第6話 白聖女
──ルーシャ=カトミアル。
その名前を聞いた瞬間、ロイドの思考は一瞬、停止した。
「ルーシャ=カトミアルって……あの〝白聖女〟の?」
ロイドは唖然として訊いた。その問いに、少女──いや、ルーシャは控えめに頷き、どこか自嘲するような笑みを浮かべた。
「……はい。そのルーシャ=カトミアル、です」
マジかよ、とロイドは胸中で呟いた。
〝白聖女〟──この大陸に住む者ならば、その名を知らぬ者はいない。
弱冠十六歳にして神聖魔法を極めた者として、大地母神リーファを讃えるリーファ教から〝聖女〟と認定されている。白銀の髪と聖なる装束に身を包んだその清らかな姿から、人々は敬意をこめて彼女を〝白聖女〟と呼び、称えたのだ。
だが、そんな彼女が教会から〝偽聖女〟と呼ばれ、追われているという。
「どういうことだ? あんたほどの人間が、なんで教会に追われている?」
「それを説明するには……ちょっと、話が長くなってしまいます」
ルーシャは周囲に転がる神官騎士たちの死体をちらりと見て、申し訳なさそうに顔を伏せた。
そこで、ロイドも周囲に転がる死体の存在を思い出す。
先ほどの戦いでロイドが葬った神官騎士たちだ。圧倒的な力で蹂躙した痕跡が、周囲には生々しく地に残っている。
彼女の追手がこの三人だけとは限らない。
「追手は、まだいるんだよな?」
ロイドの問いに、ルーシャは静かに頷いた。
「はい。きっと、すぐに別の追っ手が来ると思います」
「だよな。じゃあ、一旦ここから離れるか。あいつらの馬を拝借させてもらえば、もっと遠くに離れられる」
ロイドは森の入り口の方を見て言った。
神官騎士たちの馬と、ついでに食糧や金品も頂戴すれば、何とか生きながらえられるだろう。一文無しのロイドからすれば、ある意味助かる状況でもある。
「私と……一緒に逃げてくれるんですか?」
ロイドの提案に、ルーシャは驚いたように目をぱちくりと瞬かせた。
「そのつもりだけど、何か不都合あるか?」
「い、いえ! その、自分で言うのも何ですけど……私と一緒にいると危険ですし、たぶん私を教会に差し出せば、報奨金だって与えられると思います。それなのに、どうして……?」
おずおずと訊いてくるルーシャに、ロイドは思わず頭を抱えたくなった。
何を言ってるんだ、この子は。育ちが良く嘘がつけない性格なのだというのはわかったが、さすがに追われている身の自覚がなさすぎる。
もしロイドが金に目が眩むような人間ならば、間違いなく彼女を教会に差し出していただろう。
「差し出してほしいのか? それならそうするけど」
「い、いえ! それは、困ります」
ルーシャは首をぶんぶんと横に振る。
その様子に、ロイドは小さく笑い、溜め息混じりに言った。
「ならあんまり、そういう自分に不利になることを言うな」
「……すみません」
ロイドの忠告に、彼女はしょぼんとなって顔を俯かせた。
聖女だなんだと言われても、こういったところは年相応の態度で可愛らしい。
「謝らなくていい。それに、理由ならちゃんとある」
そう前置きして、ロイドは右腕に視線を落とした。
「あんたは俺の暴走を抑えてくれたからな……あんなあたたかい感覚は、人生で初めてだったんだ」
ロイドが素直に吐露したその言葉に、ルーシャは目を丸くし、そしてふわりと微笑んだ。
「そですか。それなら……よかったです」
それは、本当に嬉しそうな笑顔だった。
ロイドはなぜだか、胸の奥を軽く突かれたような感覚に襲われ、思わず視線を逸らす。
「あー、えっと。そういえば自己紹介がまだだったな。俺はロイド=ヴァルト。よろしくな」
「はい。よろしくお願いしますね、ロイド」
自己紹介もそこそこに、ロイドたちは神官騎士たちが馬を繋いでいた場所へ戻った。早速それぞれの馬に掛けられた荷物を物色していく。干し肉、干し果物、水袋、金貨袋──必要最低限の物資を取り出し、ひとつの鞄に移していった。
しかしその行為に、どこか居心地の悪さを覚えてしまう。というか……隣にいるのは、正真正銘の〝白聖女〟だ。聖女の前で死人の荷物をかっぱらうのは、さすがに抵抗がある。
「……俺も、実は訳アリでな。今、食い物も金も、何も持っていないんだ。今だけ目を瞑ってくれ」
居たたまれない気持ちになって、言い訳がましくロイドは言った。
「いえ、そんな。仕方のないことですし……手持ちがないのは、私も同じですから。それは、いいっこなしです」
ルーシャは驚くでも責めるでもなく、困ったように笑っていた。
小首を傾げる仕草があまりにも柔らかくて、ロイドはまたしても胸がきゅっと締め付けられる感覚に襲われる。
「では、荷物の整理が終わったら呼んでください。私はさっきの場所にいますので」
ルーシャは言うと、森の方へと踵を返した。
「ん? 何だってあんなところに?」
「……祈りを捧げてきます。彼らも、本来ならこんなところで死ぬべき人たちではありませんでしたから」
そう呟く聖女の横顔は、どこか寂しげだった。
彼ら、とは先ほどの神官騎士たちのことだろう。彼女を偽聖女と罵り、命を狙ってきた相手に対しても、分け隔てなく弔うというのだろうか。
何ともお人好しというか、何というか……ただ、そういったところも含めて、彼女が聖女である理由なのだろう。
再び森の中に入っていくルーシャを見届けると、ロイドは再び物品を漁りを再開した。
(というより、気を遣わせたのかな……?)
聖女として弔いたいという気持ちもきっとあるのだろうが、ルーシャのことだから、気まずさを覚えていたロイドに気遣ってくれたという側面もあるのだろう。心優しい女の子だった。
それにしても、ここで食糧と金が手に入るのは有り難い。これだけあればふたりでも数日は生活できるし、町に行っても色々買い揃えられそうだ。
荷物を詰め終えると、馬二頭の鎖を外して野に放った。本当はルーシャも馬に乗れたらよかったのだけれど、どうやら騎乗はできないらしい。彼女を前に乗せて、ロイドが馬を操るしかなさそうだ。
ロイドは馬に乗って先ほどの場所まで戻ると──魔法を使ったのだろうか。三人分の穴が掘られていて、それぞれの遺体に土が被せられている。
その前で、ルーシャは膝を突いて祈りを捧げていた。ただ少女が祈りを捧げているだけなのに、月明かりのせいもあってか、妙に神々しい。
(……これが〝白聖女〟か)
そんな彼女の背に、ロイドは目を細める。
とても不思議な気分だった。こうして祈る彼女を見ているだけで、何だか殺しをした自分さえも救われている気になってしまうのだ。
こんな気持ちにさせてくれる彼女が〝偽聖女〟であるはずがない。どこからどうみても、正真正銘の聖女に他ならなかった。
やがてルーシャがこちらに気付いて、立ち上がった。
「そろそろ行くぞ。追手が来る前に、できるだけ距離を稼ぎたい」
「はい……お世話になります」
「それはお互い様だ。ほら」
ロイドは馬上からルーシャに手を差し伸べると、ルーシャはおずおずとその手を取った。
彼女の手を引いて、自分の前に座らせる。ふわりと彼女の良い匂いが、ロイドの鼻を擽った。
夜の帳が落ちる前、二人は馬を駆ってその場を後にした。
かつて〝白聖女〟と呼ばれた少女と、呪いを抱える〝黒剣士〟。
交わるはずのなかったふたりの旅が、いま、静かに始まろうとしていた──。