番外編 不安の顕在化
夜の帳が下り、宿屋の外は静まり返っていた。
だが、その静けさを打ち破るように、一階の酒場からは賑やかな声と女たちの笑い声が漏れている。
ユリウスが、ストレス解消と称して女を何人も呼び込んだらしい。国王から支給された資金で、である。
馬鹿馬鹿しい、とエレナは思った。
ただ、仲間には手を出さない主義らしく、ユリウスが自分やフランをそういった目で見ないのは唯一の救いではある。
もし奉仕を要求されたならば、その場でブチ切れてパーティー脱退を申し出てしまいそうだ。
女子用に割り当てられた部屋の中は、対照的に静寂に包まれていた。
エレナは窓辺に座り、冷たい夜風に髪を揺らしながら、静かに体内の魔力の巡りを整えていた。装備の調整はとうに終えている。ただ、何かをしていないと落ち着かなかったのだ。
スカルハウンド・ロードとの戦いの記憶が、まだ全身に焼きついている。あの咆哮、あの炎、そして……無力だった自分。
(これまで、怖いって思ったことなんてなかったのにな……)
それが、ロイドの存在によるものだったと今になってようやく気付いた。
王命によって勇者パーティーに〝世話役〟として強制的に組み込まれた彼。最初は自分たちの監視役か何かだと警戒していたが、彼がいなくなってから初めて、その意味がわかった。
ロイドがいたから、エレナたちは〝戦うこと〟だけに集中できていたのだ。
「ねえ、エレナ」
「ん?」
「あたしたち、このままで本当にいいと思う?」
ベッドの上でぼんやりとしていたフランが、不意に問いかけてきた。
「う~ん……どうだろね?」
エレナは小さく肩を竦めて笑う。だが、それは苦笑に近かった。
いいなわけがない。よかったならば、撤退なんてする必要はなかったのだから。
回復魔法が間に合わず、共鳴スキルも不発。フランもガロも、死んでもおかしくない状況だった。逃げる以外に手段がなかったのだ。
「……ロイドがいたら、違ったのかな」
フランの呟きに、エレナの手が止まる。
思い出すのは、レッドドラゴン討伐戦。パーティーが苦境に陥った際、ロイドが前に立ち塞がりって、敵の一撃を受け止めてくれていた。
いや、あの時だけではない。冒険を始めたての頃だって、幾度もなく彼はパーティーを助けてくれていた。
「ロイドってさ……これまで何も言ってなかったけど、ちゃんとあたしたちのことよく見てくれてたよね。ユリウスが突っ走りそうになったら、さりげなく止めてたし」
フランの言葉に、エレナは頷いた。
戦術眼、機転、行動の優先順位……その全てが的確だった。
ロイドは一歩引いた位置に立って、全体を見渡していてくれたのだ。
「そうね。罠への警戒も、魔力の配分も、体力の限界も……全部、気にしてくれていたものね。買い出しも整理もしてくれて、アイテムの補充も抜かりなかったし」
……それに、いざという時は自分の命を削ってでも戦ってくれた。〈呪印〉の暴走を覚悟の上で。
しかし──今のパーティーからは、それら全てが失われている。
誰も全体を見ていないし、ピンチの時に咄嗟に状況を整理して指示を出せる人がいなかった。てっきりユリウスがやるのかと思っていたが、彼は変わらず自分本位で戦うだけだ。彼にはロイドの代わりはできない。
では、ガロがその代わりをできるかというと、どう考えても力不足だった。
その結果、エレナがその役割を担おうと思ったのだが……力不足なのは、変わらなかった。ロイドの代わりをできる人物など、そういるものではない。
(……あの時、ちゃんと反対しなかった私も悪いよね)
ロイドを追放するというユリウスの言葉に、何も反論しなかったことが悔やまれる。
ユリウスの面倒臭さを理由にあの決定を受け入れてしまったが、まさかこんな事態になるとは思ってもいなかった。
いや、エレナ自身も見誤っていたのだ。自分たちの力量と、ロイドのパーティーへの貢献を。ユリウスと同じく、心の奥底で『自分たちだけでも何とかなるかも』と考えていたのだろう。
ユリウスをバカになんてできない。彼とエレナに、大差などないのだから。
悔いが、胸を締め付けた。
「あたし、無意識のうちにロイドに甘えてた……」
フランが自嘲気味に呟いた。
きっと、彼女も同じようなことを考えいたのだろう。
「それは私も同じ。何が〝勇者パーティー〟よ。ちゃんちゃらおかしいわ」
国から認定された勇者はいるはずなのに、真なる勇者が不在。そんなイメージを抱いてしまう。
いや、もしかすると、違ったのだろうか?
ロイドの存在そのものに意味があるとすれば? そして、国王が何かしら狙いがあったとすれば?
真意はわからない。ただ、ロイドが死んだと聞いた時の国王の狼狽っぷりの説明がつかなかった。
「わかるわかる。今のあたしら、多分普通にその名前に相応しくないと思うし」
フランが同意した。
はっきりとそう口にするのは勇気がいる。だが、それほどまでに、今のこのパーティーは酷かった。
ふたりの愚痴の矛先は、自然とユリウスの方へと向かっていく。
「っていうかさ、やっぱユリウスっておかしくない?」
フランは呆れたように言った。
幼い少女特有の高めの声ではあるが、そこにははっきりとした〝恐れ〟と〝苛立ち〟が滲んでいる。
ベッドに座ったままの姿勢で、彼女は毛布の端を握りしめていた。
「……うん。そうね」
エレナは静かに相槌を打った。
むしろ、ようやく誰かがそれを口にしてくれた──そんな安堵すらあった。
「だってさ。ロイドのこと、ずっと目の敵にしてたじゃん? 戦闘中にも文句言ったり、無視したり。正直、子供かよって思ってたけど……」
「劣等感……じゃないかしら?」
エレナは窓辺に座ったまま、夜風に揺れる髪をそっとかき上げる。
そう。ユリウスは、ロイドに劣等感にも似たようなものを感じていた。
それはきっと、間違いないのだと思う。
「ロイドって、すごく優秀だったじゃない? 判断も的確で、冷静で、必要なときに身を挺してくれて。勇者として認定されているユリウスより、実際はロイドのほうが誰かを守っていたと思うの。……それが、気に入らなかったのかもね」
或いは、国王が持つロイドに対する暗黙の期待のようなものに、ユリウスは嫉妬していたのかもしれない。
ただ、ロイドが何者なのかは定かではないので、これには言及しないでおいた。これらはただの想像でしかない。
「あー、それかぁ。確かにそれはあるかも。しかもさ、なんか最近特に酷くなってる気がするんだよね。無茶なダンジョンに突っ込もうとするし、自分の作戦ミスを人のせいにするし」
フランは自分の言葉に納得するようにうむうむと頷き、苛立たしげに続けた。
「今日だって、あんなに深入りすべきじゃなかった。スカルハウンド・ロードと出くわす前に撤退できたじゃんか。……なのに、自分は正しかったって顔してて。誰がどう見ても、一番泣きそうだったのあいつだったし」
どうやら、今日の治癒師殿は相当お怒りらしい。
実際に彼女は死んでもおかしくない状況だったわけで、そう思うのも無理はなかった。
「まあ、私たちが何を言ったところで、勇者様は自分の非を絶対に認めないだろうけどね」
エレナは瞳を伏せたまま、諦めたようか笑みを浮かべた。
その自嘲気味な口調に、フランが呻くように応じる。
「正直、あたしもう怖い。次の戦いで、本当に死ぬかもって思っちゃった」
その恐怖は、エレナもまた抱いていた。
ロイドという盾も参謀もいない今、自分たちの命綱は、各自の技量にかかっている。
ユリウスは誰の言葉も聞かず、ガロは無戦略の無鉄砲。自分とフランは支援と魔法で後方を守っているが、前線を支える人間があまりにも脆すぎた。
(こんなとこで死ぬくらいなら……)
エレナは深く目を閉じた。
心の奥底から、〝脱退〟という単語がじわりと浮かび上がってくる。
まだやりたいことも、何ひとつできていない人生。魔法学の研究もまだまだしたいし、年相応の女らしく、恋愛だってしてみたい。
それならば、いっそのこと脱退した方がいいのではないだろうか。そんなことを、考えてしまう。
けれど……それは叶わぬ願いだった。
エレナたちは王命によって、勇者パーティーへの参加を強制されている。任意ではあるが、断ることは許されなかった。
勇者パーティーの一員になりえる人物を送り出せることが、彼女らの属する組織の名誉でもあったからだ。
エレナは魔法学校の主席で、フランは聖職者として末席。王命に背けば、当然組織にも影響は出る。何らかの処罰は避けられないし、それは自分たちの帰る場所をも奪うことになる。
ただの反抗では済まされない。魔法学校にも、教会にも、戻れなくなるのだ。
「……もう、全部捨てておうちに帰りたいよ」
フランが搾り出すようにぽつりと言う。
エレナは何も返さず、ふと窓の外に浮かぶ月を見上げた。
月の光は酷く冷たく、身にひしひしと沁み入っていくる。
それはまるで──信じるべき相手を間違えたことを、そっと告げる無言の裁きのようでもあった。




