竜と人の親子喧嘩
いやだ。まだ出ていきたくない。俺はこの場所にいたい。自分を捨てたはずの父親のところになんて戻る必要がない。戻りたくない。そもそも俺にとって〝戻る〟場所はここだ。ここなんだ。父親とかいう見ず知らずの他人のところになんて……行きたくないっ!
「俺は……ほら。まだ覚えてないことがあるだろ」
「教えられるすべての技は教えた。生きるに必要な知恵も与えた」
「でも技なんてまだ全部を使いこなせてるわけじゃないだろ」
「技も知識も、真の意味で使いこなすことのできる日など永遠に来ることはない。ワシでさえもまだ研鑽の半ばであるのだからな」
でも、そう思ってどうにかこの場所に残ろうと必死に言葉を紡ぐけど、そのすべてをジジイは否定してしまう。
「でも、まだ……いや、俺だってあんたたちに教えてないことがあるぞ! 盆栽なんかだけじゃなくて他にも――」
「グランディール。お前は竜ではない。人なのだ」
そういわれた瞬間、何も言葉が出なくなった。喉が貼り付き、胸の奥に衝撃が走り、頭の中が真っ白になり、ただこっちを見てくるジジイの顔を呆然と見つめ返すだけしかできない。
「っ……!! あんたも……あんたも俺を捨てるのか!」
まただ。また捨てられた。前世の親に捨てられ、今世の親にも捨てられ、やっと自分の居場所を手に入れたと思ったらまた捨てられた。
ああ、わかるさ。ここが人間が暮らす場所じゃないってことくらい。
でも、俺にとっての居場所はここなんだ。ここだったんだ。ようやく手に入れた場所なんだ。
そして、その場所をくれたのはアンタだろ、バルフグラン……! それなのにどうしてっ……!
捨てられたという現実が認められなくて、先ほど人間たちを威圧した時とは比べ物にならないくらいの魔力が周囲へと影響を与えバルフグランを威圧する。
「否。そうではない。そうではないのだ。グランディール、お前も分かっていよう。ワシは……ワシらはお前のことを捨てるわけではない。そして、お前の父親もお前のことを真に見捨てたわけではないのだ。賢いお前ならばそのことを理解していよう?」
……わかってるさ。ああそうだ。それくらいわかるよ。あんたの考えくらい。ドラゴンの魔法を学び、ドラゴンの知識を学び、ドラゴンと共に暮らしたとしても、結局のところ俺は人間だ。人の世で暮らすのが最も〝らしい〟生活だって言えるだろうさ。順当に人間らしい幸せを手に入れて生きるのなら、俺は人間の世界で生きたほうがいい。
でも、わかりたくない。だって、ここで理解を示してしまったら、俺はここから出ていかなくちゃいけなくなるから。だから俺はわからない。
そんな俺を見かねたのか、バルフグランが普段よりももっとずっと優し気な声音で語りかけてくる。
「お前の居場所はここで、帰る場所もここでかまわぬ。だが、それはお前が世界を見てからだ。世界を見て、人に触れ、歴史を感じ、改めて考えてから戻りたいと思ったのならば戻ってくればいい」
捨てられたわけではない。ここに戻ってきていいのだと、ここが俺の居場所なんだといわれ、荒れていた感情が静まっていく。
頭ではまだ怒っているはずなのに、心の方がジジイの言葉を受け入れてしまっている。その食い違いが気に入らなくて、無性にむしゃくしゃする。
「旅にでよ。その時が来たのだ」
――ああ、そうなんだろう。
ジジイからかけられた言葉が、スッと胸の中に入り込んだ。そして、自分は捨てられたわけではないのだと、心がそう理解した。
ジジイの考えは理解した。確かに俺自身いつかは、なんて思っていたし、ジジイの言うように今回はいい機会なのだろう。そこは納得してもいい。
……でも、いきなりこんな話を……それもこっちの意見を聞かずに勝手に話を進めたことは別だ。
頭でも心でも、ジジイの言葉は理解し、それを受け入れた。安心も納得もした。
でも、まだだ。理解していたとしても、受け入れていたとしても、それでもまだこの話は終わりじゃない。
仕方ないだろ。人間はそんなに単純な生き物じゃないんだから。理解したから、納得したからって言っても、だからって心の底から全公定できるってわけじゃない。
俺はドラゴンじゃなくて人間だからな。ドラゴンみたいにそう割り切れる存在じゃないんだ。
胸の内でうごめいているぐちゃぐちゃとした思いを鎮めるために、俺は――
「……竜の爪は全てを切り裂く刃である!」
「ぬっ……! 何を――」
ジジイから教わった魔法を使い、両腕の先に雷の爪を生み出し、ジジイに切りかかる。
不意打ちであったんだが、流石はジジイ。俺の師匠だ。この程度の奇襲なんて簡単に受け止めるか。
でも、これで終わりじゃない。あんたから教えてもらったことはまだ残ってるんだ。
「竜の角は嵐を起こし、全てを貫く槍である!」
切りかかった両腕は簡単に止められているが、そんなことは知ったことじゃない。
爪での攻撃をしたまま今度は頭に風を……嵐を圧縮して作った角を生み出し、踏み込み――突き上げる。
竜巻を圧縮して固定化した角は、いわば風でできたミキサーだ。普通であればそんなものを喰らったら肉も骨も関係なしに削りとられ、貫かれることになる。
だが、相手はジジイだ。いくら爪での攻撃で動きを止めているといっても、この技を教えてくれた親に簡単に通用するわけがない。
突き上げた角は、俺にはない立派な牙で噛みつき、止めた。
昔……前世で聞いたような歯医者で歯を削るような音が聞こえるけど、それでもほとんど削れていないんだからやっぱりドラゴンってずるいよな。
それでも、歯を削ることはできていなくても、歯の周りの肉を削ることはできた。このまま押し込んでいけば――そう思った直後、俺の角はジジイによってかみ砕かれた。
ジジイはかみ砕いた勢いのまま俺に嚙みついて来ようとする。だが、そんなものを素直に食らうわけがない。俺だってバカじゃないんだ。あんたから学んだことはまだあるのは、あんただって理解してるだろ?
「竜の翼は何者にも捕らえることはできぬ自由の具現」
背中に光を乱反射させる翼を生み出し、空を飛ぶ。そうして眼下のジジイ――バルフグランを見下ろし、次に森全体を見渡す。
……本当に広い森だ。けど、そうだよな。何せこの森にドラゴンがなん十体と暮らしてるんだ。広くなかったらやっていけないか。
森を見渡しながら、これまでの人生を思い出す。
前世はくだらない人生だった。本当にくだらない。無駄で無意味で無価値なプライドで台無しにした、つまらない人生だった。
今世は……まあ、つまらないかどうかで言ったら、多分つまらない人生なんだろうな。何の変化もなく、ただ同じ日々を過ごしていくだけの人生。何を成したのかと言ったら、何も成していない。
――でも、楽しかった。嬉しかった。そして何より、温かかった。
でも、それも今日までで終わりだ。




