第15話︎ 新しい朝
朝方の風が、窓の隙間からわずかに流れ込み、室内の空気をそっと揺らしていた。空はゆっくりと明るくなり始め、夜明けの気配が辺りを包んでいる。
朝日が窓の外からロイドの目を捉え、その眩しさにふと目を覚ました。
(あれ……?︎ここ、どこだっけ?)
見慣れない天井が視界に入ってきて、ふと疑問に思う。部屋には朝の静けさが満ちており、差し込むやわらかな光が床に長細い影を落としていた。
(ん~……!)
手足を伸ばすと、木で組まれた床がぎしりと音を立てる。まだ完全には修繕しきれていない古い家屋のきしみが、目覚めたばかりの静寂に小さく響いた。
伸びをした拍子に視界の隅に白い何かが入って、隣を見る。そこには、毛布にくるまっている小さく可愛らしい少女がいた。彼女の額にかかった銀髪が、ふわりと揺れている。
(そうだった……)
隣で静かに規則正しい寝息を立てている少女を見て、寝惚けた頭が一気に覚醒に至った。
(俺はルーシャと、ザクソン村に戻ってきたんだったな)
パーティーを追放されて、その日に〝偽聖女〟として追われている〝白聖女〟と出会い、彼女の逃亡に手を貸すことにした。そして、ロイドの生まれ故郷である廃村・ザクソンを目指したのだ。
『屋根がある場所で眠れると思うと、それだけで何だか安心しますね』
昨夜、毛布にくるまってそう言っていたルーシャの笑顔を思い出し、ロイドの口元も自然と緩む。
その笑顔が、どこか子供のようで──心の底から安心しているようで──胸が温かくなるのを感じた。
一応この家は平屋ではあるものの、部屋はいくつかある。リビング、寝室、台所、そして物置部屋として使われていたであろう部屋。さすがに同じ場所に寝るのはまずいと思ったのだが、ルーシャは気にした様子もなく、ロイドの隣で毛布に身を包んでいた。結局疲れていたこともあって、そのままロイドも寝入ってしまったのだ。
室内を見回せば、廃屋同然だった空間は家としての輪郭を取り戻していた。
崩れかけていた壁や床、柱はルーシャの修繕魔法によって補修され、古い家屋と呼べる程度のものにはなっている。ふたりで埃を払って掃除をし、壊れた家具も直して少しずつ生活の匂いが戻りつつあった。
とはいえ、まだまだ不便は多い。カーテンひとつ無く、太陽の光で強制的に覚醒に導かれてしまう。風が吹けば窓の隙間から冷気が忍び込んでくるし、ベッドマットもなく、毛布を重ねてようやく眠れるという有様だった。
(早く、ルーシャが快適に暮らせるようにしてやらなきゃな)
そんな想いでそっと身を起こし、彼女の寝顔にかかった髪を指先で払ってやる。
その刹那──瞼の隙間から、ルーシャの睫毛が僅かに震えた。
そして、ゆっくりと、浅葱色の瞳が開く。
「あ、れ……ロイド? 今、何かしましたか?」
無防備な寝起き姿、そして寝惚け眼のまま訊いてくる彼女に、ロイドはぎょっとして言葉を詰まらせた。
普段は清楚極まりないのに、その姿から妙な色気を感じてしまったのだ。
「い、いや! 何でもないよ。顔にゴミがついてたんだ」
寝顔に見惚れていたとは言えず、適当に言い訳を述べる。
「そですか。ありがとうございます」
そんな苦し紛れな言い訳に全く気付いた様子もなく、ルーシャは照れたようにはにかんだ。
そして、少しだけ身を起こしながら、何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。姿勢を正して座り直し──
「おはようございます、ロイド」
ロイドに向かって丁寧にお辞儀をした。
どこか恥ずかしそうで、でも嬉しそうで。そんなその何気ない挨拶と無防備な笑顔に、ロイドの胸がじんわりと熱を帯びていった。
「ああ。おはよう、ルーシャ」
互いに照れ笑いを交わして、身を起こした。
先に立ち上がったロイドが、エスコートするようにルーシャに手を差し伸べる。
ルーシャは「ありがとうございます」とその手を取って、立ち上がった。
「今日は町に出るんでしたっけ?」
「ああ。ちょっと準備をしたらすぐに行こうか。その前に、薪割りだけしとこうかな」
ルーシャなら魔法で火を起こすことができるが、火を保つには薪がいる。
昨日のうちに木は集めてきたので、あとはそれを割るだけだ。
「では、私はお洗濯ですね」
リビングの隅にある桶をちらりと見てから、こちらも向き直った。
「ロイドのも洗っておきますから、着替えを出しておいてください」
「え、俺のも?︎それはさすがに、申し訳ないな……後で自分で洗うよ」
聖女様に洗濯物をやらせるわけには、と思ったのだが、ルーシャは全く引かない。
「一人分も二人分も殆ど変わりませんよ。すぐに済みますから」
「そうか?︎それなら……お願いしようかな」
ロイドは言ってから早速服を脱ごうとすると、隣から「きゃっ」と小さな悲鳴が聞こえてきた。
「え? 何?」
「きゅ、急に脱がないで下さい! あっち向いてますから!」
ルーシャは慌ててロイドに背を向けた。顔が真っ赤なように見えたのは、きっと朝陽のせいだけではないだろう。
「あ。ごめん」
つい普通に服を脱いでしまったが、聖女様の御前というのを忘れてしまっていた。
彼女が背を向けているのを確認すると、ロイドは下地のシャツだけ脱いで畳み、床に置いた。
上裸でいると恥ずかしがってこちらを向いてくれそうになかったので、とりあえず上着は羽織っておく。
「えっと……ごめんなさい。上着とかズボンは、また別の機会でいいでしょうか? 着替えを持っていないのを忘れてました」
ロイドが上着を羽織ったのを確認してから、ルーシャはこちらの方を向き直った。
「ああ。今日着替えも買うつもりだから、また明日にでもお願いしていいか?」
「任せてください!」
ルーシャが拳を握って、気合十分に応えてみせた。
それからふたりして庭に出て、太陽に向かって伸びをする。同時に同じような仕草をしたので、顔を見合わせてぷっと吹き出した。
見渡せば、ボロボロの廃村。何もいないし、ルーシャ以外に人もいない。それなのに、どうしてこんなに満たされているんだろう?
そんなことを考えつつ、ロイドは早速薪割りに取り掛かった。ルーシャも魔導具を用いて、桶に水を貯めている。
ふたりの新しい朝が、始まろうとしていた。




