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【書籍化決定】追放された黒剣士は白聖女と辺境でのんびり暮らしたい。~え? 聖女と一緒に戻ってきてほしいって? もう遅い~  作者: 九条蓮


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第52話 ふたりきりの夜

 夜が落ちた。家の外の草むらで虫が細く鳴き、遠くの木立を撫でる風が廃村の屋根をわずかに震わせる。

 ルーシャが作ってくれた夕食を食べ、満腹が収まって暫くしてから湯を浴びた。後片付けまで終えて、ロイドとルーシャは灯りを落として寝室に入る。

 ここで暮らし始めた時から、ベッドは一つだった。背を向けて眠れば問題ないという理屈、もとい、彼女の願いもあって、一緒に寝るのが当たり前になっていた。

 実際、問題は起きなかった。……昨夜までは。

 同じ寝台でも、同居人と恋人とでは、意味が違う。背を向けるのが礼儀だった頃と違い、今夜は初めから正面を向き合っていた。毛布に潜り込むなり、躊躇いもなく抱き合う形になったのは、こちらが腕を回したからか、彼女が胸もとへすべり込んできたからか──どちらが先だったのか、もう定かではない。

 肩先に頬が触れる。湯上がりの温度と、洗いざらしの綿の匂い。それから、ルーシャの髪に残った石鹸の香り。耳のすぐそばで、規則正しい呼吸がかすかに揺れている。脈拍が、その呼吸に合うように整っていく。


「はぁ……なんか、今日は疲れたな」


 彼女を抱き寄せたまま、ロイドは小さく吐息を漏らした。

 充実、という言葉もあるが、体の底からじわりと重さが湧いてくる種類の疲労だ。

 朝から晩まで、いろいろ詰め込み過ぎた。


「ですね。()()()の罰かもしれません」


 くすっと喉の奥でルーシャが笑う。軽口だとわかっていても、胸のあたりが妙にむずがゆくなった。

 朝寝坊──事実としては昼近くまで愛に溺れていただけなのだが、彼女はそれをやや自虐的に揶揄したようだ。

 彼女の背中にかけた手のひらに、彼女の鼓動が伝わってきた。少しだけ腕に力を込めると、ルーシャが腕の中で落ち着く位置を探すように身体を丸め、額をロイドの胸骨にそっと寄せた。


「でも、明日はおもてなしの準備があるので朝から大忙しです」


 大忙し、と言いながら、声音はやけに楽しげだ。

 明日の想像をしているのだろう。焼きたてのパンの匂い、湯気の立つスープ、果物の甘み。彼女の頭の中で食卓が整っていく様子が、何となく伝わってきた。


「色々買い込んでいたもんな」

「はいっ。ロイドも楽しみにしていてくださいね?」

「今から楽しみにしておくよ」


 明日、エレナとフランがザクソン村跡地に来る。遊びに行く、と本人たちは言ったが、様子見と下見が本音だろう。

 ルーシャはほとんどホームパーティーの勢いで張り切り、町で食材を山ほど買い込んでいた。とはいえ、財布が薄くなる心配はない。影狼(シャドウウルフ)討伐の報酬が、予想以上に弾んだのだ。クロンは色を付けてくれたが、付けすぎではないかと思うほどに。〝子供商人〟の配慮には、いつも救われる。

 毛布の端が胸の上を滑って戻った。自然と、話題は仕事へと傾いていく。


「俺のことを嗅ぎ付けたのがエレナたちだったからよかったものの……あんまり楽観視もできないよな。仕事の取り組み方、変えた方がいいのかなぁ」


 声に出した途端、張り詰めたものが背筋に戻ってくる。

 エレナたちだったから、問題はなかった。だが、もし教会が先に辿りついていたなら、今ごろこの寝台に安眠はない。

 気を抜けば、この暮らしは簡単に壊れてしまうのだ。改めて、それを認識させられた。


「それは……そうかもしれないんですけど。でも私、〝なんでも屋〟さんはやめたくありません」


 腰に回していた彼女の手が、わずかに強さを増した。言葉の芯を確かめるみたいに。

 ロイドは暗がりの中で薄く笑う。ルーシャならそう言うと思った。

 慈しむことと助けること。大地母神リーファ教の教えでもあるのだろうが、それを喜びにできる人間はそう多くない。彼女はその数少ない側の人だ。


「わかってるよ。それは俺だって同じだ。だからこそ、クロンの提案に乗ったんだよ。〝なんでも屋〟がもう一組いれば、全然話は変わってくるからな」


 応えるように、抱き寄せる腕にほんの少しだけ力を付け加えた。

 クロンの言い分では、町の依頼はこの先もっと増えるだろうとのことだ。こちらが意図的に受注を絞れば、不満が生じるだろう。しかし、別の受け皿があれば、その限りではない。

 もちろん、なんでもかんでもエレナたちに任せるのも悪い。危険度の高いものや判断が難しいものだけ、こちらで引き受ければいいだろう。戦力や得意分野で割り振れば問題ない。

 エレナは、攻撃も補助も結界もこなす幅広い魔導師だ。何より、頭がキレる。一緒にパーティーを組んでいた時も、こちらの動きを一度見れば次の手まで読み、先回りして布石を置いてくれていた。

 一方のフランは、神聖魔法の使い手としては〝白聖女〟に遥かに劣るだろうが、彼女の戦闘スタイルは女神の奇跡に頼るだけのものではない。神聖魔法に加えて、前線でも殴り合える胆力と根性があるからだ。

 そして何より、ふたりとも勇者パーティーでの戦いの経験があった。その経験は、大きい。


(だからこそ、だ)


 もし教会が本格的に追ってきた時、もし王国が〝死んだはずの黒剣士〟を探し当てた時。

 戦える人数は、単純に多いほど良い。ロイドが一人で背負うのと、三人で分け合うのとでは、守りきれる範囲が違う。

 ルーシャの提案──廃屋をもう一軒直して、彼女たちに住んでもらう──に乗っかったのには、そんな打算も混じっていた。もちろん、彼女には言えるはずがないのだけれど。


「でも、いいのか?」


 思考が現実へ戻る。

 暗さに慣れた目に、彼女の輪郭がやわらかく浮かんだ。


「何がですか?」

「他にもここに人が住むようになれば……その」

「ふたりきりじゃなくなる、ですか?」


 くすり、といたずらっぽい響きが混じった。

 図星を突かれて、ロイドは子供みたいに唇を尖らせて頷いた。肩口で彼女が小さく笑う。


「私は……賑やかなのも好きですから。それに、見てください」


 ルーシャは上体を起こし、窓辺へ手を伸ばす。カーテンを指の背で少しだけ持ち上げ、外を示した。

 ロイドも半身を起こす。薄闇に目を凝らすと、斜め向こうの林越しに、黒い箱のような屋根がひとつだけ見えた。この家から一番近い廃屋だ。


「ここから一番近くのお家でも、結構距離があります。ふたりきりなのは……変わらないですよ」


 振り返ったルーシャが、嫣然と微笑んだ。頬の陰影が柔らかく揺れて、少し胸が詰まった。

 そうだ。ここザクソン村は一軒の間隔が広く、しかも廃村なので、使える家屋そのものが少ない。夜になっても、音の輪郭が微かに届くかどうかという程度だ。誰かが住んだとしても、日常の境界は侵されない。

 ふたりはそっと見つめ合って。自然に顔が近づき、唇が触れた。軽い口づけをひとつ、それから、もうひとつ。


「その……今日もシますか?」

 

 間を置いて、ルーシャがおずおずと訊いてきた。

 ほんの少しだけ、躊躇するような声音。彼女が敢えて問うた意味を、ロイドは汲み取った。


「……いや、今日はやめところうか」

「え?」

「だってお前、痛いんだろ?」


 言いながら、視線が腹のあたりへ落ちる。

 ルーシャは一瞬目を丸くして、それから照れ笑いに頬を染めた。


「……バレてたんですね。実は、ほんの少しだけ。何だか恥ずかしいです」

「当たり前だ。俺は戦士だからな。痛めてることくらい、何となくわかる。むしろ……朝は気付いてやればくて、悪かった」


 確信があったわけではない。ただ、馬車を降りるときの重心の乗せ方、歩幅の微妙な揺れ、いつもと違う箇所に入る息──戦いの前に仲間の状態を読む癖は、こんなところでも役に立ってしまう。

 それに、今朝のシーツに残ったごく細い淡紅。初めてだったのだから、当然、と頭でわかっても、胸の奥がちくりと痛んだ。好きの勢いに任せて、配慮の足りなかった自分が、少しだけ憎らしい。


「い、いえ! 全然、それは大丈夫です。私も……朝は気にならなかったですから」


 そう言うと、彼女は顔を伏せ、ぽすっとロイドの肩口におでこを預けた。衣越しに、彼女の熱が伝わる。これからは、恥ずかしさをごまかす時の彼女の癖になりそうだ。

 ロイドはその細い肩を、そっと抱き寄せた。背中から腕へ、指の腹がやわらかな骨格を辿る。


「ほんと言うと……この痛みは、いつでも治せるんです。でも、治したくないっていうか」

「治さない? 何で?」


 言われてみれば、おかしな話だ。

 ルーシャはこの国一番の神聖魔法の使い手。〈治癒魔法(ヒール)〉で痛みを消すことなど、造作もないはずだ。骨折だって治していたし、毒や呪いも祓ってきたのだから。


「……そんなこと訊く人、嫌いです」


 悪戯っぽく言うと、返事の代わりに、彼女の唇が触れた。それから何度も何度も、唇を重ね合わせる。

 問いへの答えは、何となくわかった気がした。

 それから眠気に落ちるまで、毛布の中でふたりぐだぐだと話した。明日の段取り。焼く順番。火の加減。エレナが好きそうな味、フランが驚きそうな甘さ。町の井戸の近くに出ていた焼き菓子の屋台がやけに繁盛していた理由の推理。クロンはまた皮肉を言うだろう、という賭け。

 途中でまた、短い口づけが挟まって。些細な笑いをいくつか分け合った。

 やがて、虫の声が一段近くなる。家の木材が乾いて鳴る音が、どこかで小さくきしんだ。

 気付けば、ルーシャの呼吸が深くなっていた。


「……おやすみ、ルーシャ」


 ロイドは彼女の髪へ口を寄せ、音にならないほどの小さな声で囁いた。

 返事はない。代わりに、指先だけが、握った手の中で僅かに動いた。

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