表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

47/62

第36話 畑を作ります!

 グルテリッジから戻った荷馬車は、午後の陽に影を長く引きずりながら、ザクソン村跡のはずれで軋む音を止めた。

 乾いた風が草の穂先を撫で、空には鷹が点のように浮かんでいる。ロイドは荷台から降り、見慣れた廃屋の並びを抜けて、昔は畑だった一角へ足を向けた。

 そこは、記憶より荒れていた。背丈の低い潅木が島のように点在し、根を深く張った多年草が地表を縄のように縛っている。土は踏み石みたいに固く、表面に散った小石が陽を弾いた。


「また日が暮れるまで少しあるし、早速畑を起こしてみるか」


 自分に言い聞かせるみたいに、ロイドは声にした。


「思ったより大変そうですね……」


 肩を並べたルーシャが裾を摘みあげて雑草の海を覗き込み、素直に息を呑む。

 日が暮れるまでに終わるのだろうか。結構怪しい気がする。

 明日から始めてもいいのだけれど、どうせなら話を聞いた日のうちに、できるだけのことはやっておきたい。

 疲れた体に鞭を打って、小さく息を吐いた。


「まあ、やれるだけやってみよう」


 ロイドはそう言って、商店で買ったスコップを握った。

 まずは、足場を何とかしないといけない。

 石を退け、根の走りを読む。刃先を土へ差し、体重を載せて押し切った。厚い土塊が、ぐっと音を立てて反転する。

 最初の一突きで、腕に重さが跳ね返ってきた。石だ。刃をずらしてもう一度。今度は根っこが引っかかる。スコップの先で優しくほぐし、指で千切った。

 腰に来る作業だが、嫌とは言っていられない。それに、ゆっくりやってもいいのだし、自分のペースでやっていこう。剣の間合いと違い、こちらの相手は、急がずとも逃げないのだから。


「ここ、少しだけ柔らかくしますね」


 ルーシャが膝をつき、土に手のひらをかざした。

 ふわりと光ると、土の粒子がきしむような音を立て、少しずつほぐれていく。魔法で畑ごと耕すこともできるらしいのだが、彼女はあまりそれをやりたくないと言っていた。やり過ぎれば、土の息が乱れるからだ。

 老婦人の「土も生き物だよ」という言葉を、彼女は大地母神リーファ教の教えから既に知っていたのだろう。


「助かる。そこから一列いこう」

「はいっ」


 息を合わせ、列を刻む。ロイドが起こし、ルーシャがほぐす。或いは、ルーシャが根を気配で見抜いて、ロイドが刃を入れて断った。ふたりの影が、少しずつ畑らしい形の上を行き来する。

 土の腹から、古びた道具や陶片が顔を出した。

 鉄の赤が鈍く光る古い鍬の先に、絵付けの破片になった陶器、それから焦げ色の木片。

 ロイドはそれらを手にとり、手のひらで埃を払った。


「ここで、誰かが毎日耕してたんだなぁ」


 感慨深げに口に出すと、時間の手触りが増す。

 ルーシャは破片を覗き込み、笑った。


「絵が可愛いですね。お皿、でしょうか?」

「だろうな。……よし、危ないから金属は一旦まとめて端に出しておこう」


 集めた錆の塊は、今度鍛冶屋に持っていけば何かに生まれ変わるかもしれない。

 廃村は、ただ残骸があるわけではない。使い道を見つけられる目さえあれば、ちゃんと今を生きる道具になる。

 額の汗が顎を伝い、土に落ちた。振り上げたスコップの影が夕日を横切っていく。

 土起こしに区切りをつけると、ふたりは廃村の外れへ向かった。

 老婦人の助言の二つ目——肥やしを手に入れなければならない。古い納屋跡の裏手には、風で飛んできた落ち葉や枯れ草が年を重ね、半分堆肥のようになった山がある。これを上手く使えないだろうか、という話になったのだ。


「あ、結構良さそうですね」


 ルーシャが袖をまくり、手箕代わりの板で枯れ草を掬った。

 ロイドは麻の袋を広げ、山の下の方、黒く湿った層を重点的に集めていく。指でつまめば、すぐに崩れて強い臭いがした。土の食事にちょうどいい。


「でも……ちょっと臭いが強いかもですね。あっ、そうだ」


 何かを思いついたようにルーシャが小袋から摘み出したのは、香草の束だった。この前、町で買ったものだ。


「これ、混ぜておきますね。これならそこまで臭いも気にならないと思いますし」


 ルーシャは言って、香草を混ぜた。すると、臭いは柔らぎ、風の匂いに溶けていく。

 さすが修道院育ち、生活の工夫がさりげない。


「ありがとう。これで鼻がもげずに済みそうだ」


 ロイドは肩で笑い、麻袋の口を括った。

 戻る途中、荷台の乾き物の袋に、小さな影が鼻先を突っ込んだ。細い胴、鋭い目。イタチの類いだろうか。


「あ、こらっ!」


 ロイドが手のひらを打つと、影はびくりと跳ね、草むらへ滑り込んだ。

 追うほどのことでもない。食糧を守るのは大事だが、わざわざ仕留める必要はなかった。

 そんなロイドを、ルーシャが窘める。


「もう、ロイドったら。ダメですよ?」

「え?」

「あの子たちも食べ物を探しているだけですから」


 ルーシャはしゃがみ、草の縁へ果樹園でもいできた果実を三つほど置いた。

 ロイドが荷を持ち直して立ち上がると、さっきの小動物が茂みの影から鼻先だけを覗かせた。慎重に周囲を窺い、やがて足音もなく近づくと、果実を前足で抱えて素早く茂みに消える。

 枝葉の奥で、皮をかじる小さな音が、風の間にかすかに混じった。


「ふふっ、可愛いです。たくさん食べてくださいね」


 その様子を見て、ルーシャが顔を綻ばせた。

 共生の意識、というものが根付いているのだろう。彼女のこういった側面を見ると、とことん自分が未熟だと思わせられる。


「さすがは白聖女様ってところか。俺も見習わないとなぁ」

「そんな大したことしてませんってば。それに私、偽聖女ですから」


 ルーシャは照れ笑いを浮かべ、軽口を叩いた。

 自分でネタにできるくらいには、もう〝偽聖女〟の一件を気にしていないらしい。


「そいつは本物顔負けな偽聖女だな」


 ロイドは肩を竦め、荷台を押して歩き出した。

 採りすぎず、奪いすぎない。そその塩梅が、この土地で暮らす術なのかもしれない。

 日が沈み始めたところで、二人は起こした土へ肥やしを入れた。袋から土の上に落とし、鍬で混ぜ、足で踏み、また返す。

 全体がふかふかの褐色に変わっていくまで、慌てずに繰り返した。


「すみません、ロイド。ここ、お願いできますか?」

「おう」


 鍬の刃を入れる。土の芯がほどけ、混ざった。もう一度返すと、空気を含んだ柔らかい匂いが立つ。


「……こんなもんか?」

「だと思います」


 冬の前にここまでやれれば充分だ。

 春にもう一度軽く起こして、畝を引けばいい。


「畝は……この向きでいこうか」


 ロイドは足で線を描き、縄の代わりに細い枝で目印を置いた。

 鍬の背で面を撫で、線を引き、土を寄せ上げる。

 ルーシャが後から指先で整え、崩れかけた畝の縁を魔法でそっと支えた。魔力の光はほんの一滴、土の呼吸を邪魔しない程度に。

 一本、二本、三本。畑の輪郭が、陽の斜線の中に浮き上がってくる。


「少し休むか」


 腰を伸ばすと、背骨の間がぽきりと鳴った。

 視界の端で、ルーシャが「はい」と頷き、柔らかく微笑む。頬がほんのり赤くなっていた。


「こうして見ると、畝って綺麗ですね……並んでると、気持ちいいです」

「ああ。剣筋が揃うのと似てる」

「ふふっ、ロイドらしい例えですね」


 他愛ない会話が、風に運ばれて畑の端でほどけた。

 赤く深まった空に、長い影が重なる。最後の畝に鍬を入れ、寄せた土の肩を手のひらで撫でた。


「これで、春には何か植えられるな」

「はいっ。今から楽しみです」


 ルーシャが小枝の支柱を挿して目印を付け、言った。

 その声は、いつも以上に柔らかい。

 ロイドの胸の底で、老婦人の『土も生き物』という言葉がふっと浮かんだ。


(俺たちも、ここでちゃんと根を張れたらいいな)


 言葉にはしない。代わりに、鍬の先で小さく土を突いた。

 暮れていく空の下、畑の肩が赤く染まって、風が強く吹き抜ける。

 どこかで鳥が家路を呼ぶ声を上げ、廃屋の影が静かに伸びていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ