第33話 白聖女と一緒にお風呂に入ることになりました。
一体俺は何をしているんだろうか──?
ロイドは自らを守るのが鼠径部を覆う布切れだけになってしまったのを見て、何とも言えない気持ちになっていた。
何というか、思っていた入浴と違う。入浴とは、本来あたたかい湯に浸かって、身体の汚れと共に疲れを取るものであるはずだ。それにも関わらず、どうしてこんなにも緊張する羽目になっているのだろうか?
その答えはもちろん、ロイドの隣にいるとある人物。
隣をちらりと見ると、視界の片隅に白く美しい肌が入ってきて、ごくりと固唾を吞み込んだ。
そこには、銀髪の美しい少女があられもない姿で立っていた。今は衣服も脱いでおり、胸元から臀部までを織物で覆い隠している。長い銀髪は湯に浸からぬように頭の上で結ばれていたが、それが尚のこと彼女の肌を露出させており、男の欲望を刺激した。浴室の中は魔法のランプ──これも今日買った──でゆったりとした暖色で照らされているだけで、それが余計に艶めかしい雰囲気を創り出していた。
きっと、天使が羽衣を脱ぎ捨てるとこんな感じなのだろう──何となくだが、ロイドはそんな感想を抱くのだった。
「その……あんまり見ないで下さい。さすがに、恥ずかしいので」
ルーシャは顔を真っ赤にしながら、泣きそうな顔で言った。
「いや、お前から出した折衷案だろ……」
「それは、ロイドが先に入ってくれないからです!」
何故だかわからないが、叱られてしまった。実に理不尽である。
ロイドはルーシャからの視線を背中に感じながらも渋々と掛け湯をして、織物に薬草石鹸を滲ませてから身体を擦った。もちろん、鼠径部を隠してるものとは別のものを使っている。
薬草石鹸は市場で売っていたので、それをいくつか買ってあった。ルーシャは他にも洗髪剤を購入してくれていたので、それを使って頭も洗う。
「えっと……本当に一緒に入るのか? 今からでも遅くないし、俺は外で──」
「いいですから、早く先に入って下さいッ」
そう言うルーシャは今にも泣き出さんばかりだった。
そんな風に引くに引けなくなっているから譲歩しようとしているのに、どうしてこうも聖女様は強情なのだろうか。いや、まあ引くに引けなくなっているだからだろうけども。
ただ、さすがにお互い布切れ一枚状態でどっちが先だと張り合うのはバカバカしい。とっとと入ってしまおう。
足先だけ入れてみると、お湯は少し熱かった。もう精霊珠は浴槽から出しているのだが、譲り合いが白熱している間も入れっぱなしになっていたので、湯が熱くなりすぎてしまったのだ。
少し熱いが入れない温度ではないし、さっさとこの状況を済ませたい気持ちもあったので、勢いよく足を突っ込んで身体ごと沈めていく。
真新しく綺麗なお湯が皮膚にしみこんでいって、筋肉をゆっくりと緩ませていくのがわかる。この、ただ綺麗になるだけではなくて、ゆったりとしていく感覚が風呂の良いところだ。
浸かった拍子にざぶっとお湯が溢れてしまったが、まあこれは仕方ない。風呂はこういうものだ。それに、これからもう一人入ってくるのだから、もっと湯は減るだろう。
「熱いですか?」
まだ湯船に入る前だと言うのに、顔を赤くしているルーシャが訊いてくる。
「ちょっと熱いけど、ちょうどいいよ。ほら、約束通り先に入ったんだから、ルーシャも入ったらどうだ」
「……はい。でも、あの……洗っている時は、できれば……」
「ああ、わかった。目を瞑っているから、安心してくれ」
ロイドは天を仰いで、目をぐっと閉じた。
一体何の拷問を受けているのだろうか。色々お預けをされて、まるで調教中の犬のような扱いだ。尤も、ルーシャにはそんなつもりはなく、ただ純粋に恥ずかしがっているだけなのだろうけども。
目を閉じていると、ルーシャが湯船から桶にお湯を掬って、洗い場で身体を洗っている音が聞こえてくる。なんだかこれはこれで、逆に色々ダメな気がした。見えないからこそ勝手に想像してしまっていた。
「えっと……終わりました」
瞼を閉じていると、そんな声が聞こえてきた。
「目、もう開けていいか?」
「は、はい」
ルーシャの許可を得てからゆっくりと瞳を開けると、湯船の傍で恥ずかしそうにしている白聖女様の姿が目に入ってきた。
織物から向きだしになった肩や四肢が妙に艶めかしい。普段見えない箇所が見えているという事実、そしてその至宝が一枚の織物に包まれているという事実が、よりロイドの劣情を刺激してくる。
「隣、どうぞ」
ロイドは彼女から視線を逸らすと、隣にスペースを開けた。
湯船は大人ふたりがぎりぎり入れるくらいで、それほど大きいわけではない。
「……はい。では、失礼しますね」
ルーシャは観念した様子で言うと、背を後ろに向けて湯船に片足を浸けた。
きっと、彼女はロイドと目が合うのが恥ずかしくて、後ろ向きになったのだろう。だが、それは逆効果だ。
後ろ向きに入ると言うことは、当然お尻を突き出す形で入ることで……布切れが見切れそうなお尻が、目の前に来てしまうのだ。
お湯の熱さのせいか、ロイドの思考力が普段より大分低くなっている。そのせいか、ついそんなことばかりを考えてしまい、自然と彼女の臀部を凝視してしまっていた。
(待て! この子は〝白聖女〟様だぞ! この世で最も清らかなる乙女! そんな不敬な目で見ることは許されない! 静まれ、俺の野生!)
既の所でロイドは目を閉じ、心の中でそう唱えることで何とか理性を保つ。
その間にルーシャが湯の中に浸かってくれたので、何とか理性の暴発は防げた。
しかし、まだロイドの理性との戦いは始まったばかりだ。これからどんな状況に陥るのか、そしてこの気まずい状況でどんな会話が繰り広げられるのか、予想できるはずもない。
瞳を開いたところで、隣に座るルーシャと目が合った。彼女はこちらに向いたまま、恥ずかしげに笑って小首を傾げる。
(はぁ……なんか、ごめん)
彼女の無垢な笑顔に、ロイドは途方もない罪悪感を抱いてしまった。
きっと、こんな風に下心満載なことを考えているのは、自分だけなのだ。
視線の先を彼女の白い肌から天井に移し、小さく息を吐く。
それほど広い湯舟ではないので、嫌でも肩が触れ合ってしまう。大人ふたりと子供ひとりくらいがギリギリ入れる程度の広さ。確か、ロイドの幼い頃も両親と入っていた時はそうだったように思う。
動こうものなら、接触は不可避。肩どころか、ふとももまでぴったりとくっついてしまっていた。
色々と布切れ一枚だけでは火山が隠しきれない気がしてならないのだが、幸いにもルーシャも視線を浴室の角に送っていた。頬を赤らめているところから、彼女も恥ずかしいらしい。
それからふたりは無言で湯に浸かっていた。
ちゃぷちゃぷとお湯が揺れる音と、外の木々のせせらぎだけが聞こえてくる。
思えば、不思議な関係だった。ルーシャとはまだ会って数日なのに、命運をともにする関係になって、どうしてか風呂まで一緒に入っている。意味がわからないにも程があった。
だが、この時間は決して嫌いではない。いや、とても心地が良いものだと思えた。
「こういう小さなお風呂もいいですね……」
ルーシャが湯を自らの首に優しく掛けながら、沈黙を誤魔化すように言った。
「大浴場にはない良さがあるよな」
「はい。こんなに気持ちいいお湯は初めてです」
恥ずかしいですけどね、とルーシャは困ったように笑った。
それはひとりで入っていれば避けられた問題なのではないかと思うが、もう敢えて突っ込まないでおこう。話が永遠に終わらない。
「……ロイド?」
また沈黙が戻ってくるかと思えた頃に、ルーシャが柔らかい笑みを浮かべて、こちらに向き直った。
「もし嫌でなければ、またこうして一緒にお風呂に入って下さいね」
その笑顔はとても無垢で、でも少し恥ずかしそうで。
もしかすると、この時間はルーシャにとって、ただ風呂に入るという以外ににも意味があったのかもしれない。
「じゃあ、今度はルーシャが先に入ってくれ」
「それはできない相談です」
そこで、ふたり同時に吹き出した。
知り合ってそう間もない男女が、湯舟の中で何をしているんだとは思う。何とも不思議な状況ではあるものの、こんな風に穏やかな毎日が続くのなら、それはそれで悪くない──ロイドは心の何処かで、そう思うようになっていた。




