第12話 廃村到着!
翌朝。森を包む夜霧はすでに薄れ、光が差し始めた木々の隙間から、金色の朝日が斜めに差し込んでいた。
焚き火はとうに消えていたが、ほんのりと残る灰の温もりが、夜がまだ遠くなかったことを物語っている。
ロイドはゆっくりと目を開けた。
思ったより熟睡していたようで、短い睡眠の割に頭がすっきりしている。最初こそ周囲に魔物の気配がないか注意を払っていたのだが、ルーシャの結界の力は本物らしく、周囲には魔物どころか動物さえ近寄ってこなかった。それに安心して、知らない間に眠りに落ちていたのだ。
(あっ。ルーシャは──)
そこで彼女のことを思い出し、隣で毛布にくるまっていたルーシャの寝顔をちらりと見る。
昨夜、焚き火の傍らで語り合ってから、彼女は安心したようにすぐ眠りについていた。今も穏やかな寝息を立てている。
(……ちゃんと眠れてそうでよかった)
その寝顔が、何よりの答えだった。
あの晩、ルーシャが見せた微笑みと涙。それが、ロイドの胸に灯をともした。
人は誰かに必要とされるだけで、こんなにも心が軽くなるものなのだ。
自分にそんなことができるのかはわからないけれど、もし可能なら、ロイドも誰かのために生きてみたいものだ。そんな風に、思わされた。
それからの旅路は、穏やかなものだった。
街道を避け、あえて獣道ばかりを選んだ道程。
誰かと共に歩く森の中は、孤独に生きていた頃と随分違っていて、妙に清々しかった。
陽の光を反射する葉。遠くで鳴く鳥の声。微かに流れる風と匂い。どれもが、心を落ち着けてくれていた。
獣道をずっと歩いていたものの、迷うことはなかった。このあたりは、幼い頃の土地勘の賜物だ。
それに、神官から拝借した羅針盤の魔道具も大いに役に立った。土地勘があるので、あとは方角さえわかれば、森の中でも迷う心配はなかった。
それに、ルーシャが持っていた〝精霊珠〟の存在も大きい。水を絶やさず得られるそれがあれば、危険を冒して川を探す必要もなかった。ロイドひとりだったなら、とっくに飲み水が尽きて危機に瀕していただろう。
そんなルーシャはと言えば、移動の傍ら山菜や薬草を採取していた。
修道院時代に得た知識だそうだが、驚くほど植物の知識に長けている。食べられるもの、薬になるもの、香りづけに使えるもの、時には毒のある植物まで、器用に見分けて採取し、丁寧に保存していた。
その成果もあって、ルーシャが煮込むスープは日ごとに味が変わる。ある日は淡い苦味が残る山菜の香り、ある日は微かに甘い根菜の風味。飽きることのないその変化は、ロイドにとって唯一の楽しみでもあった。
いや、ルーシャの存在そのものが、旅の中では何よりも救いだった。
(この子がいなかったら、もう俺はとっくに干からびていたな……)
焚き火で温めた水で手を洗うルーシャの仕草を見ながら、ロイドはそんな風に思った。
彼女の手つきはどこか上品で、育ちの良さを感じさせるが、振る舞いには親しみがあった。気取らず、けれど丁寧。
そんな彼女の隣にいると、何も語らずとも心が安らいでいく。
──そして、五日目。
ふたりはついに、目的地へと辿り着いた。
鬱蒼とした木々を抜けると、そこには静寂に包まれた廃村が見えてきた。
半壊した家々が、風もなく静まり返る空気の中に佇んでいた。草に埋もれた井戸からは、乾いた風がひゅう、と音を立てて吹き抜ける。崩れた柵には蔓が絡まり、誰にも触れられずに歳月を刻んできたことを物語っていた。人の気配はとうになく、時間だけが止まったように、その地は朽ちている。
ロイドはふと、口を閉ざしたまま立ち尽くした。
目の前に広がるのは、かつて家族と過ごした記憶の断片が埋もれる場所。
微かに、この村を走り回っていた記憶がある。両親の顔も……うっすらと思い出した。
名前は、確か──
「……ザクソン」
「え?」
ロイドの呟きに、ルーシャが振り返って小首を傾げた。
「ここの村の名前。確か、ザクソンだったと思う」
ロイドが伝えると、ルーシャは柔らかに微笑んだ。
「素敵な名前ですね」
ふたり馬から降り立つと、廃村を見渡した。
ここ、ザクソンの跡地で新たな拠点を築く。これが、とりあえずの目的だ。
(にしても、ボロボロだなぁ……こんなとこ住めるのか?)
ロイドは慎重に周囲を見渡しながら、かつての村の入口に立った。
「ルーシャ」
「はい」
「魔物が住処にしてるとか、そういった気配はあるか?」
すぐ隣を歩くルーシャに尋ねると、彼女は静かに目を閉じ──〈探知魔法〉を発動させた。
〈探知魔法〉とは、周囲の生命反応を探知する魔法で、主に索敵の際に使用される。この五日間、森の中を歩く時も〈探知魔法〉を活用し、大きな生命反応がない場所を選んで歩いてきた。
「いえ、大丈夫そうです。今のところ、近くに大きな生命反応は感じません」
ルーシャが目を開いて、柔らかく微笑んだ。
「人が使ってる痕跡もないな」
近くの家屋を見て、ロイドも頷く。
こういった廃村は、魔物の棲み処になったり山賊の拠点になったりすることがある。だが、廃村としても傷み過ぎているが故に、何も寄り付かなくなったらしい。
「本当に忘れ去られてしまった場所、なんでしょうね……」
「仕方ないさ。地図から消えた村のことなんて、誰も覚えてないしな。一応、例の結界を張っておいてもらえるか?」
「わかりました」
ルーシャは頷き、懐から聖印を取り出すと、地面に置いた。目を閉じ、祈りの言葉を紡いでゆく。
「大地を統べる母なる御方よ……我らを邪なる者から守りたまえ。〈破邪の結界〉」
そう小さくルーシャが呟くと、光の粒子がふわりと舞った。彼女を中心に淡い光が地面に広がり、結界の気配が村の周囲を包んでいく。
これで、魔物が侵入してくることもないだろう。
「ここに住むなら、ずっとこの結界を保てるようにした方が良さそうですね」
「できるのか?」
「……たぶん? やったことがないですけど、もう少し大きな聖具があれば、できると思います」
さすがは〝白聖女〟。その能力は、底知れない。
そんなやり取りを経て、ふたりは廃村の探索を開始した。
ぬかるんだ地面、倒れたままの手押し車、草に埋もれた小道──かつての生活の痕跡が、時を越えて静かに眠っている。
「懐かしいですか?」
問いかけるルーシャの声は、どこか遠慮がちだった。
「いや……あんまり覚えてないな。もう随分と昔のことだし」
「そですか」
ルーシャは、くすっと微笑んだ。
ロイドがこの村で暮らしていたのは、ほんの五歳の頃。それから十五年が過ぎた今、記憶は断片的なものしか残っていなかった。
だが、何かに触れた拍子に、ふと脳裏に情景が浮かぶ瞬間がある。
「あ、でもあそこで転んだ時、顔面から地面に突っ込んで大怪我したな」
指差したのは、朽ちた井戸の隣にある広場のような場所だった。
鼻の下がぱっくりと切れて、血が止まらなくなったのを覚えている。
「え、大丈夫だったんですか!?」
「たまたま司祭様が訪れてた時でな。傷が残らず助かったよ。あとは……そうだな。畑で遊んじゃダメだって言われてたのにこっそり忍び込んでたのがバレて、あそこで村長にド叱られてたよ」
「子供の頃のロイドは結構ヤンチャだったんですね」
「まあ、今ほど根暗じゃなかったからな」
ロイドの軽口に、ルーシャが口元に手を添えて笑った。
会話を楽しみつつ、ふたりは廃村の中を静かに進む。
風の音が耳に心地良く、遠くで野鳥のさえずりが聞こえるだけ。
「故郷って……いいですね」
ふと漏らすようにルーシャが呟いた。
「故郷って呼べるほどのものじゃないだろ、こんな廃村」
「それでも、ちゃんと自分が生まれた場所があって、そこの記憶があるのは……ちょっぴり羨ましく思ってしまいます」
「羨ましい? ルーシャには、故郷とかないのか?」
ルーシャの言葉に違和感を覚え、ロイドは尋ねた。
「私は物心ついた頃には修道院に居たので、故郷がどんな場所なのかも覚えてないんです。それがどこなのかも教えてもらっていません。今となっては、それを知る術もないでしょうし」
「なるほどな……それは、少し寂しいかもな」
「……ですね。できれば、一度行ってみたいです」
小さく笑ったその横顔は、やっぱりどこか寂しげで。胸の奥が、ずきりと痛んだ。
やがて、村の奥に佇む、やや大きめの家に辿り着いた。
確か……ここは、村長の家だったように思う。一階のみの平屋だが、他の家よりも随分と大きい。
屋根の形は保たれており、ここはまだ辛うじて使えそうだ。使っている木材が高級なのかもしれない。
「ひとまずはここを拠点にするか。修繕して掃除すれば、寝泊まりはできそうだ」
「はい! 私も頑張りますっ」
こうして、ふたりの新たな拠点が決まった。
今はまだ朽ちた廃屋に過ぎないが、ここから始めればいい。




