第23話 もの言いたげな聖女様
元廃屋・現住居の扉をくぐったとき、既に日は傾き始めていた。
荷車に積まれていた荷物を降ろし終えたロイドは、マットレスを両肩に担ぎ、寝室へと運び込む。ルーシャもその後に続き、手には畳んだばかりの布製のシーツを抱えていた。
掃除はしたものの、まだほんの少し埃の匂いが残る簡素な一室。部屋の隅には、マットレス不在のセミダブルサイズのベッドがある。
「よし……これで完了、と」
ロイドはベッドの上にマットレスを敷き、位置を微調整する。
その様子を見ながら、ルーシャがそっと近づき、ふわりとシーツを広げて被せた。
パタパタと手で空気を抜きながら、整える。
「わぁっ……見てください、ロイド。ふかふかですよっ」
シーツの上から手のひらで弾力を確かめて、ルーシャが嬉しそうに声を上げた。まるで子どものような無邪気な笑顔だ。
「気に入ってもらえてよかったよ。ルーシャなら両手を広げて寝ても余るサイズだし、存分に寝まくってくれ」
「……そう、ですね。私ひとりでは、スペースが随分と余ってしまいそうです」
さっきまでの笑顔が一転。
言葉を濁して、ルーシャは物言いたげにロイドをちらりと見やった。
(何だ? 何か不満でもあるのか?)
ほんのさっきまでは嬉しそうだったのに、いきなり態度が一変した気がする。
町から帰ってくるまでの間も特に何ともなかったのに、どうしたのだろうか。
「ん? 何か買い忘れでもあったか?」
「い、いえ! 何でもありません。夕飯、作りますね」
誤魔化すように笑って、ルーシャはぱたぱたと部屋を出ていった。
「……?」
ロイドは首を傾げながらも、深く追求はしなかった。
今の沈黙や言葉、それから困ったような笑顔に、どんな意味があったのか想像さえつかなかったのだ。
夕暮れの光が差し込む簡素な台所で、ルーシャは手際よく調理を進めていた。
街で買った、保存が効く乾燥肉と野菜。それから採取した山菜を用いて、色々作ってくれているようだ。修道院時代にはたくさん保存食の作り方も学んでいたらしい。
どちらかというと保存が効く食材を優先しているので作れるものは限られるだろうが、湯気の立つ鍋からは滋養たっぷりの香りが立ち上っている。
(ん~……手持ち無沙汰だな)
ロイドは香りを楽しみつつ、リビングの椅子に腰掛け料理の完成を待っていた。
退屈なので何か手伝えることはないかと訊いてみたのだが、ひとりで大丈夫だからゆっくりしていてくれと言われてしまった。
「もうすぐできますよ、ロイドっ」
そんな折、台所からルーシャの声が届いた。
「わかった。明かり、つけておくな」
「ありがとうございますっ」
ロイドはランタンに火を灯し、木造の小さなテーブルにそっと置いた。
薄暗かった室内が柔らかな橙色に包まれる。
ルーシャは鍋から料理をよそって、早速テーブルまで運んできてくれた。
白くとろみのある湯気が立ち上る料理が、木椀に満たされている。初めて見るその姿に、ロイドは思わず眉を上げた。
「お? これは何だ?」
「あ、シチューは初めてですか?」
「ああ。白いのは食ったことないな」
ロイドが木椀の中をじっと見つめると、ふんわりとした湯気が鼻をくすぐった。どこか懐かしさすら感じるその香りに、自然と表情が和らぐ。
茶色のシチューは食べたことがあるが、白色のものは初めてだ。白いのは牛乳っぽい感じがするが、牛乳は日持ちしないので買っていない。何を使ったのだろう?
「こちら、山菜と乾燥肉のホワイトシチューです」
「ホワイトシチュー? そんなものがあるのか。この白いのは何だ? チーズ?」
「いえ、牛乳とよく似た風味を持つミルク草っていうのがあるんです。それと、いくつかの薬草を混ぜ合わせて……とろみは芋で出しました」
ルーシャはそう説明しながら、湯気が立つ木の椀を手渡してくれた。
そういえば、商店で彼女はいくつも薬草や香辛料を見比べては色々買い込んでいた。料理を全然しないロイドには違いなどわかるはずもなかったが、その中にミルク草とやらもあったのだろう。
「本当は牛乳を使うので、エセホワイトシチューという感じでしょうか。牛乳が手に入れば、本物も食べさせてあげられるのですが」
そう言って、彼女はしょんぼりと眉を八の字にした。
牛乳は美味いが、町からここまで運んでくる間に腐ってしまい兼ねない。冷蔵保存用の魔法アイテムを手に入れるか、或いはここで乳牛を飼うでもしないと、なかなか料理に使うのは難しいだろう。
ロイドはじっと白い液体を見つめた後、ふっと口元を緩めた。
「いや、俺にとってはこれが初めてのホワイトシチューだからな。これが本物だと言い張るとしよう」
「ロイドったら。そんなことを人前で言ったら、恥をかいてしまいますよ?」
ロイドの軽口に、ルーシャがくすくす笑った。
彼女はそう言うが、どんな恥だってかいてみせよう。彼女の料理が美味いのは、ここ数日で十分わかっているつもりだ。
きっと、そこらの奴が作る本物よりも、彼女が作るエセの方が美味いに決まっている。
「それと、小麦粉と卵で作ったパンケーキも焼きました。こちらに蜂蜜を添えると、とっても美味しいですよっ」
こんがりと焼かれたパンケーキが二枚、木皿の上に並ぶ。その傍らには、ほの甘い香りを放つ干し果物のコンポートも添えられていた。
「ううむ……ここまで来ると、何だか料理人の娘だと言われた方が信じられるぞ」
「えっ!? そ、そんなことあるわけないじゃないですかッ」
「いやいや、どうにも疑わしい。本当に修道院育ちなのか?」
「ほ、本当ですってば……。修道院では、保存食の作り方を色々教わったんです。このくらい、皆作れると思いますよ?」
頬を赤らめながらルーシャが視線を逸らす。
ロイドはその様子を見て、小さく笑った。
「いや、褒めてるんだよ。ありがとな」
「もうっ。からかわないでください」
ルーシャはぷりぷりと怒って──もちろん怒ったふりだ──椅子に座った。
実際に、同じく修道院で暮らした過去を持つはずの元パーティーメンバーのフランはここまで料理に詳しくなかった。ルーシャが特別、料理に長けているだけだろう。
ふたりで食前の祈りを捧げてから、早速シチューを口に運ぶ。
「おっ」
口に含んだ瞬間、まろやかなとろみと、ミルク草の香りがふわりと広がった。乾燥肉の旨味と山菜のほろ苦さが調和し、優しい温かさが体の芯まで染み渡る。
「これは美味い……! いくらでも食えそうだ」
「ふふっ、よかったです。おかわりもありますから、遠慮なく食べてくださいね」
ルーシャが安心したように微笑んだ。
こうして、初めての廃屋での夜は、温かく静かに更けていく。
皿を片付けることも忘れたまま、ランタンの灯に照らされて向かい合う。ささやかながらもふたりの暮らしが確かに始まったことを、ロイドは噛みしめていた。




