番外編 勇者様の仲間探し
夜が明けても、胸のざわめきは収まらなかった。
ユリウスは洗面台の冷水で顔を打ち、鏡に映る自分の目を睨みつけた。
赤い。眠れていないのが自分でもわかる。
こめかみが、規則正しく脈を打って痛んだ。
(僕は、こんなところで終わるような人間じゃない。あいつらが僕に相応しくなかっただけだ。僕に相応しい仲間は、必ずいる)
縋りつくように、そう自分に言い聞かせる。
昨夜のことは、そう簡単に忘れられるものではない。まさか、たった一夜でパーティーが半壊……いや、全壊するとは思っていなかった。
しかも、敵にやられてパーティーメンバーを失うのではなく、味方の強姦未遂で失うなど、誰が想像できただろうか。
どいつもこいつも、使えなさ過ぎて苛立つ。
性欲などそこらへんに転がる女でいくらでも解消すればいいし、味方で解消しようとする意味がわからない。エレナやフランだって、無事だったのだから許してやればいいものを、わざわざユリウスに喧嘩を売ってきた。到底賢い女のやることではない。
そんな苛立ちを持ちながら部屋に戻ろうとすると、その張本人であるガロが廊下の向こうからやって来た。焦げ痕は薄くなっているが、まだ動きは重い。部屋に入ると、彼は顎だけで挨拶をよこした。
「ユリウス様、今日はどう動きやす?」
「決まっている。新しい仲間を探す。今ここで、勇者としての活動を止めるわけにはいかないからな」
言ってから、胸の奥がひどく乾いた。声の張りだけが、かろうじて以前の自分を保っていた。
一旦、他の仲間を入れて行動を再開する……これが寝て起きてから導き出した答えだ。
エレナたちより使える人間が味方に入れば、全て解決する。国王陛下には、ふたりとも戦死して代わりの味方を探したと言えば済むだろう。
ガロが肩を竦めた。
「俺は王都勤めの人間ですぜ? 人集めのコネなんざねえ。俺の部下のツテも使えやせん。陛下にバレてしまいやす」
「なに、心配いらないさ。僕らは王国に認定された勇者パーティーだ。そこに加入できるとなれば、誰だって飛びつくに決まっている」
自分で言いながら、言葉の軽さにわずかな揺れを感じた。
本当にそうか? 自分でも一瞬、そんな不安が浮かぶ。
それでも、王都に引き返したくはなかった。ここで引き返すという選択肢自体が、今のユリウスには屈辱だった。
「……へいへい。なら、とりあえず傭兵ですかね。幸い、ここには傭兵ギルドがありやした」
ガロの声音には呆れが混じっていたが、ユリウスは聞こえないふりをして頷いた。
ふたりはそれから、町の傭兵ギルドへと向かった。
傭兵ギルドはどの町にもあるわけではない。基本的には戦乱や魔物被害が多い地域に拠点を構え、普段は各地に散らばる傭兵たちの登録・斡旋・監督を担う組織だ。
ここはあくまで『戦闘専門の人材供給機関』であり、依頼の幅は狭い。農作業の手伝いや行方不明者探しなど、庶民的な困りごとは受け付けていないのだ。そうした雑多な依頼は、町の冒険者もどきや自警団、あるいは個人に頼るしかなかった。
傭兵ギルドの役割には『戦で使える人材を確保しておくこと』もあり、王国や領主から徴兵命令が出た際に即応できるよう、普段から傭兵を抱え込んでいる。つまり、ここで得られるのは『戦うことしか能がない者たち』。ユリウスの目的にも合致している。
滞在中の街の中央広場に面した建物は、二階建ての大きな梁をむき出しにした、酒場併設の傭兵ギルドだった。昼前だというのに、扉を押し開けると、麦酒と汗の匂い、焦げた油と獣脂の匂いが一気に押し寄せる。
粗末な甲冑や皮鎧の連中が、サイコロを転がし、女の腰に腕を回し、声を荒げて笑っていた。場は粗野で、混沌としている。そして、ユリウスは場違いなほど小綺麗だった。
カウンターの奥に、黒髭のギルドマスターがいた。小さな杯を片手に帳面をめくっている。ユリウスは足を進め、短く名乗った。
「勇者ユリウスだ。人材募集に来た」
ついでに、国王から渡された〝勇者認定印〟を見せつけてやる。〝勇者認定印〟には国王印が彫られており、〝国王認定〟の証となる。
ユリウスの声と認定印に、周囲の空気がわずかに変わるのを感じた。視線が集まる。好奇、警戒、嘲り。いずれも慣れた種類の視線のはずだった。だが今日は、何故か素肌に刺さる棘が多い。
ギルドマスターは杯を置き、目を細めた。
「……勇者ユリウス様のパーティー、ですか。噂は耳にしています。そんな勇者様に頼って頂けるのはうちとしては身に余る光栄ですが、うちがそう易々と任せられる器用な奴ばかり抱えとるわけでもありません」
「もちろん、それも承知している。ただ、今はメンバーたちが大怪我を負ってしまってね。しばらく戦線に復帰できそうにないんだ。だが、僕らは勇者だ。活動を怠るわけにはいかないだろう?」
もっともらしい理屈は喉からすらすら出た。
実際、言いようによっては嘘ではない。だが、ギルドマスターの目つきは怪訝の色を深めた。
「……ふうむ。で、どんな職業の奴をお望みで?」
「治癒魔法を扱える奴、それから魔導師を頼みたい」
「承知しました。ただ、紹介はしますが……クレームは受け付けてませんよ。勇者パーティーに見合う人間なんてそうそういないものでね。少々あちらでお待ちください」
マスターは背後の扉へ人をやった。
それからギルドで待つこと一時間。最初の候補者が現れる。
候補一人目は、筋骨隆々の僧兵だった。僧衣の下に鎖帷子を仕込み、背には鉄の長棍。腕は丸太のように太く、指は節くれ立っている。無精髭の隙間からは白い歯が覗き、顎は勝ち気に上がっていた。
「勇者様とやら、話は聞いた。自分で言うのもなんだが、拙僧は腕が立つ。護符も、治癒魔法も大抵は扱える。だが条件がある」
やや尊大な口調で、僧兵が言った。
イラっときたが、今はここで怒っている場合ではない。ユリウスはぐっとその苛立ちを押し留める。
「言ってみろ」
「報酬は前金で七割。残りは任務完遂時。あと、拙僧が手に入れた戦利品は、全て拙僧のものとして頂きたい。礼拝堂へ寄進する必要があるのでな」
ギルド内の喧噪が、少し遠のいたように感じた。
ユリウスは思わず眉をひそめる。
「……前金で七割? それに戦利品が全部お前のものにしろ、だって?」
「神に仕えるこの身は、勇者殿に仕えるのと同義であろう? ゆえに信仰の務めを優先させてもらう」
「意味がわからないな」
声が冷たくなるのを自分でわかった。背中でガロの気配が微かに揺れる。
僧兵は肩を竦め、鼻で笑った。
「なら、交渉はここで終わりだ。拙僧を雇いたい者は、他にもいくらでもいるのでな」
踵を返す背を見送った瞬間、喉の奥で何かが焼けるように熱くなった。
ユリウスは拳を握りしめ、爪を掌に食い込ませる。
(勇者への加入を断る、だと? この僕に、条件を突き付けて? 舐めているのか?)
思わずこの場であの僧兵を血祭に上げてやろうかと思ったが、その気配を察知したガロがユリウスの肩を掴んだ。
傭兵はこういうものだ、諦めろ、と言わんばかりに首を横に振る。
確かに、今ここで暴れるわけにもいかない。ユリウスはぐっと怒りを呑み込んだ。
ギルドマスターが、ふう、と安堵の息を吐く。
「申し訳ありません。彼は腕が立つのですが、少々金に煩いところがありましてね。他を出します」
それからまた暫く待たされてから、二人目の候補者が現れた。
二人目は、痩せた魔導師だった。帽子の影からのぞく目は乾いた砂のように色を失っており、口の端は永遠に皮肉を携えているように見えた。
簡単な挨拶の後、彼はユリウスの後ろを覗き込むようにして、わざと大きな声で言った。
「ところで……おや? あの黒剣士・ロイド=ヴァルトはどうしたんです?」
ユリウスの背筋に、氷を滑らされたような感覚が走った。
どうしていきなりロイドの名を出すのか、意味がわからない。
魔導師は続けるようにして言った。
「それに、天才魔導師と言われたエレナ=ルイベルやフラン=アーキュリーは? まさか、あのふたりが大怪我を負って、人材補充にきたんですかい?」
周囲の視線が、さらに濃密になった。
笑いを堪える振動が、テーブルの板から伝わってくる。
「いやはや、勇者様御一行を支えるロイド=ヴァルトにエレナ=ルイベル、フラン=アーキュリーが大怪我を負って、戦線を離脱、と。果たして、そんな危険な戦いに私が役に立つとは思えませんなぁ」
最後の言葉は、甘く柔らかく、それでいて苛烈だった。
魔導師は嘲笑を浮かべてから肩を竦めてみせると、カウンターを離れていった。
(こいつ……!)
この魔導師はおそらく、最初から加入する気などなかったのだろう。
ユリウスをおちょくりに来ただけなのだ。
「……抑えてくだせぇよ、ユリウス様」
ガロが小声でユリウスに忠告した。
そんなことは言われなくてもわかっている。暴れれば傭兵を紹介してもらえなくなるし、勇者の名誉が下がってしまう。ここは耐え忍ぶしかないのだ。
ユリウスの唇が、ゆっくりと自制の形に引き結ばれた。震えさえ見せたくなかった。見せれば、それは負けだ。
「ふん……傭兵どもの学の無さが浮かび上がるね。どいつもこいつも、僕の仲間になる栄誉をまるで理解していない」
こう言い返すのが精いっぱいだった。
しかし、その一言を拾うように、近くの傭兵がわざとらしく笑う。
「栄誉ねぇ!」
「勇者様も今じゃ人手不足だってよ」
「俺たちゃ栄誉なんてものはどうだっていいんだよ。金さえ貰えれば、な」
「金と命だよ、バカ野郎。いくら金積まれたって死ぬような依頼受けるわけねーだろ」
粗い冗談や似たような言葉が、波のように拡がった。
それらが耳に刺さっては抜けず、内側から鼓膜を押してくる。
(何でだ。何で、僕の偉大さが誰もわからないんだ。僕は国王から認定された勇者なんだぞ……!)
拳が震える。
今すぐこの場で暴れて、この傭兵どもを全員処刑してやりたかった。だが、勇者がここで暴れたらそれこそ笑い者になる。
「どうやら、勇者の看板ってのもそう都合よく使えねえみたいですな」
ガロが唇の片端を上げ、低く言った。
横目で睨みつける。言い返したかったが、喉の奥の熱がうまく言葉にならなかった。
(何でだ? 何で、こうも僕がバカにされる? 昨日まで何ともなかったのに)
認めたくない思いが、どうしてか昨日と状況が違っている。
まさか、エレナとフランが情報をばらまいた? いや、あのふたりにそんな時間はなかったはずだ──とそこまで考えてから、ユリウスは頭を振る。
今はそんなことを考えている場合ではない。
「……次は?」
ギルドマスターへ向き直って、訊いた。
マスターは小さく溜め息を吐いて、他の職員を呼び出した。