第2話 焦心苦慮の黒剣士
とぼとぼと、夜の街道を歩いていた。
腰に掛けられた魔剣〝ルクード〟が、かすかに金属音を立てる。月も雲に隠れがちで、街道の周囲は薄暗く、時折風に揺れる木々のざわめきが耳に障った。
だが幸いなことに、強い魔物の気配は感じない。このレベルの魔物ならば、〈呪印〉の力を使わずに倒せる。ロイドにとっては、ありがたい偶然だ。
とはいえ、問題がないわけではない。特に、手持ちの食料がないのが痛かった。金も、薬も、寝袋すらも取り上げられている。
運よく村まで辿り着けたとて、何もできないのが現状だった。
「あー……腹減った」
ため息混じりに呟きながら、腹をさすった。追放されてから丸一日近く歩いて何とかある程度安全なところまで来たのはいいが、空腹はすでに限界に近い。
森の中に入って、食えそうな魔物か動物でも狩るしかないかもしれない。
「さすがにこの仕打ちはないだろ……俺がどれだけお前らのために動いたと思ってんだ」
不満を漏らし、拳を握り込む。
ユリウスのパーティーに強制加入させられてからのこの数年間、ロイドは自分の全てを奴らに費やした。
戦闘では経験の少ない彼らの代わりにいつも最前線に出て盾役を買って出ていたし、危険を顧みず仲間たちのために身体を張った。死にかけたことだって一度や二度ではない。戦闘だけでなく、裏方の手回しも何もかもロイドが引き受けていた。
それなのに、追い剥ぎ同然のこの仕打ち。さすがに納得できなかった。
『〝影の一族〟の末裔、ロイド=ヴァルト。そなたの剣を、新たに結成される勇者ユリウスに捧げてほしい』
ある日、一介の剣士に過ぎなかったロイドがいきなり国王から呼び出されたと思えば、そう告げられたのだ。
ロイドが〝影の一族〟の末裔だというのは、里を出てから誰にも言っていなかった。祖父が死んだ今、それを知っている奴なんて誰もいないと思っていたのに……まさか、王国側からずっと監視されていたのだろうか。そんな疑念を抱かずにはいられなかった。
兎も角、王命に拒否権なんてものはあるはずがない。それに、ロイドのことを知っているという事実そのものが脅しのようなものでもあった。
ロイドたち〝影の一族〟は、かつて王家の密偵や護衛役として仕えていた歴史を持っている。表の歴史からは消された存在だが、王室の裏側では今もその記録が残っているそうだ。
忌まわしき〈呪印〉を血筋に宿しながらも、その力の大きさ故に王家から必要とされてきた──それが、ロイドたちの一族だった。
だが、そんな関係も徐々に薄れ、もう祖父の代には殆ど絶縁に近かったそうだ。なのに、勇者パーティーが発足すると決まったその日に、ロイドの元に王命が届いた。
ユリウスの補佐役として、支えてほしいというものだったが──実際には、ユリウスは最初からロイドの存在を快く思っていなかった。
『……ふん。王命とあらば仕方ないが、こんな胡散臭い奴を何で名誉ある勇者一行に入れてやらなきゃいけないんだ?』
そう言い放ったユリウスの顔は、今でも忘れられない。
鼻で笑いながら、表面上は礼を尽くしていたが、目だけが敵を見るように冷たかった。
今にして思えば、あの時からロイドの立場は決まっていたのだろう。
どれだけ戦っても、助けても、命を削って守っても──ロイドは『よそ者』だった。そして、ユリウスはエレナとフランにもそれを徹底させていた。
よそ者のロイドに、信頼関係なんて築けるはずもない。そんな状態で、〈共鳴スキル〉が発動するわけがなかった。
〈共鳴スキル〉──スキルを持つ者同士が心を通わせることで、スキルが〝共鳴〟し、新たな効果を発動する仕組みだ。たとえば、回復スキルと防御スキルが共鳴すれば、超範囲の防御結界を張るといった具合に。
ごく自然に発動することも多く、仲間同士が信頼し合い、共に戦っていれば、特別な訓練がなくても発現する。
だが……長い旅の中で、一度も仲間たちと共鳴したことがなかった。
いや、彼らだけではない。ロイドはこの人生で、誰かの心と繋がったことなんて、一度もなかったのだ。
「俺はもう、誰とも関わるべきじゃないのかもな」
疲労と空腹が押し寄せてきて、足取りがふらついた。
疲労に足を取られ、空腹に胃をえぐられる。ぼんやりした頭では、ろくな考えも浮かばない。
それでも、足を止めるわけにはいかなかった。こんなところで眠りこければ、それこそ魔物の餌になるだけだ。せめてどこかの村に辿り着かないと──と思ったところで、ふと周囲の景色に見覚えがあることに気付く。
「あれ? ここって……」
幼い日の記憶が、脳裏を掠めた。
やっぱりそうだ。このあたりの景色に微かに見覚えがある。ロイドが祖父に引き取られる前に両親とともに暮らしていた村が、ここからそう遠くない場所にあるはずだ。
だとすれば、ある程度土地勘もある。もう十五年くらい前の話だが、大体の位置は思い出せた。
「……村の跡地、まだ残ってるのかな?」
ふと思い出して、そう呟いた。
もしまだ跡地が残っていれば……雨風くらいは過ごせる。そこで余生を生きるのも悪くない。
誰にも必要とされないロイドには、うってつけの場所だ。
徒歩だと時間は掛かりそうだが、とりあえずあそこを目指してみるのも悪くない──そう思った、その矢先だった。
夜の街道に、激しい馬蹄の音が響いてくる。
それに続いて、何人かの騎乗兵らしき怒鳴り声が風に乗って届いた。
「いたぞ、偽聖女だ! あの女を逃がすな!」
「森の方に逃げたぞ!」
「ようやく見つけたんだ。ここで逃がしたら俺たちの首も危うい!」
……偽聖女だって?
聞き慣れない言葉に、思わず足が止まった。
胸の奥で、何かが不自然にざわつく。
面倒なことに関わるべきじゃない、自分が関わってもいいことがない。そう頭の中の自分が語りかけるのに、何故かそれを放っておいてはいけないという気にさせられる。
気付けばロイドは……その声の方へと、歩を進めていた。