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【書籍化決定】追放された黒剣士は白聖女と辺境でのんびり暮らしたい。~え? 聖女と一緒に戻ってきてほしいって? もう遅い~  作者: 九条蓮


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第85話 新たな力の使い方

 骨の散乱を避けながら進んでいくうちに、回廊の空気はまた少しずつ重くなっていった。

 ルーシャの光の輪の中にいれば呼吸は保てる。だが、輪の外──壁の凹凸にこびりつく瘴気は、こちらを待ち構えているみたいにゆっくり濃くなっていった。

 奥の方から、水滴が落ちる音が響いている。

 その合間に、僅かな鼓動が混ざった。


(……近づいてるな)


 ロイドは右手の〈呪印(マリス・グリフ)〉に意識を落とした。

 さっきの骨の山は酸っぱく腐った甘さだったが、今はもっと生々しく、粘度のある苦味を感じる。

 喉の奥に絡みつくような濃さが、じりじりと増えていった。

 回廊が途切れ、視界が開ける。

 そこは、小部屋のような広間だった。

 天井は少し高くなり、壁際には崩れた柱の残骸が転がっている。石床のそこかしこが妙に黒ずんでいて、まるでそこだけ濡れているかのように光を吸っていた。

 近づくほど、その正体がはっきりする。

 黒い水たまり。いや、水ではない。液状の瘴気だ。

 油のように艶を帯びた黒が、ぬらりと床に溜まり、そこから細い霧が天井へと立ち上っている。

 霧は上へ伸びたまま消えず、空間を薄く満たしていた。呼吸の奥が冷える。


「これ、絶対踏んだらやばいよね」


 フランが、輪の内側から身を乗り出すようにして言った。

 さっきまでの軽口とは違う。声のトーンが一段落ちている。


「見るからにって感じよね」


 エレナも頷いた。

 杖先で空気を軽く撫で、瘴気の流れを読む。眉間に寄った皺が、ここが〝溜まり場〟であることを物語っていた。

 フランは鉄槌を下ろし、柄の部分で周囲の床をこん、こん、と叩き始めた。

 音が返る。石の密度が違う場所は、微妙に響きが鈍かった。

 彼女は輪の境界から一歩も外れないまま、慎重に確認していく。

 こん。こん。こん──。

 そのうちの一箇所で、石がわずかに沈みかけた。

 ぎ、と嫌な音がして、フランが即座に足を引く。


「おっと」


 鉄槌の柄でもう一度叩く。沈みはするが、深くはない。大きな仕掛けというより、床の劣化に近い感触だ。


「罠ってほどじゃなさそうだね。……毒沼だけど、そんなに強い毒でもなさそうだね。そのまま踏んでいっちゃおっか」


 フランが結論を出して、あっけらかんと笑う。

 いつもの調子に戻したい、という意図も見えた。

 だが──そこで、ロイドの右手がびくりと跳ねた。

 今までの〝味見〟とは比べものにならない反応だ。

呪印(マリス・グリフ)〉が、黒い水たまりに向かって牙を剥くように疼く。喉の奥に鉄錆びの味が広がった。


(いや……案外、それはよくないかもな)


 それはもはや、直感に近いものだった。

 液体の瘴気は、空気中に漂うものと違う。凝縮されているし、腐った水路の底に溜まった毒みたいに沈殿して濃度が層になっていた。確かに今は影響は少ないかもしれないが、後々のことを考えると、絶対にまずい。


「待て」


 ロイドの低い声が落ちた。


「どうしたの?」


 フランが振り返る。


「念のため、そいつはやめておこう。俺が何とかするよ」


 そう言ってロイドが前へ出ると、ルーシャの光の輪が少し揺れた。

 彼女の表情が、不安げに曇る。


「大丈夫ですか? もう結構〈呪印(マリス・グリフ)〉を酷使しているように思うのですが」


 ルーシャはロイドの右手をちらりと見て訊いた。心配を隠そうともしていない声音だ。

 ロイドは、わざと軽く肩を竦めて見せた。


「まだまだ平気だよ。心配すんなって」


 口ではそう言ったが、内側では別の感覚があった。

 喰えはする。喰えるが、深く吸い込みすぎれば、どこまで自分が自分でいられるかがわからなかった。

 ルーシャが一歩寄って、ロイドの耳に口を寄せるようにして、囁いた。


「もしもの時は……おふたりの前で、抱き締めることになっちゃいますからね?」


 冗談めいた言い方なのに、そこだけ妙に真剣で。

 ロイドは思わず息を詰め、短く笑って返した。


「その時は、お手柔らかに頼むよ」


 ロイドがちらりと視線を横に向けると、エレナとフランがそろってやれやれと言いたげな顔をしていた。

 空気が重い場所ほど、こういうやり取りが妙に刺さる。何だか、気が楽になるのだ。


(よし……やるか)


 ロイドは気持ちを切り替え、魔剣〝ルクード〟を抜き直した。

 刃先を黒い水たまりへ向ける。光の輪の境界線のぎりぎりまで近づき、足は踏み込まず、腕だけを伸ばした。

 剣先が、ぬらりと黒に触れる。

 その刹那、冷気が刃を伝って腕へ走った。

 まるで氷水の中に手を突っ込んだような感覚。皮膚の内側まで一気に冷えた。


(……喰え)


 ロイドは〈呪印(マリス・グリフ)〉へ命じるように意識を向けた。

 黒い液体が剣を伝って逆流してきて、思わず歯を食いしばる。刃にまとわりついた瘴気が、糸ではなく流れになって、ずるりと上へ這い上がってきた。

呪印(マリス・グリフ)〉が口を開けるように熱を帯び、黒い液が吸い込んでいく。

 どろり、と。どろり、と。


「──ッ」


 一瞬だけ胸の奥まで冷気が駆け上がって、ロイドの視界が暗くなった。

 音が遠のいて、鼓動だけが耳の内側で鳴り始める。


(まずい──)


 呪印が食い切る前に、ロイドの意識が呑まれそうになる。

 そう思った時。背中に温もりが触れた。

 

「母なる光よ……」


 ルーシャの手だった。

 小さく囁く声とともに、空気が変わる。

 彼女のあたたかな光が、背骨を伝って右手へ流れ込んできた。

 その光がロイドの中に枠のようなものを作り、暴走しかけた瘴気を、光が枠の中に押し込んでいくような感覚。

 喰い込んだものを、ただ抱え込むのではなく、枠の中に押し込み形を変えていく。

 そして──その枠の中で形を変え、毒が毒のままではいられなくなっていた。


(……そうか)


 そこで、ロイドは気づいた。

〈呪印〉で取り込み、ルーシャの光で無毒化する。

 さっきまでの喰って耐えるというのとは、全く異なる力の使い方だ。

 ふたりでひとつの循環を作れば、瘴気でさえも〝処理〟できてしまう。

〈呪印〉にこんな使い方があるなど、思いも寄らなかった。

 黒い水たまりが、目に見えて減っていく。床に残っていた艶が薄れ、液体の表面が乾いた石に戻っていった。

 最後の一滴が吸い切られたところで、ロイドは剣を引き抜いた。まるで何かを喰って満足したかのように、〝ルクード〟がぎらりと黒光りする。

 ロイドは息を吐いた。肺が、さっきより軽い。


「ふぅ……何とかなったか。ありがとな、ルーシャ」

「どういたしまして」


 ルーシャはにこりと笑顔で応えてみせた。


「なんか……本当にあなたたちってふたりでひとつって感じよね。瘴気の沼を喰って浄化? 意味不明よ」


 背後で、エレナが呆れたように言った。

 呆れ半分、驚き半分。エレナらしい反応だった。

 ロイドは肩を竦める。


「ルーシャが凄いだけだよ」

「い、いえ。私なんて、そんな。なんとなく……こうした方がいいかなって思っただけですから」


 ルーシャは顔をぱっと赤くして、はにかんだ。

 言い訳みたいにもじもじするのが、なんとも可愛らしい。

 ロイドは胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。

 彼女と繋がっている感覚。

 戦っている時も、歩いている時も。彼女の光がそばにあるだけで、自分の中の暗さが輪郭を失っていく。

 ルーシャは恥ずかしそうにこちらを見て、すぐに目を逸らした。


「はいはいはーい、イチャイチャはそこまでね。前見て前」


 フランが半目で言った。


「空気は軽くなったけど、砂糖食わされて胃が重くなるのよね」

「同感よ。こんな敵陣のど真ん中で惚気はやめてほしいわ」


 エレナまで顔を顰めた。

 惚気たつもりなんてないのに、失敬な。

 ロイドは誤魔化すように咳払いをひとつし、剣を鞘に収めた。


「じゃあ……行くか」


 ロイドが隣のルーシャを見て言うと、彼女は「はいっ」と声を弾ませた。

 その声が、さっきより少しだけ近く感じて、少しくすぐったい。

 四人は、黒い溜まりの消えた広間を抜け、さらに奥の回廊へ足を進めていった。

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