始まり
皆さまはじめまして、あるいはお久しぶりです。
また新作を書きましたので読んでください。
楽しんでもらえれば幸いです。
――ああ、なんて美しいんだ。
今僕の目の前には、本や映像でしか見たことのない大きな牙と、爬虫類のような瞳が存在していた。牙は僕の前に突き出され、瞳はまっすぐ僕のことを見据えている。
恐竜。あるいはドラゴンと、そう呼ばれている生物。過去や空想の中の生き物であるはずのそれがどうして目の前にいるのかはわからない。
でも口からは生暖かい息が吐き出されており、正直言って臭い。だが野生の生き物などこんなものだろう。そしてその暖かさと臭さがこの状況が現実なのだと理解させた。
だが、そんな状況だと理解していながらも、僕は恐怖を感じることはなかった。
それどころか、その姿に強く惹かれた。
強さに惹かれた。強さが表している美しさに惹かれた。まっすぐ見据えてくる瞳に惹かれた。鱗の輝きも、牙の鋭さも、ただ目にしているだけで感じる存在感さえも、その全てが僕を強く惹きつけた。
……口の臭さだけは惹かれなかったけど。うん、ほんと。そこだけ減点だ。でもそんな減点さえも〝生物〟としての存在感を感じさせるのだからある意味ではプラス要素なのかもしれない。
こんな状況でも怯えずに居られるのは、きっと自分が死んだことを理解しているからだろう。
僕は死んだ。なんてことはない、ありきたりでくだらない、よくあることだ。
散々な人生だった。親に捨てられ、孤児として生きた。特に悪いことも反抗もせず、いい子で育ったと思う。でも世間は、僕に親がいないというだけで一段下に見てきた。そして、親がいないならなにをしてもいいだろうと、つらく当たってきた。
もちろんそんな者達ばかりだったわけじゃない。でも、記憶に残っているのはいつだって〝敵〟の姿ばかり。
そんな風に生きてきたからだろうか。僕は成人しても誰かに頭を下げるのが嫌だった。
今にして思えば、なんともくだらないプライドだ。多分、全員が悪いわけじゃないと思いながらも、自分以外の全員を敵として考えていたからだろう。
だから、敵に頭を下げてなるものか。そんな風に考えていたんだと思う。
頼み事をする時もどこか高圧的に頼み事をし、謝る時も不承不承といった態度。……我ながら最低だな。なんとも子供っぽい……いや、まさしく〝ガキ〟だった。
しかも、そんなプライドの高さが災いして、僕は〝何もしてこなかった〟。
何かをすれば失敗するかもしれない。でも失敗したら自分が傷つく。だから何もしないで高みの見物を決め込み、他人のやっている姿を見て満足する。場合によってはその人に失敗を見て、そら見たことかと笑い、ああやっぱり失敗すると思ったんだ。自分はやらなくてよかった、なんて嘲笑う。
ただ、それでもなんとかやってくることはできた。態度が悪くても、新たな挑戦をしなくても、結果さえさせればどうとでもなる世の中だったのは幸いだ。……いや、もしかしたらそれこそが僕にとって最大の不幸だったのかもしれない。だって、自分が成長しなくとも、自分の悪いところを直さずともどうにかなってしまったんだから。
その結果がこれだ。――『死』。
傲慢な態度のまま周囲との軋轢を直さず、ただ結果だけを求め、他人を蹴落として自分の立場を……力を手に入れた。
そして、それによって〝道〟から弾かれた奴が僕のことを恨み、階段から突き落として殺した。それだけのことだ。
もしかしたら、僕を殺した犯人だって殺そうと考えていたわけじゃないのかもしれない。ちょっと脅かしてやろう、あるいはたまたま僕の背中が目についたから衝動的に動いてしまった。それだけのことかもしれない。階段も、残り数段程度の短い距離だったしね。
ただここで災難だったのが、僕が〝僕〟だったということ。
押された。それは理解した。危ない。転ぶ。ふざけるな。こんなに人が見ている前で転ぶなんて無様なことができるか。どうにか立て直せ。僕ならできる。できないわけがない。だから早く動け。転ぶなんてできるか!
そんな風に危ない状況でもくだらないプライドで見栄を張って、強引に体を動かした。
その結果、階段からは転ばなかった。我ながらすごいと思ったね。でも、転んで勢いが死ななかったことで僕はそのままの勢いで歩いてしまい、勢い余ってホームから落ちた。そしてちょうどそこに電車が来た。はねられた。しんだ。はいおしまい。勢いは死ななかったけど僕自身は死んだっていうね。なんとも笑えない事態になった。
そんな感じだ。ある意味プライドのせいで苦労し、プライドのせいで死んだとも言える。
そんな僕がこうしてまたプライドの象徴――傲慢さの象徴であるとも言える『竜』に食べられることになるなんて、なんという皮肉だろう。
逃げ出すことはできない。だって今の僕はほんの赤ん坊だから。
どうしてこうなったのかは知らない。〝僕〟としての意識を手に入れたのはついさっきだったから。頭が痛いのは、どこかぶつけたからか、それとも記憶を思い出したことで脳に負荷がかかったのか。まあどっちでもいい。どっちでも結果は変わらないし、状況も変わらないんだから。
そうして記憶を思い出し、ろくに体を動かすことはできないしこのままじゃ死ぬだろうな、なんて達観していたところで目の前の竜がやってきた。それが今の状況だ。
さてどうしたものか。そう考えたところで意味があるわけでもなく、ただ目の前の竜を見つめ返すことしかできなかった。せめて、最後の瞬間までこの美しい生物を目に収めておこう。
だが――
「ふむ。人の気配がしたと思ったら、赤ん坊か。親はどうした。死んだか?」
意外と竜というのはフレンドリーらしい。
獰猛な牙をつけているくせに、キョトンと首を傾げるのは無駄に似合っているんだな。