番外編 エレナの説得
結局、トラッド遺跡の探索は〝パーティーの連携不足〟を理由に、一時見送られることになった。
さすがのユリウスも、今のパーティーでは攻略が難しいことは悟ったようだ。
『暫くは魔物の討伐依頼を中心に行い、連携を強化してパーティーとしての戦闘経験を積むことを優先しよう』
ユリウスはもっともらしくそう告げたが、エレナとフランからすれば「何を今更」状態だ。
メンバーが交代したのなら、本来真っ先にやるべきことのはずである。
そうして、ユリウスたちは近くの村々での魔物討伐を主軸に切り替えた。
無論、これも勇者として求められている役割でもある。領主の手の届かないところで生じた魔物被害を解消したり、困っている人たちを助けたりするのも勇者として間違いではない。
むしろ、今のユリウスたちの力量を鑑みれば、これくらいの冒険に留めておくべきなのだ。レッドドラゴンのような凶悪な魔物と戦ったり、トラッド遺跡でお宝を探したりするのはまだまだ早い。魔王軍との戦いなどもっての他だ。
そして、今日も今日とて魔物討伐。今日は、人里に降りてきた村を荒らして回るオーガの討伐だった。
もちろん、オーガ程度に後れを取るユリウスたちではない。オーガ一体の討伐であれば、それほど困ることはなかった。
今日は、オーガ討伐を祝して村が宴を催してくれた。オーガの脅威から解放されたことで、村は小さな祭りのような賑わいを見せていて、大盛り上がりだ。
木製のテーブルには食事が並べられ、焼かれた肉や香草の香りがあたりに満ちている。焚き火がゆらめき、笑い声と音楽が夜の空気に溶け込んでいた。
その中心にいたのは、当然のようにユリウスだった。
「はははっ! オーガ如き、僕にかかれば朝飯前さ!」
村人たちに囲まれ、誇らしげに笑うユリウスは、いつになく上機嫌で杯を傾けていた。
酒が入ったせいか、彼の顔には緩んだ笑みが浮かび、いつものような苛立ちや焦燥感は薄れていた。ガロも同じく一緒になって酒を煽っている。
その様子を、少し離れた場所から見つめながら、エレナは心の中でため息をついていた。
『まさか、僕たちがこんな依頼を受けることになるとはね』
今では上機嫌なユリウスだが、オーガ討伐に向かっていた際はこんな愚痴を漏らしていた。
つい先日までレッドドラゴンと戦っていた反動かオーガでは物足りなさを覚えるようだ。
その物足りなさとは、もちろん戦いの方ではなく──名誉の方だろう。
レッドドラゴンを倒したとなれば王都で溢れんばかりの賞賛を受けることになるが、オーガだとせいぜい困っていた村人たちから賞賛を受ける程度。
困っている人を助けられたのだから十分ではないかとエレナは思うものの、〝勇者様〟は物足りないらしい。
名声や名誉は置いておいたとしても、エレナからすればこのぐらいの魔物の討伐がちょうどいいと感じていた。
分相応というか、今のパーティーではオーガくらいでないと、安全に倒せない。むしろ、オーガが数体でくれば、危ういかもしれない。それくらい、今のユリウス一行は心許なかった。
ロイド不在の前衛が、あまりに頼りないのだ。
これまでどれだけロイドがユリウスや後衛であるエレナやフランに気を回しながら立ち回っていたのかとまざまざと思い知らされた。
自分勝手に戦うユリウスと、力任せに斧をぶん回すだけのガロでは、いつ前衛を抜かれて後衛が襲い掛かられるかわかったものではない。
(でも、ご機嫌そうだし……今なら話を聞いてくれるかしら?)
エレナは酔っぱらうユリウスを遠目に見つつタイミングを見計らっていた時、ユリウスが席を立った。
厠にでも行くのだろう。エレナはすぐさま立ち上がり、その背中を追った。
酒盛りの喧騒から離れるようにして歩いていくユリウスの背に、少しだけ緊張を滲ませながら声をかける。
「ねえ、ユリウス。相談があるの」
ふり返ったユリウスは、ふわりとした笑みを浮かべていた。
その手には、麦酒が入った木杯がある。彼はぐびりと一口飲んでから言った。
「なんだい? 藪から棒に」
酒のせいか、頬が紅潮していて足取りもやや頼りない。それでも実に気持ちよさそうに、そしてどこか満足げにしている姿に、エレナはほんの少しだけ羨ましさを覚えた。
(たかがオーガを倒した程度でここまで酔えるなんて、随分素敵な勇者様ね)
そんな不満を心の中で漏らす。
結局、ユリウスはちやほやされるのが好きなだけなのだろう。
目の前の現実を直視することよりも、誰かから『勇者様』と崇められることが好きなのだ。
だが、それではエレナとフランは一生この勇者様ごっこに付き合わされることになってしまう。早く本題に入らなければ。
「やっぱり、ロイドに戻ってきてもらわない?」
エレナは神妙な眼差しでユリウスを見つめて言った。
ユリウスの表情が、ピタリと止まる。
「……なんだって?」
さっきまでの陽気な表情が、嘘のように消えた。
酒の酔いもどこかへ飛んでしまったかのように、その目には怒りのような感情が宿る。
エレナは若干気圧されつつも、言葉を紡いだ。
「だって、そうでしょう? ガロが弱いってわけじゃないけど……やっぱり、何から何までロイドに劣ってるわ。このままじゃ、いつ王命を達成できるかわからない。私やフランだって、本当は他にやりたいことがあるんだし――」
「……それは、王命や勇者の僕よりも、自分の方が大事ということかい?」
低く唸るようなユリウスの声に、エレナは思わず一歩引いた。
「べ、別にそういうことじゃないけどッ。でも、ロイドがいた時と今じゃ私たちの力は数段劣ってるわ。それはあなただってわかっているでしょう?」
彼が目を逸らしている現実を、直視させようとした。
しかし──
「黙れ! 僕に指図するなぁッ!」
ユリウスは手に持っていた木杯を地面に叩きつけた。
足元に、濃い麦酒が飛び散る。鋭い眼差しが、まっすぐエレナを貫いた。
「あんな呪いを持ってる糞野郎が勇者一味だって? 挙句に僕の面倒役だと? 僕をバカにするのも大概にしろよ。僕が最強なんだ。勇者なのは、僕なんだ。僕は……僕は、見返さなきゃいけないんだよッ! 父さんや兄さんたちを!」
それは、もはや自分に言い聞かせるような声だった。
目には怒り以上のものが灯っていた。それは焦りや嫉妬、そして恐怖といったものだろうか。
「誰も、そんなことであなたをバカになんてしないわよ……」
エレナの呟きは、ユリウスの耳には届かない。
彼は有力貴族マフネス家の末の息子だ。五男だか六男だか知らないが、家督に縁のない末席に座る彼は、性格に難があるせいか、家族の中でも扱いが悪かったと聞く。政治の才能がないとみなされ、どの領地も与えられなかったそうだ。
だが唯一、ユリウスには勇者の才があった。武に秀で、それに加えて家柄の華がある。だからこそ、マフネス家当主は王に彼を〝勇者〟として推し出し、王がその推薦を受けて彼を〝勇者〟に任命した。
けれど──国王は本当に、ユリウスを選びたかったのだろうか?
あの日、ロイドの〝死〟を聞かされた時の国王の狼狽ぶりを思い出すと、どうしても疑念が残る。
もしかすると、王が勇者の役割を託したかったのは、ロイドだったのではないか?
ロイドの腕に刻まれていた呪印。あれは、その証だったのでは? そして、ユリウスはそれを敏感に感じ取っていたからこそ、ロイドを排除したがっていたのではないだろうか?
様々な憶測が、エレナの頭の中を過った。
「何と言われようとも、あんな奴を戻すつもりはない。僕は、僕の才能を証明するだけだ」
「ユリウス……」
「いいかい、エレナ? あいつはレッドドラゴンに殺されたんだ。もうこの世にいない。これ以降、あいつの名前は口に出さないでくれ。これは、王命を預かる〝勇者〟の命令だ」
「何でそこまで言うの……!? 何度も何度も助けられてきたくせに!」
その言葉に、ユリウスの目が微かに揺れた。
だが、すぐに冷たく閉ざされる。
「もうこの話は終わりだ。君も、せいぜい宴を楽しむといい」
冷たい目で睨むように言い残すと、ユリウスは踵を返して去っていった。
「……楽しめるわけないでしょ」
その背中を見送り、エレナは小さく毒づいた。
このままでは、いずれ誰かが死ぬ。そうなっても、彼は目を逸らし続けるつもりなのだろうか?
こんな未来のない場所に、自分の人生を賭さねばならないことが、酷く我慢ならなかった。




