれど、あの本に書いてあった刻印が、ロイドの痣とかなり似ていた気がした。
「なにそれ? 何かの詩?」
耳ざとく聞いていたフランが、訊いてきた。
「ううん、昔読んだ呪術の本に書いてあった文。もしロイドのあの瘴気が黒の呪いだったら、白の奇跡って何なのかなって、ふと思ってね」
確か、呪術書には『白の奇跡が少女の姿で現れる』とだけ記されていて、その内容については詳しく触れられていなかった。もしかすると、まだ明らかになっていないだけかもしれないが。
「そんなのあったんだ。白の奇跡かぁ……教会関係かな? でも、もしそれで世界が救われるなら、勇者っていらなくない?」
「……確かに」
フランの尤もな意見に、思わず納得してしまう。
そうだ。もし、世界を救う存在が勇者以外にいるのであれば、ユリウスが勇者に認定された必要性がない。そこにロイドを同行させる意味も、ないだろう。
「ま、今私たちが懸念すべきことは、そんなことよりも次の前衛がまともな人かってどうかだけね」
「それなー」
エレナの懸念に、フランが同意する。
勇者を支える〝保護者〟を失った今、エレナたちの未来はあまりに心許なかった。




