番外編 絶望の襲来
ユリウス一行のトラッド遺跡の探索は続いていた。
そして……大きな次の分岐を左に進んだ直後だった。
ギギギ、と耳障りな音を立てて、石像が動いた。翼を持つ異形の像が、突如として命を得たように動き出す。
──ガーゴイルだ。
四体のガーゴイルが、咆哮とともにユリウスたちへ襲いかかってきた。
ガロとユリウスが前衛に立って、応戦する。ガロは大斧を高く振り上げ、猛然と突進しながらそのまま横薙ぎに振るう。刃がガーゴイルの石の胴体に直撃し、火花を散らすものの、相手はびくともせず、逆に反撃の鋭い爪がガロの鎧をかすめた。ユリウスは華麗に剣を振るい、鋭い連撃を繰り出すが、石の体には深く通らず、苦戦を強いられていた。
そして、残りの二体が前衛のふたりをすり抜け、エレナとフランを狙って一直線に飛び込んできた。
直線上に二体が並んだ瞬間に、エレナは冷静に詠唱を唱える。
「万象の根源、遍く力……炎よ、我が敵を穿て。──〈火焔矢〉!」
エレナによって、魔法の矢が放たれた。
エレナの想定では、一直線に並んだ二体諸共貫く予定だったのだが……〈火焔矢〉は一体だけしか貫けず、もう一体がすり抜けるようにフランへと迫った。
エレナは叫び、もう一発〈火焔矢〉を放とうとする。
「フラン、避けて! 私がもう一発──」
「ガハハハ、もらったァ!」
エレナの声は、ガロの声によって遮られた。別のガーゴイルと激しく打ち合っていたガロが、フランの動線へと突如躍り出てきたのだ。
戦闘に夢中で、周囲が見えていなかったのだろう。そのまま壁際にいたフランの横合いに滑り込んでしまい──ガロの重厚な体が、フランにぶつかる。
「お?」
「きゃっ!」
フランの華奢な身体は吹き飛ばされ、石床へと激しく叩きつけられた。
敵がその隙を見逃すはずがない。床に倒れ込むフランを狙って、ガーゴイルの鋭利な爪が突き立てられようとしていた。
「万象の根源、遍く力……〈電撃〉!」
エレナは咄嗟に最も詠唱が短く発生が速い魔法を用いて、ガーゴイルの動きを止めた。
その隙に、フランが立ち上がってエレナの横に逃げて来る。
「もうッ、何でそっちに動くのよ!? フランが危ないじゃない!」
エレナが怒鳴った。あまりに周りを見なさすぎた。
「わ、わりぃ……」
ガロもガーゴイルを腕力で強引に吹っ飛ばしてから、気まずそうに頭を掻いた。
「フラン、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫だよ。ありがとう……」
フランは息も絶え絶えに応える。
危なかった。もし今の一撃を受けていれば、フランがやられていたかもしれない。治癒師の彼女が倒れれば、このパーティーはもう立ち行かない。戦士以上に彼女は大切な存在なのだ。
だが、まだ戦いは終わっていない。まだ三体のガーゴイルが健在だ。
ユリウスが叫んだ。
「引け、お前たち! 僕が全員ブッ倒してやる」
ユリウスの声とともに、三人は咄嗟に後ろに飛び退いた。
彼の方を見てみると、剣を振り上げ、その剣先に魔力を集中させていたのだ。おそらく、大技を使うつもりなのだろう。
「食らえ……必殺〈七色剣波〉!」
剣から放たれた七色の衝撃波が、宙を彩るかのように扇状に広がった。それぞれ異なる属性──炎、氷、雷、風、土、光、闇──を帯びており、高速で舞い踊りながら標的を貫く。属性ごとの性質が複雑に干渉し合い、まるで一瞬のうちに七つの魔法が交錯したかのような壮絶な閃光を描いた。
その全てが的確に命中し、残っていた三体のガーゴイルは一拍の間を置いてから、内側から砕け散るように崩壊した。
「ふん、雑魚が」
ユリウスが鼻で笑い、剣を収める。
「悪名名高いトラッド遺跡がこの程度なんてね。もしかして、僕が強くなりすぎたのかな? 今日中には余裕で最深部に行けそうだ」
そうは言っているものの、その言葉とは裏腹に、ユリウスの額には汗が滲んでいた。
今の技だって、本来この程度の魔物に使う技ではない。魔力を多く使うとっておきの必殺技で、使用回数も限られているはずだ。
エレナは言った。
「ちょっとユリウス、走り過ぎよ。魔力の使い過ぎだわ」
「何を慌てているんだい、エレナ? さっきからガーゴイルしか出てこないじゃないか。こんな雑魚しかいないダンジョンなら、僕ひとりで十分──え?」
ユリウスが強がろうとした、その刹那。彼が何気なく踏んだ床がカポッと音を立てて陥没した。
突如、シューッと床の隙間から緑色のガスが噴出する。
「やべえ、毒ガスだ! 皆、口を塞げ!」
ガロが叫んだ。
なんてことだ。こんな初歩的なトラップに引っ掛かるなんて、本当に有り得ない。
「大地の母よ。我らを守り給え──〈魔法障壁〉」
「万象の根源、遍く力……風よ、舞え──〈疾風竜巻〉」
フランが咄嗟に防御魔法で全員を守ってくれたので、エレナも風魔法でガスを吹き飛ばす。
なんとか無事だったが、正直今のは危なかった。フランとエレナ、どちらかの反応が遅れていれば、たちまち毒ガスに呑まれて全滅していたところだった。
「もうっ、ユリウスまで何してるの!?」
珍しくフランが怒声を飛ばした。
ガロに続き、ユリウスも不注意だ。フランに至っては、この一瞬で二回も死にかけている。頭に来て当然だ。
「う、うるさい! ちょっと気を抜いただけだ。無事だったんだから良いじゃないか!」
ユリウスが反論になっていない反論をした。
無事だったから良かった、はただの結果論に過ぎない。無事でなかったらここで全員帰らぬ人となっていただろう。
「はぁ……ロイドなら、こういう時も先回りしてくれてたのにね」
フランが小声で皮肉を言った。
それは言いっこなしだ、とエレナが目で制するが、時既に遅し。しっかりとユリウスの耳に入っていて、彼が顔を真っ赤にしていた。
「今のは僕が不注意だっただけで、あんな共鳴もできないゴミクズ欠陥野郎は関係ないだろう!? 今の方が遥かに完成されたパーティーだ! ガロもそう思うだろ!?」
「え? え、ええ。もちろんでさぁ、ユリウス卿」
ガロも今回のピンチの一端が自分にあることは察していたのだろう。気まずそうな声が、空気の重さを際立たせた。
「さあ、さっさとその秘宝とやらを頂戴するぞ! 使えないバカがいなくなったんだ、サクっと解決できるに決まっている」
ユリウスの言葉が、やけに空虚に響いた。
エレナとフランは目を合わせ、そっと溜め息を吐く。
パーティーの空気は明らかに悪化していた。もう遺跡探索を続けるのは無理だ。このままでは誰かが死ぬ。
エレナが撤退を提案しようと口を開きかけた──その時だった。
『グォォォォオオオオオオオンッッッ!!』
地面から、この世のものとは思えない咆哮が響き渡ってきた。足元の石畳がひび割れ、細かい砂塵が舞い上がる。
地面が裂けるようにして盛り上がり、まるで地獄から這い出すように、それは現れた。
骨と炎の獣──燃え盛る業火を背に抱いた、骸骨の魔犬だった。
全身の骨格は黒く煤け、表面にはひび割れたような焦げ跡が走っている。空洞の眼窩には青白い炎が灯り、じわりとした熱を伴って燃え続けていた。口元からは緑色の炎が舌のように滴り、地面に落ちたそれはジュッと音を立てて石床を焦がす。地を這うような重低音の唸りとともに、黒焦げた骨の尾が地面をバシンと叩きつけた。
瞬間、辺りの空気がぐにゃりと歪んだように感じられる。全身からは死と焦熱を混ぜ合わせたような、鼻をつく瘴気が立ち上っていた。
「うっ……何なんだこの気色悪い犬はよ」
ガロが恐怖に顔を引き攣らせた。
「……スカルハウンド・ロード。魔犬王って呼ばれてる不死系の魔物だよ。かなり強いらしいから、気を付けて!」
フランが持ちうる知識を言って、パーティーに注意を促す。
スカルハウンド・ロードのことは、もちろんエレナも聞いている。遺跡の番犬とも呼ばれており、多くのトレジャーハンターを屠ってきた強力な魔物だ。この階層のボスと言っても過言ではない。
ロイドがいるならまだしも、今のパーティーで相手をするのは危険すぎる。
「ふ、ふん。僕がいるんだ。余裕に決まってる」
ユリウスが引き攣った笑みを浮かべて、剣を構えた。
そんな勇者様の背中を見て、エレナは呆れたように首を横に振った。
(戦ってはダメだわ。何とか隙を見て逃げないと……)
フランと目配せして、こくりと頷き合う。
真向から勝負を挑めば、たとえ勝てたとしても、こちらの犠牲は大きくなるだけだ。その犠牲が、自分やフランでないとも言いきれない。
生き残ることが、先決だ。




