第13話 ふたりでお掃除&修繕
ロイドは廃屋の扉を押し開けてみると、呆れたように溜め息をついた。
「こいつは酷いな……まともに生活できるようになるまで、何日掛かるか」
床は抜け、柱は軋み、壁は穴だらけ。風が吹けば家屋全体がきしんで、崩れそうな音を立てていた。
何とか家の形は保っているので雨避けにはなるだろうが、人が住めるような状態とはいえなかった。
しかし、背後から明るい声が届いた。
「そんなことないと思いますよ?」
振り返ると、ルーシャが笑みを浮かべて立っていた。
「え?」
何を言ってるんだ、と視線で問いかけるロイドに、彼女は自信たっぷりに頷く。
「言ったじゃないですか。私、〈修繕魔法〉が使えるって」
「ああ……そういえば」
ロイドはそこで思い出す。廃村を目指すと言ったとき、確かにルーシャは〈修繕魔法〉がどうの、と言っていた。
だが、そのときは話半分にしか受け取っていなかった。神聖魔法で建物を直すって、どういうこと? という疑念が頭にあったからだ。
そんな魔法、実際に見たこともなければ、どれほどの効果があるかもわからない。未知過ぎて頼りにできなかったのだ。
「じゃあ……一回見せてくれるか?」
「任せてください」
半信半疑でロイドが手のひらで家屋の中を促すように向けると、ルーシャは笑顔で頷いてみせた。
ふたりは、ゆっくりと廃屋の中に足を踏み入れる。
踏み込んだ瞬間、床板がぎしりと音を立てて沈み込んだ。木材は湿気と経年で脆くなり、歩くたびに軋みが響く。壁には大きな裂け目が走り、天井の梁からは埃まみれの蜘蛛の巣が垂れ下がっていた。
窓枠は歪み、風が吹けばガタガタと揺れるような状態だ。
魔法とはいえ、こんな場所を修繕できるのだろうか?
そんな疑問を持っていると、ルーシャは部屋の中心でゆっくりと瞳を閉じて、静かに祈りの言葉を紡ぎ始める。
「大地を統べる母なる御方よ……破れし契り、断たれし道、再び結び、元の姿に戻したまえ」
その瞬間、淡い光がルーシャの手元に灯った。
彼女の手元を離れた聖なる光は、まるで生き物のように床の破損部分へと這い、優しく包み込んでいく。すると、朽ちかけていた床板がみるみるうちに元の形を取り戻していった。
穴は塞がれ、歪んでいた木材が真っ直ぐに修復されていく。
「……おいおい、マジかよ」
目を丸くして見守るロイドの前で、次々と修繕が進んでいった。
ルーシャは、ひとつひとつの損傷箇所に手をかざしながら、丁寧に魔力を流し込んでいく。
壁の割れ目が消え、柱のヒビも瞬く間に消えていった。軋んでいた梁さえも、力強さを取り戻したかのようだった。
「凄いな……これが〈修繕魔法〉ってやつか」
「こう見えて、〝聖女〟ですから。剣とか防具も直せますから、壊れたら気軽に仰ってくださいね?」
ロイドの感嘆の声に、ルーシャは胸を張って笑う。
ちょっとどや顔で言うその姿が妙に愛しくて、ロイドの口元にも自然と笑みが浮かんだ。
曰く、〈修繕魔法〉は神聖魔法の中でもかなり高位な魔法だそうだ。使いこなすには相応の信仰心と魔力が必要で、聖職者の中でもごく一部しか扱えないらしい。
だからこそ、これほど便利な魔法でありながら、一般には広まっていないのだろう。
ルーシャのような存在が稀なのも、当然の話だ。
「なるほどな……鍛冶屋が聞いたら泣いて怒りそうだ」
「えっ? 私、何かまずいことしましたか?」
「いや、そうじゃない。褒めてるんだよ」
ロイドは肩を竦めながらも、再び家屋を見回した。
魔法の力で修繕されつつある空間は、さっきまでの荒廃が嘘のようだった。
これなら、本当にここで暮らしていけるかもしれない。
「よし。じゃあ、俺は外を片付けてくる。他にも、使えそうなものを探してくるよ。さすがに全部が全部、魔法で何とかできるってわけじゃないだろ?」
「はい。では、私は中の修繕を続けておきますね」
「頼んだ」
ふたりは自然に役割を分担し、それぞれの作業に取り掛かる。
ロイドは庭に出ると、周囲の廃屋や倉庫を順に巡りはじめた。
村の多くの建物は風雨に晒され、骨組みだけが残ったような状態だったが、中には多少形を保っているものもある。ロイドは慎重に扉をこじ開け、内部を物色していった。
使えそうな布、割れていない食器、古びた桶──それから、片隅で錆びついた斧を見つけた。
「これは……使い物になる、か?」
ロイドは斧を手に取り、重さを確かめながら呟く。
柄の木は一部が朽ち、刃先は錆びで覆われていたが、〈修繕魔法〉があれば薪割り程度には使えるかもしれない。
手に入れた物を抱えて、ロイドは修繕中の家屋へ戻った。
扉を開けると、ふわりと乾いた木の香りが鼻を掠める。
ロイドに気付いたルーシャが振り返り、笑顔を向けてきた。
「終わりました!」
「え、もう? ……って、うわ。ほんとだ」
室内を見回して、ロイドは思わず感嘆の声を漏らした。
さっきまで床が抜け、壁に大穴が空いていた室内は、すっかり生まれ変わっていた。
床は滑らかに修復され、壁にはもはや亀裂ひとつ残っていない。家具もその場にあった素材を再利用したのだろう、全て以前の姿を取り戻している。
まるで、年季の入った田舎家といった風情だ。これなら全然暮らせる。〝白聖女〟の力をまざまざと思い知った気分だ。
「さすがにお掃除は魔法ではできないので、自分でやらないといけないんですけど……」
「いや、十分だよ。それなら俺も手伝えるし。あ、布とか持ってきたから、これ拭き掃除に使えるんじゃないか?」
ロイドは腕に抱えていた物を床に置き、布や壊れた斧や桶、食器などを順に並べていった。
「わあ、こんなに。では、こちらも直してしまいますね」
ルーシャは微笑み、手を翳した。
再び祈りの言葉が紡がれ、修繕の光が放たれる。
斧は柄が新しく生まれ変わり、刃も刃先に鈍く光を宿した。
桶の割れ目は跡形もなく塞がれ、食器はひびすら見当たらない。布も破れた部分がしっかりと直っている。
「……やっぱり便利だな、〈修繕魔法〉ってのは」
ロイドは素直に感心した様子で頷きつつ、洗い終えた布を受け取って拭き掃除に取り掛かった。
ルーシャも精霊珠で水を生成し、桶に満たして一緒に掃除を始めていく。
掃き掃除で大きな埃を家の外に掃き出してから、拭き掃除に取り掛かった。
「ひゃっ……!」
梁の上の埃を払っていたルーシャが、突如ぴょんっと跳ねるように身をよじった。
びくりと体を震わせる姿に、ロイドは思わず吹き出した。
「どうした? 何かあったのか?」
「だ、だって……大きな虫が……ッ」
「なるほど。〝白聖女〟様は魔物よりも虫の方が苦手ときたか」
「もぉ……からかわないでくださいッ」
ルーシャは頬をふくらませて睨んできたが、すぐにふたりは顔を見合わせ、笑い合った。
掃除が一段落すると、ロイドは水場の確認に向かった。
この家屋の裏手には、かつて井戸があったらしく、今は苔むした石組みが残っていた。中を覗き込んでみると、完全に枯れてしまっていた。
枯れてはいれど、精霊珠で水を生成して貯水できるかもしれない。
とはいえ、今いるのはロイドとルーシャのふたりだけだ。水が必要となれば、必要な分だけ精霊珠で生成すればいいので、特に必要なわけでもない。
井戸の近くに、ふと小屋が目に入った。見覚えのある建物だ。
(あれ? そういえばここって……)
幼い頃の記憶を手繰り寄せながら、中を覗いてみると……そこは、記憶の通りの場所。風呂場だ。
この村唯一、風呂があるのが村長宅だった。村人は数日置きに、交代でそれぞれこの風呂を使っていたのだ。ロイドも父や母と一緒に入っていた記憶が微かながらにある。
(でも……さすがにこれは〈修繕魔法〉でも無理そうだなぁ)
石でできた浴槽の底には拳大の穴が空いているし、湯を沸かすための窯の煙道が途中で完全に潰れていて、排気ができない状態だ。近くの小川に繋がる排水管は錆びきってボロボロになっており、触れただけで崩れ落ちそうだった。極めつけは、窯の下の石組みだ。完全に崩れてしまっていて、どうやって直せばいいのか見当もつかない。ここまで損壊が進むと、構造そのものが判別不能で、魔法でも修繕が難しいように思えた。
(まあ……一旦寝床だけ確保できればいいか。風呂に関しては、近くの町の大衆浴場でどうとでもなるしな)
ここザクソン村から馬を走らせればすぐの場所に、大きめの町・グルテリッジがある。
グルテリッジになら大衆浴場はあるだろうし、数日おきに足を運べばルーシャもきっと不満はないだろう。
この浴槽が使えれば理想的だけれど、さすがに今日直すのはもう無理だ。ゼロから廃村で暮らすのだから、全てを求めていたらキリがない。ある程度諦めも必要だろう。
家に戻ると、ルーシャがボロボロのマットレスを難しい顔で見下ろしていた。
「直せそうか?」
「いえ……さすがにこうなってしまうと、どうにもならないですね」
訊いてみると、ルーシャが残念そうに首を横に振った。
ベッドそのものは修繕できたようだが、マットレスの方は無理だったそうだ。中身の詰め物が完全に腐りきっていると、素材として魔法が認識できず、〈修繕魔法〉も効果を及ぼせないという。
万能に思えたこの魔法にも、やっぱり限界があるらしい。とすれば、風呂場の石窯も直すのは無理そうだ。
「マットレスかぁ……何とかしなきゃな」
ロイドが呟くと、ルーシャが首を傾げる。
「私は毛布があれば十分ですよ?」
「バカ。聖女様をいつまでも床で寝させられないだろ。何とかするさ」
ルーシャは驚いたように目を瞬かせると──不意に、照れたように笑った。
「……ありがとうございます」
陽が傾き、窓から差し込む橙の光がルーシャの笑顔を優しく照らす。
埃の舞っていた空間が、ようやく〝住まい〟としての表情を取り戻しつつある。
まさか一日でここまで直せると思っていなかった。殆どルーシャの力だ。
(礼を言わなきゃいけないのは、こっちなんだけどな)
口元をそっと押さえ、俯きながらどこか恥ずかしそうにしている彼女を見て、ロイドは改めてそう思うのだった。




