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第35話 修理の依頼と畑の再生

「あそこの畑の跡って再利用できないかな……」


 朝食を軽く済ませ、果実を洗って干し籠に広げたあと、廃村を見渡しロイドはふと思ったことを口にした。

 今のところ、このザクソン村跡地で使い物になっているのは、ロイドたちの居住地と浴室小屋のみ。今は使い物にならなくなっているが、昔は村の中に畑もたくさんあった。


「どうでしょう……? さすがに私も畑は専門外なので」


 すみません、とルーシャが肩を落とした。


「いや、全然問題ない。俺も知識がないんだけど、ここで小さな畑でも作って家庭菜園の真似事でもできたらいいなって思っただけさ」

「それなら、クロンさんに相談してみては如何でしょう? 詳しい人を紹介してくれるかもしれませんよ!」


 確かに、それは一理ある。クロンは商人故に顔が広く、農業に詳しい知り合いも当然ひとりやふたりはいるだろう。

 どうせやることもないのだから、とふたりは早速荷馬車に乗り込み、グルテリッジの町に行くことにした。

 食糧も買い足して、ついでにクロンに畑のことを相談してみてもいいだろう。

 馬の首を軽く撫で、手綱を引く。森を抜けるうち、朝の冷気は柔らぎ、石畳に出るころには、町のざわめきが胸の奥の拍動に混ざった。大通りはいつもの匂い──焼きたてのパン、獣脂、鉄、香草。人いきれに紛れて、見慣れた看板が目に入る。

 昼前、ふたりは荷馬車を町の広場脇に止め、バーマスティ商会の扉を押した。

 帳場の奥にいたクロンは顔を上げ、ぱっと笑みを浮かべる。


「おや、〝なんでも屋〟の白黒コンビじゃないか。何か仕事をお探しで?」


 からかうような口調で、子供商人が言う。

 ロイドの全身真っ黒な出で立ちと〝白聖女〟を掛けているのだろう。全然面白くもない。


「いや、今日はちょっと相談があって来た」

「相談? 何だい?」

「畑跡を再利用できないかと思ってるんだが、生憎と知識がなくてな。農業に詳しい人を紹介してくれないか?」

「ほう、畑か。まあ、君たちの場合、毎回町に買い出しにくるよりある程度自給自足できた方が良さそうだしね。……あっ。そういえば、ちょうどいい()()()があったんだった」


 クロンは何かを思い出したように机の脇から一枚の紙を取り出し、ロイドに差し出した。

 依頼書だ。そこには『納屋の屋根修理』とだけ簡潔に記されている。


「これ、町外れの農家からの依頼でね。屋根が落ちかけてるらしい。危険な仕事じゃないし、報酬は安めだけど……農家のご婦人だから、ついでに畑のことも聞けるんじゃないかな?」

「なるほど。そいつは確かに一石二鳥だ」

「というわけで、よろしく頼むよ。 ごめんだけど、僕は今から隣町まで商談に行かなきゃいけないから、報酬はまた別の日に渡すね」


 軽く手を振り、クロンは何枚かの書類を鞄に詰めてそそくさと出ていった。

 残されたロイドは依頼書を折り畳み、ルーシャと顔を見合わせる。


「じゃあ、早速行ってみるか」

「はいっ!」


 ルーシャは元気よく頷いた。

 血の匂いからは程遠い依頼。ロイドたちには、この方が合っていた。

 依頼書の地図は簡素だが、町の外れに向かう道は一本だけ。荷馬車を回して、石畳が土に変わるころ、小高い丘の上に赤茶けた屋根が見えた。脇に畑、柵の向こうに痩せた牛。戸口から年配の女性が出てきて、手を額にかざす。


「おや、あなたは?」

「バーマスティ商会から依頼を受けた〝なんでも屋〟さ。納屋の屋根を修理しにきたよ」

「本当かい!? ああ、やっぱり頼るなら子供商人さんだねぇ……困った時に助けてくれるのは、結局あの人なのさ」


 依頼人の女性が、愚痴るように言った。

 なるほど、クロンはこうしてひとりひとりの相談や悩み事を解決することで、あの外見ながらに信頼を築いていっていたのか。

 そして、自分の手足ではなく〝なんでも屋〟にやらせることで、自分は労力を使わず信頼と手数料が得られる。クロンがロイドたちを重宝する意味がわかった気がした。


「それでなんだけど、屋根が落ちかけててね……早速見てもらえるかい?」


 連れて行かれた納屋は、壁の板が日焼けていた。

 角の柱に乾いた亀裂。屋根の葺き材はところどころ反り上がり、梁の付け根が歪んでいるのが下からでもわかった。

 吐く息に乾いた木の粉の匂いが混じる。


(雨を吸って、重みに耐えきれずに撓んでるな。魔法で直せるところがありそうだけど……)


 ちらりとルーシャと老婦人を見比べる。

 あまりルーシャが魔法を使っているところを見られくはなかった。


「わかった。直しておくよ。終わったら呼びに行くから、それまでは俺たちに任せておいてもらえないか?」

「あら、そうかい? じゃあ、任せたよ」


 老婦人は言って、自宅の方へと戻っていった。

 よし、これで邪魔者は消えた。

 ロイドは目測で屋根の傾きを拾い、壁の四隅を順番に叩いた。

 音の響きが悪い箇所を頭に捉えながら、ルーシャに振り返る。


「外壁の亀裂、柱のひびを見てくれ。魔法で補修が効く場所と、手でやるべき場所を分けたい」

「わかりました」


 ルーシャは手のひらをそっと添え、目を伏せる。

 すると、ひびの縁が微かに光り、木目に沿って均された面へと戻っていった。

修繕魔法(リペア)〉だ。だが、この魔法も万能ではない。〈修繕魔法(リペア)〉で直せるところは、素材がまだ生きている部分のみ。死んだ部分──炭化や腐朽──は、削って替えるしかない。

 ロイドは梯子を掛け、釘袋と金槌、鋸、替えの板材を抱えて屋根に上がった。

 瓦に近い葺き板を外し、梁の状態を確かめる。一本、芯まで焦げが入っているところがあった。雷が落ち、火が走った跡だ。表面は消えていても、芯がもろい。足を掛ける角度を間違えると、抜ける。


(ここは丸ごと替えたいが……さすがにそれだと材料が足りないな。補強で持たせるしかないか)


 長手方向に添える控えの桟を当て、枘の位置に印をつけていく。

 脳内で寸法を組み立て、鋸で穂先を落としてから組み合わせた。金槌の反響が掌に響く。遠くで子どもの笑い声がして、風が灰を運んだ。

 下では、ルーシャが外壁の縦割れを撫でるように診ていた。


「こっちは細かいひびが多いです。でも深くはないので、埋めれば大丈夫そうですね」

「頼む。柱の根元は無理するな。腐りがあれば教えてくれ」

「はい」


 釘の頭を軽く沈め、桟を抱かせる。緩んだ場所は添え板と楔で力を逃がした。

 こうした仕事は、嫌いではない。力ではなく、撓みと重みの会話だ。整っていないものほど、調整の余地がある。

 梁の上に腰を落として、汗を拭った。

 その刹那……足下で乾いた音がした。踏んでいた古い板が、内側からぱきりと裂ける。


「うお!?」


 視界が斜めに傾ぎ、身体が前へ行きかけた。支えようとした手の先で、金槌が滑る。

 ダメだ、間に合わない。ここで落ちれば、端材だらけの床に背中から──


「ロイド!?」


 悲鳴にも似たルーシャの声とともに、咄嗟に祈りの言葉が零れた。


「大地を統べる母なる御方よ──我が友を受け止めたまえ!」


 すると、足下の空気が柔らかくなった。見えない何かに押し上げられるように、落下の速度がほどける。腹を梁に引っかける形で止まり、胸の奥の血がどっと戻った。

 指先で木の皮を掴み、呼吸を整える。

 下を見ると、ルーシャが両手をこちらに向けていた。手のひらの間で淡い光が揺れる。衝撃を受け止めるための神聖魔法〈衝撃緩和(グレイス・ソフト)〉だ。


「……助かったよ」


 喉の奥が乾いた声を出した。

 胸の裏がひやりとする。久しぶりに、素で危険を感じた。


「怪我がなくて、よかったです」


 ルーシャの頬が僅かに青い。彼女も相当焦ったのだろう。ロイドは片手を上げて見せ、梁に体勢を戻す。


(危ないのは何も戦場だけじゃない、か。注意しないとな)


 気を取り直し、焦げた箇所に補強板を追加していく。

 梁の荷重が均されるにつれ、葺き板を受ける桟の撓みが落ち着いた。外した葺き板の中から、まだ使えるものを厳選し、角を調えてから戻す。

 隙間には麻を詰め、最後に防水のための樹脂を薄く引いた。

 下では、ルーシャが柱の節穴に止水剤を打ち、〈修繕魔法(リペア)〉で馴染ませていた。乾いた木肌が、なだらかな面に戻っていく。魔力の光が消えると、そこは最初からそうだったかのように落ち着いた。


「外側、終わりました。内側の壁は手で直した方が良さそうです」

「了解。こっちは仕舞いに入る」


 屋根の頂部に新しい棟板を渡し、釘を等間に打つ。

 金槌の音が坂道に反響して、丘の向こうからのぞき見していた子どもたちを呼んだらしい。柵の外から、細い声がいくつも重なった。


「ねえ、何してるのー?」

「屋根を直してる」


 ロイドは応えつつ、続けた。


「そろそろ終わるから、あの家のばあさんを呼んできてくれないか?」

「わかったー!」


 子供たちが素直に返事をして、ぱたぱたと走って老婦人を呼びに行った。

 その間に、最後の板に釘を打ち込んでいく。風向きが変わっても雨が喰い込まない角度だ。棟の勾配がきれいに揃った。


「よし、ここは完成かな」


 金槌を袋に戻し、梯子を降りた。地に足が付いた瞬間、足裏の感覚が戻る。

 それから間もなくすると、子どもたちに連れられた依頼人が、胸に手を当て安堵した。


「本当に……助かったよ。ここが駄目になると、冬越しの干し草が濡れてしまうところだった」

「梁の一部に雷の焦げがあってな。今は補強で持つようにしてるけど、余裕があるなら買い替えた方がいいぞ」

「そうかいそうかい。そうさせてもらうよ」


 ロイドは納屋の内側に回り、床に散らばった端材や釘を拾い集めた。足で踏めば怪我につながる。

 ルーシャは中から柱の間を見回し、魔法で埋めた箇所の収まりをもう一度確かめた。


「これでもう大丈夫そうですね」

「よし、依頼完了だ」


 老婦人から報酬はクロンから受け取るよう指示をされ、さらに重ねて何度もお礼を言われた。

 ふたりで道具を荷馬車へ戻していると、さっきの子どもたちが距離を縮めてきた。十に満たない子や、腕白盛りの少年、髪に草の葉っぱを飾った少女。目がきらきらしている。


「ねえ! 兄ちゃんたち〝なんでも屋〟なんだってね。〝なんでも屋〟って戦うの?」

「まあ、必要があればな」

「すげええええ!」


 先に口火を切った少年が、遠慮がちにロイドの腰の剣を見上げる。剣を扱う仕事が凄いわけじゃない、と言いかけて、やめた。

 子どもに説教じみたことを言う気分ではない。

 なんと返そうかと思っていると、少女がルーシャの袖をつん、と引いた。


「お姉ちゃんの髪、すごく綺麗」

「ありがとうございますっ。お手入れ、頑張ってますから」


 ルーシャは少し照れながらも、にこりと笑う。

 その笑顔に子どもたちは一斉に顔を綻ばせた。

 本来、子供たち相手でもルーシャは話さない方がいいのだけれど……まあ、いいか。

 ロイドはその様子を眺め、頬の筋肉が自然と緩むのを止められなかった。


(こういうの、めちゃくちゃいいなぁ)


 命のやり取りも剣の腕も、日々の暮らしの隣では音を潜める気がした。

 釘を打ち、木を合わせ、雨漏りを止める──そういう仕事に、誰かの感謝がついてくる。思っていたよりもずっと重い報酬だ。

 女性は家の中から包みを持ってきて、ロイドの手に押し込んだ。油紙に包まれた、焼き菓子だ。


「少ないけれど、これも持っていっておくれ。子どもらの分を取り分けてあるから、遠慮はいらないよ」

「ありがとう。助かるよ」


 ロイドが頭を下げると、子どもたちが真似をして、ぺこぺこと頭を下げた。笑いが生まれ、風が畑の端を揺らした。

 その時ふと、この依頼を受けた理由を思い出した。


「あ、そうだ。俺たち、畑をやりたいって思ってて……今は荒れ地になってるんだが、どこから直せばいい?」


 老婦人は顎に手を当て、目を細める。


「荒れ地って、どの程度だい?」

「まあ、もう何十年も使ってない畑跡って感じかな」

「ふむ……まずは土を起こしてやらにゃ。何年も放ったらかしだった土は固く締まっているからねぇ。それから、肥やしさね。家畜糞でも枯れ草でもいいから混ぜてやると、春にはだいぶ息を吹き返すよ」


 ロイドは頭の中で作業工程を組み立てながら頷いた。


「やっぱり、いきなり種を蒔くわけにはいかないんだな」

「当たり前さ。土も生き物だよ。手を掛ければ応えてくれるし、放っとけばそっぽを向く。それを忘れなきゃ、きっと良い畑になるよ」


 その言葉は、ただの農作業の説明というより、何かもっと広い意味を含んでいるように感じられた。

 ルーシャは嬉しそうに笑い、ロイドも「なるほどな」と静かに頷いた。

 それからいくつかの助言を受けてから荷馬車を出そうとすると、少年が駆け寄ってきた。


「ねえ、また来る?」

「依頼があればな」


 ロイドは御者台から片手を上げて応えた。


「いっぱいあるよ! 父ちゃんの鋤も折れてるし、鶏小屋の扉もギイギイ言う! 直して!」

「それはお前の仕事だ。頑張れ」


 笑って返すと、少年はむっとしつつも、すぐに笑い直した。

 子どもらしい素直さに、胸の奥の硬い場所が微かにほどけていく。

 それから子供たちとも別れ、町へと戻った。

 その途中、ルーシャが小声で言う。


「……ロイドが落ちかけたとき、本当に心臓が止まるかと思いました」

「悪い。油断した」

「いえ、私ももっと早く対応できたはずなので……ぎりぎりになってしまって、すみません」

「お前は十分早かったよ。今度から俺がもっと気をつける」


 それだけ言って、空を仰いだ。

 雲がほどけ、陽がうっすらと温度を落として広がる。

 御者台で、荷馬車の車輪が心地よいリズムを刻んだ。


(いい仕事だったな)


 クロンの紙束から拾った一枚の依頼書が、今日の昼の焼き菓子の匂いと笑い声に変わった。

 こういう毎日を積み重ねるうちに、どこかに積もった黒いものが、少しずつ薄くなっていくのかもしれない。

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