第21話 明日への不安
商店で止水材と保存食を買い込んだロイドとルーシャは、次に家具屋へと足を運んだ。
入った家具店には、たくさんの木製の棚や椅子、机が整然と並んでいた。店の奥の方に、片隅で布を巻いたマットレスが無造作に積まれている。
この中から、質の良いマットレスを選別しなければ。ルーシャが気持ちよく寝れるように、せめて寝床だけは整えてやらなければならない。
風呂のことにせよ、マットレスのことにせよ、どうしてここまでするのだろうと自分でも疑問だ。
ルーシャの性格を鑑みれば、決して我が儘なんて言わないだろう。でも、どうして彼女の願いを叶えて、より快適に過ごしてほしいと願ってしまうのだ。
(というか……誰かとこんなにも長くふたりで過ごすなんて、初めてだよな)
ぽけーっとマットレスの束を見上げるルーシャを盗み見て、ふとそんなことを思う。
きっと、ロイドがルーシャを気に掛けてしまうのは、〈呪印〉のこと以外にもこれが関係しているだろう。
生まれてこの方、誰とも仲良くなることなんてできなかった。
いや、もしかすると、あのザクソン村に過ごしていた頃はそうではなかったのかもしれない。だが、物心が付いた頃には、ロイドは基本、独りだった。
両親は死に、祖父だけがいてくれた。しかし、優しくされたことなどない。〝影の一族〟として、厳しい特訓を課せられただけだった。
そうした環境下で誰かと仲良くなる機会になど恵まれるはずがなく……結局、勇者パーティーに所属していながらも、精神的にはずっと孤独だったように思う。
「これは……羊毛入りか。悪くないな」
ロイドがいくつかのマットレスの弾力を調べつつ、そのうちのひとつを選別する。
輸送用の荷車も併せて購入すると、馬繋ぎ場に預けていた馬を連れてくるよう言われた。ふたりは馬繋ぎ場まで戻り、預けていた馬を引いて店へと戻る。
ロイドは苦笑まじりに言った。
「乗馬用の馬に荷車を引かせるのは少し気の毒だが、今は背に腹は代えられないからな……」
「でも、この子は賢いですから。きっと、納得してくれますよ」
ルーシャは馬の背にそっと手を当て、柔らかく撫でる。その動きには、まるで幼子をあやすかのような、慈しみに満ちた優しさがあった。
もともとは彼女を狙う追手が使っていた馬だ。だが、今はふたりをこの地方まで連れてきてくれた、良き仲間でもある。
白聖女の優しさに触れているからか、馬も随分とご機嫌だった。荷車を引く器具を装着されていても、嫌な素振りを見せていない。
荷車の装着にはまだ時間がかかるようで、店主の息子がひとり、黙々と作業を進めていた。
「……ちょっと時間掛かるみたいだし、軽く飯でも食おうか」
ロイドは店の前の通りに視線を向けて言った。
腹を空かせていたのだろう。その提案に、ルーシャがぱっと顔を輝かせた。
「はい、ぜひっ!」
「よし。じゃあ、少し歩いて市場へ行こう」
ふたりは街の中心にある市場へと向かった。
賑やかな通りには、果物や香辛料、焼き菓子の出店が軒を連ね、香ばしい香りが漂っていた。客引きの声、鉄板で肉を焼く音、笑い声……どれもが活気に満ちていて、まさに街の心臓部というに相応しい場所だった。
「何か食べてみたいものはあるか?」
ロイドが問いかけると、ルーシャはきょろきょろと周囲を見渡し、首を悩ましげに傾けた。
「どれがいいのでしょう……? こういったところで食べたことがないので、わかりません」
「じゃあ、あそこで羊肉でも食べるか。美味いぞ」
ロイドが指差したのは、炭火で串焼きにした肉をパンに挟んで売っている屋台だった。パンの間からはこんがりと焼けた羊肉が覗き、赤紫の野菜やソースが彩りを添えている。
魔物肉を扱った店もあるが、当たりはずれが多い。その点、羊肉ならばまあ味の想像もつくし、まずいということも滅多にないはずだ。
「羊肉……! 初めてなので、楽しみです」
ふたりは一つずつそのサンドを買い、屋台脇の空いたテーブルに腰を下ろした。手に持ったサンドはずっしりと重く、焼きたての香りが食欲をそそる。
「……今日の恵みに、感謝を。リーファ様の導きがありますように」
ルーシャがいつもの祈りを捧げてから、パンにかぶりつく。パンの隙間から肉汁が溢れ出し、彼女の頬がゆるんだ。
「とっても美味しいですぅ……」
「やっぱ、焼いた肉は美味いよなぁ」
ロイドもまた、頷きながら一口。炭火の香ばしさと肉の旨味、程よい酸味のソースが絡み合い、確かに絶品だった。
(こういうの、ユリウスのパーティーにいた頃もよく食ってたな……)
ふと、そんな思い出が蘇る。
仲間うちに馴染めなかったロイドは、基本町に着いてからも独り行動だった。だから、こうしてよく市場をふらふらしては、出店で何か食っていたのだ。
だが、当時よりも圧倒的に美味いように思えた。
肉自体にそんなに差はないし、味付けも普通。それなのに、美味を感じてしまった。
それはきっと、隣に誰かがいてくれるからだろう。美味いものを一緒に「美味しい」と言い合える……それだけで、食事の質が各段に上がることを、この時初めて知った。
一息吐いたところで、ロイドは口を開いた。
「……なあ、ちょっと相談なんだが」
「はい、何でしょう?」
「あんま言いたくないんだけど、金の話だ。正直、このままだと詰む」
ロイドは寂しい懐事情を説明した。
今は収入が途絶えていて、今回の買い物で神官騎士たちから拝借した所持金も、結構減ってしまった。このまま食糧を買い続けていては、いずれ底を尽きてしまうだろう。
「今後の生活費をどうするかは考えないといけない。自給自足するか、町で何か稼げる手段を見つけるか」
「確かに……そうですよね」
「悪いな。せっかく住めそうな場所が見つかったのに、全然落ち着かせてやれなくて」
「い、いえ! むしろ私の方こそ、気が回らなくてごめんなさい」
ルーシャがしょぼんと肩を落とした。
一難去って、また一難というやつだ。衣住の問題がやっと何とかなりそうだというのに、一番大事な食の問題が解決していない。
もともとルーシャは修道院暮らしでそこから聖女になったので、農村での暮らしを経験していなかった。ロイドも似たようなものだ。
こういったゼロから生活する手段というものを、ふたりとも知らない。
「明日は風呂場の修繕が終わったら、食糧の確保方法を考えようか。幸い、まだ猶予も余裕もある。まぁ……きっと、何とかなるさ」
全然アテも何もないけれど、不思議とそんな気持ちにさせられる。
それもきっと、隣に彼女がいるからだろう。
そんなことを考えていると、ルーシャがいきなりくすっと笑った。
「……? どうした?」
「いえ、すみません。ロイドは本当に凄いなと思いまして」
「凄い? どこが?」
いきなり褒められて、思わず困惑してしまった。
今のどこに凄い要素があったのだろうか? むしろ、何も問題を解決できていないのだが。
「こんな状況なのに、ちゃんと前を向いて、生活のことを考えてるじゃないですか。私は目の前のことでいっぱいいっぱいなので……」
ルーシャがほんのりと頬を染めて、尊敬の念を込めた眼差しでこちらを見つめてくる。
何だか恥ずかしくなって、ロイドは彼女から視線を逸らした。
「……俺は、別に凄くなんかない。ただ、目の前のことをやってるだけだよ」
「それでも、私にはとても眩しいです。私も、もっと頑張りますね」
嫣然として微笑むルーシャに、ロイドもまた口元を緩めた。
まさか、白聖女から尊敬される日が来るとは思わなかった。ロイドからすれば、〝聖女〟なんて本来会話すらできないような天上人なのに。
「よし。じゃあこれ食べ終わったら、街を見て回るか。何か俺たちでもできる仕事があるかもしれないし」
「はい! 私にできることなら、何でも言い付けてくださいねっ」
ふたりが未来を見て、そんな会話を交わした時だった。
遠くから、怒号と蹄の打ち鳴らす音が聞こえてくる。
何ごとかと顔を上げると、街道沿いの広場の向こう──視界の端に、暴走する荷馬車の姿が飛び込んできた。




