第91話 VSスカルハウンド・ロード
ロイドが構えた直後、スカルハウンド・ロードの巨体が音もなく跳ねた。
いや、正確には跳ねたはずなのに、地を蹴る音が遅れて耳に届く。視界に入った時点で既に距離を詰められていた。骨だけの身体とは思えない速度だ。
(速いな……!)
ロイドは咄嗟に身を捻った。
だが、それは避けたというより、外されたという方が近い。真正面から受ければ押し潰される重さだ。反射だけで逃げ切れる相手ではない。
魔犬王は斜めに飛び、着地と同時に尾を床へ叩きつけた。
バシン、と空気が裂ける音とともに、次いで衝撃が遅れて爆ぜた。
衝撃波が石床を押し割り、破片が刃物みたいに飛び散る。足元の地盤が掬われ、ロイドの身体が一瞬浮いた。普通ならここで体勢を崩し、転倒した瞬間に噛み砕かれるだろう。
だが、そこで倒れるロイドではない。
崩れた石の欠片を足場として蹴り、踏み替えた。踏み替えた先で重心を落とし、体勢が崩れたように見せながら剣だけは真っ直ぐ伸ばす。
狙うのは喉元だ。骨の首を断てば、たとえ不死系の魔物と雖もただではすまない。
ロイドは迷わず、魔剣〝ルクード〟を走らせた。
しかし──。
刃が、通らなかった。鈍い感触が手のひらに返ってきて、まるで鉄塊を叩いたみたいに刃先が弾かれる。
煤けた骨の首が、想像より遥かに硬かった。
(硬いな。まあ、今の俺なら一気にやれば骨ごと断ち切れそうな気はするけど……)
ロイドは刃を戻しながら、一瞬だけ右手と魔剣〝ルクード〟へ視線を落とした。
〈呪印〉が興奮したみたいに熱を増している。ここで解放すれば、たぶん一息で斬り伏せられるだろう。骨も炎も関係なく、一刀両断に。
(いや、この程度の相手にそれを使うのは、得策じゃないな)
だが、ロイドはその考えを否定した。
奥にはこの番犬よりももっと強い親玉がいる。そのためにも、切り札は温存しておいた方がいいだろう。
スカルハウンド・ロードが再び唸り、前脚を踏み出した。床が焦げ、緑の炎が筋となって尾を引く。空気が歪み、熱と死の臭いが押し寄せた。
「母なる光よ。我らに安息を与え給え──〈神聖結界〉」
ルーシャの声が静かに響くとともに、淡い光が輪郭を持って広がった。
結界は薄膜のように空気に溶け込む形で広がり、広間の熱と瘴気をゆっくり押し返す。炎の匂いが僅かに薄れ、胸の奥に刺さっていた煤の感覚が和らいだ。それに、息も軽くなっているし、疲労も消えていた。
ロイドの感覚を研ぎ澄ますとともに、体力も回復させてくれる魔法のようだ。
(ほんと、助かるよ)
ロイドが心の中で礼を述べようとするや否や、スカルハウンド・ロードが口を開いた。
喉の奥で青白い火が揺らめき、緑の炎が粘つくように溜まる。炎の吐息が来る──そう判断するより早く、ルーシャが前に出た。
「母なる光よ……圧となりて、かの敵を討て!」
彼女の指先から放たれたのは、鋭い気流の塊〈気弾〉だった。
圧縮された魔力が、一直線に魔犬王へ向かう。
しかし、スカルハウンド・ロードはそれを避けなかった。ただ口を開けたまま、獣の本能みたいに吸い込んだのだ。
光の塊が、喉の闇へ呑み込まれて消える。まるで最初から存在しなかったみたいに、掻き消されてしまった。
「えっ……!?」
ルーシャが困惑の声を漏らすとともに、後方からエレナの声が飛んだ。
「ルーシャ、無暗に攻撃魔法は撃っちゃダメ! そいつ、魔力を喰うのよ!」
エレナの表情には焦燥が浮かび上がっていた。過去に一度、それで痛い目を見たのだろう。
「わかりました! ありがとうございます」
ルーシャは即座に頷き、唇を引き結ぶ。
同時に、スカルハウンド・ロードの背の炎が一段強く揺れた。
喰った魔力を燃料にしたように、業火が脈打つ。青白い眼窩の火とは別に、背負う炎が〝呼吸〟を始めた。
「気をつけて! そいつ、喰った魔力を炎で返してくるんだよ!」
次に、フランの警告が響いた。そして、その警告を証明するかのように──魔犬王が、すぐに炎を吐き返した。
緑色の炎が、槍みたいに広間を薙いだ。
熱波が走り、通路へ続く石床が焼ける。床の亀裂から黒い瘴気が噴き上がり、靄と混ざって爆ぜた。
しかし、ルーシャは即座に防御魔法を唱えた。
「大地の母よ。我らを守り給え──〈魔法障壁〉」
ふたりの前に透明な障壁が立ち上がり、炎の返礼を受け止めた。ぶつかった熱が弾かれ、結界の表面を滑って横へ逸れていく。まるで壁というより、水面に石を投げた時の波紋みたいに、衝撃が掻き消されていく。
「やってくれるじゃないか……!」
ロイドはその間に踏み込んだ。
息を吐き、剣を低く構える。炎はルーシャが逸らし、瘴気は結界が遮る。ならば、ロイドの仕事は、斬るだけだ。
スカルハウンド・ロードがロイドに向けて、前脚を振り下ろした。
骨の塊が落ちてくる。直撃すれば骨折どころでは済まないだろう。
しかし──真正面から、魔剣でその攻撃を受け止めた。
ガギン、と金属が鳴るような音が響き、腕に衝撃が走る。普通の剣なら刃が折れて終わっていただろう。だが、魔剣〝ルクード〟はびくともしない。黒い刃が衝撃を吸い、むしろ相手の骨を弾く。
ロイドは口角を上げた。
「どうした? そんなんじゃ俺は殺せないぞ」
挑発と余裕を、声に混ぜて返す。
スカルハウンド・ロードの眼窩の火が揺れ、怒りなのか飢えなのか、判別できない唸りが広間を震わせた。
次いで、骨の番犬はブレスを立て続けに放ってきた。
(鬱陶しいな)
長い一撃なら避け切れるが、短い吐息は逃げ場を奪う。回避し続ければ空間が削られ、逃げる場所がなくなってしまうのだ。
石柱が焼け、崩落が始まった。天井から砂塵が降り、視界を薄く白ませる。砕けた石が転がり、足場が不安定になってきた。
ロイドは舌打ちしかけたが、飲み込んだ。
退路が潰されても、慌てる必要はない。道を新たに作ればいいだけだ。
そして、その道はルーシャが作ってくる。
彼女は大技で押し返さなかった。〈神聖結界〉を壁にするのではなく、薄い導線として伸ばし、ロイドが踏むべき場所だけ熱と瘴気を薄めていく。
火が降る場所には厚めに、ロイドが踏み込みたい場所には薄く。まるで戦場に目に見えない線を引くように、彼女は道を作っていった。
ロイドはその意図を解し、即座に踏み替えていく。
焼ける石の隙間を避け、崩落の影を読み、吐息が来る角度を見切って身体を滑り込ませた。
そして、今度は強めにルクードを叩きつけてみた。が、先ほどと同じく骨に弾き返されてしまう。
その感触に、ようやく納得がいく。
(なるほど。からくりが読めたぞ)
スカルハウンド・ロードの骨が硬すぎるのではない。骨の周囲に薄く纏っている瘴気の膜が、刃を弾いているのだ。
(それなら──)
ロイドは息を吐き、ルーシャをちらりと見た。
意図に気付いた彼女が、こくりと頷く。
瘴気を剥がすのは、彼女の得意分野だ。
スカルハウンド・ロードは怒り狂ったように前脚を振り下ろし、再びロイドの圧殺を狙った。
ロイドは受け止めながら、わざと半歩下がる。押し負けたように見せ、相手の重心を前へ引きずり出していった。
「母なる光よ!」
ルーシャの〈聖光〉が迸った。
光は閃光としてではなく、糸状に束ねられて関節部に節々へ刺し込まれ、瘴気の膜が薄く削がしていく。
刃が通る、〝線〟が浮かんだ。
即座に、ロイドは刃を最短で走らせた。
前脚の継ぎ目に一閃。硬い音がして、骨がずれた。
スカルハウンド・ロードの巨体が傾く。
続けて、尾が振られる前にロイドは回り込んだ。
尾の根元へ刃を叩き込み、衝撃波の源を断つ。骨の鞭が床に落ち、空気の歪みが一瞬で弱まった。
それでも魔犬王は倒れない。
跳躍し、壁際へロイドを追い込んだ。咆哮が広間に響き、床が割れ、砂塵が舞った。
(これだけじゃ決め手にはならないか。でも……さすがにちょっと、見せすぎたな)
ブレスの度に起こる変化に、ロイドは気付き始めていた。
ブレスをするたびに、背中の業火が一瞬だけ脈打つのだ。眼窩の青白い炎とは別に、背負う炎の方が、心臓の位置に近い。
おそらく、あれがこの化け物の核だ。
ロイドはルーシャに呼びかけた。
「ルーシャ、背の炎周りの瘴気を弱めてくれ。頼めるか?」
「任せてください!」
ルーシャは即座に〈神聖結界〉を一点へ集中した。
背中の炎そのものを、狙わせない。また魔力を喰われる恐れがあるからだ。
狙うのは炎の周囲にまとわりつく瘴気の膜だけ。〈神聖結界〉が静かに瘴気を削いでいき、核の輪郭を浮かび上がらせる。
その〝線〟が見えるや否や、ロイドの身体は勝手に動いていた。
ルーシャの光と、〈呪印〉の熱が刃を勝手に導く。
まず、前脚の関節を断った。次いで、残った尾の根元を落としきる。
スカルハウンド・ロードの巨体が沈み、背の業火が荒く揺れた。
「はあああああッ!」
ロイドは跳んだ。
炎の核へ一直線に向かい、魔剣〝ルクード〟の黒刃を迷いなく突き立てる。
硬いはずの核が、拍子抜けするほど脆く割れた。
音を立てて業火が崩れ、緑の炎が散り、空気を歪ませていた圧が一気に失われる。
巨体がどさりと沈んだ。眼窩の青白い炎が細くなり、やがて消えた。
広間に、静寂が落ちる。焼けた匂いだけが残り、瘴気の粘りが少し薄れた。
「大地を統べる母なる御方よ……この者に、安らぎを」
ルーシャはスカルハウンド・ロードの遺骨に歩み寄ると、膝をついて静かに祈りの言葉を落とした。
残滓を封じる光が広がり、石床に滲んでいた黒い染みがゆっくりと淡くなっていく。肺の奥のざらつきが、少しだけマシになった。
ロイドは剣を納め、遅れて息を吐いた。
「思ったよりてこずったな」
「ですね。まさか魔力を食べられちゃうとは思ってもいませんでした。……あっ。汗、かいちゃってますね」
ルーシャは立ち上がってポケットからハンカチを取り出すと、ロイドの額に当てた。
何だか、薪割りを終えた時と同じようなやり取りで、思わず笑ってしまった。あまりにいつも通りすぎて、戦いの直後だということを一瞬忘れそうになる。
「ほ、ほんとにふたりで倒しちゃった……」
「しかも、無傷よ? あんたたちの方が、よっぽど化け物よ」
後ろでは、フランとエレナが唖然としていた。
ロイドは肩を竦めて、ルーシャの方をちらりと見る。
「たまたま、相性がよかっただけさ。な?」
「はい。たまたまです」
ルーシャもにこやかに頷いた。
こうも簡単に倒せたのは、スカルハウンド・ロードが呪属性だったからだ。後先を考えなければ、ロイドの〈呪印〉とルクードだけでも倒せていただろう。
だが、これが仮に同じサイズの巨体な魔物であれば、また話は変わってくる。これだけの膂力と炎を持ち合わせて、弱点らしい弱点もなければ、ここまで簡単には倒せなかった。
呪属性の魔物は、ロイドとルーシャにとっては最も戦いやすいのである。
「ねえ……やっぱ私ら、要らなかったんじゃない?」
「ね。ちょっとそれ思っちゃった」
その余裕ぶりを見ていて、エレナとフランがぽそりと零した。
「なんか言ったか?」
「何でもないわよ。ほら、奥に親玉がいるんでしょ? こいつみたいに、さっさとブッ倒してちょうだい」
エレナがスカルハウンド・ロードの残骸を見て、呆れたように言った。
「……簡単に言うなよ」
ロイドは苦笑してから、広間の奥を睨みつけた。
この先に、本命がいる。
右手の〈呪印〉はまだ熱を帯びていた。番犬を倒しても、鎮まる気配はない。
この先にいるものを喰わないと、きっとこいつは収まらないのだろう。




