第48話 元仲間たちと再会
「エレナ、フラン……今更俺に何の用だ?」
自然と、ロイドの声は低くなっていた。
右手は魔剣の柄に添えたまま、肘の角度だけでいつでも抜ける位置を保つ。ふたりの顔、立ち位置、足の向き、腰の重心。視線の端で拾いながら、同時に通りの周囲へ目を巡らせた。
屋台の揚げ油の匂い。軋む看板の音。面白半分の視線はあるが、息を潜める兵士の気配は──今のところ、ない。
庇の影、角の樽の裏、煙突掃除屋の梯子。伏兵は置いていなさそうだ。いや、置く必要がないと踏んだのだろうか。
(こいつらの狙いは何だ?)
さっきまでの浮かれていた気持ちが、一気に引き締まる。
今更、彼女たちがロイドを訪ねてくる理由に見当がつかなかった。
あるとすれば、勇者パーティーに〝偽聖女〟捜索の密命が下された可能性だ。だが、そうなるとユリウスがこの場にいないのがおかしい。
斜め後ろでフードの端を押さえる気配が動いた。ルーシャが小さく息を飲む。
「あの、ロイド……この方々は?」
ルーシャは、ロイドにだけ届くくらいの声で訊いた。通りの風に紛れて消えそうな声だ。
それが無駄に嗅ぎつけられないよう、彼女を風からかばうように一歩前へ出た。
「勇者パーティー時代の仲間さ。……警戒を怠らないでくれ」
短く告げると、彼女は唇を引き結び、小さく頷いた。
喉が動く。指先が僅かに布の縁を握りしめている。ロイドは左半身を彼女の前へ寄せ、ふたりの女に面を向き直った。
エレナは相変わらず、気品を崩さぬ立ち方だ。青い髪はきちんとまとめられ、細い杖を片手に、踵の位置は正確に石目の上。油断を見せず、しかし挑発もしない距離。
フランは反対に、通りの柱に背中を軽く預け、片足の踵で石をつつくみたいにリズムを取っている。屈託のない笑顔。だが、その指先はいつでも詠唱を切り出せる構えのようにも見えた。
「ちょっと、そんなに警戒しないでよ」
エレナが、鼻をひとつ鳴らして呆れたように言った。
肩の力は抜けている。争いごとをする気配ではない。
「そーそー。別にロイドのこと連れ戻そうって言ってきたわけじゃないよ。っていうか、あたしらも抜けてきた質だから」
フランが軽口を重ねた。明るい声に、人垣の一部が緊張を解いて散る。
だがロイドの足裏は、逆に石目の硬さをはっきり感じた。ルーシャの位置、それから彼女の手の位置を確認する。
最悪はルーシャだけ連れて逃げよう。馬と馬車は諦めないといけないが、この際は文句を言っていられない。
ロイドは注意を払ったまま、問い返した。
「抜けてきた? ユリウスのところから?」
「ええ。あんな連中と一緒にやってられるもんですか。命がいくつあっても足りやしないわ」
エレナが憤然とした様子で答えた。
声音からして、エレナとフランが嘘を言っている様子はない。おそらく、本当にユリウスと揉めてパーティーを脱退したのだろう。
ただ、それは想像に容易いことでもあった。
ロイドが担っていた雑務や穴埋めが一気に失われ、ユリウスがそれをカバーできるとは思えない。新しく加入した人間がそれをできれば問題なく活動は続けられたと思うが……どうやら、それも上手くいかなかったようだ。
だが、そうなってくると、別の問題が生じていることになる。
勇者パーティーへの任命は、王命だ。ロイドのパーティー脱退をユリウスが陛下にどう伝えたのかはわからないが、エレナとフランは明確に王命に背いていることになる。追手がついていない可能性も、なくはなかった。
ロイドは視線だけで周囲をもう一度撫でる。通りの角にいた呼び込み屋が、こちらをちらりと見てから別の通行人に声を掛け直した。今のところは、特に追手や刺客もいなさそうだ。だが、いつこの札が裏返るかはわからない。
「それで……そちらの人は? ロイドが女の人と一緒にいるとは思わなかったから、直に見るまで信じられなかったんだけど」
エレナが片眉を上げる。
声音に棘はない……いや、少しだけあるか。そんなエレナを見て、隣のフランがくすっと笑っていた。エレナの棘も、フランの笑いも意図がよくわからない。
ルーシャがフードの陰からそっと不安げにこちらを見上げた。
そうだった。彼女にはこの状況が全く掴めていない。勇者とその仲間、それから王命。彼女が直接触ってきたものは少なかった。しかし、フランは教会関係者でもある。完全に無関係であるとも言えない。
(ここであまり話すのもよくないな)
ロイドは一拍、呼吸を深くしてから、背後のバーマスティ商会の看板を見た。
〝子供商人〟のうんざりとした顔が頭に浮かんだ。彼は面倒事は嫌うが、面倒事の匂いには敏い。きっとふたりを連れて入れば、さぞかし嫌そうな顔をするだろう。
しかし、外で話すよりはマシだ。何より、クロンは事情を知っている。上手く取り計らってくれるかもしれない。
「……中で話そう。あんまり、人前で話すことでもないだろ」
「〝子供商人〟って、そんなに信用できるの?」
ロイドの提案に、エレナが首を傾げる。
「まあな。少なくとも、今の俺が信用してるふたりのうちのひとりさ」
ちらりとルーシャを見てから言うと、彼女は僅かに嬉しそうに頬を染めた。
クロンには迷惑を掛けるが、緊急事態だ。致し方ない。昨日彼らの緊急依頼に応えたのだから、今回は目を瞑ってもらおう。
ロイドは扉に手をかけ、半歩横にずれた。まずルーシャを通し、続けてエレナとフランを中に迎える。
最後に通りに一瞥を投げるが、視線の届く範囲に不自然な影はなかった。馬は鼻を鳴らし、繋ぎ杭の上で耳をふるわせただけだ。
扉の内側の空気は、外より少し冷えている。革と紙と、乾いた香辛料の匂い。
ロイドは音を立てぬよう、背で扉を閉めた。外のざわめきが薄れていく。自分の鼓動の音だけが、しばし鮮明に残った。
正面に目を向ければ、事情を察したのか、クロンが予想通り嫌そうな表情を浮かべていた。




