嘘つき
「あった!」
僕は叫んだ。
校舎の前にある、大きな木。
『たくさんの思い出をありがとう』――彼女がそう綴った、大きな木がそこにはあった。
僕はおじさんの携帯を借りて、画像と投稿日を確認する。
何度も、何度も、画面と目の前の風景を見比べた。
「どうした?」
おじさんが隣で訊く。
「……違う」
僕は声をふるわせた。
葉の茂り方も、光の当たり方も、彼女の写真とは少し違っていた。
でも、それは季節や時間帯のせいだと思った。
――なのに、どうしても納得できないことが一つだけあった。
「彼女の写真、校門の内側で撮ってるんだ。
でも、投稿日は今年の6月。
……どうして……」
頭の中に、愛おしく苦さを感じる2つの声がこだました。
あのとき、僕の家で響いていた――父と母の言い争いの声だ。
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(父)
「最近は、その年の卒業生でも学校に入れなくなったんだってな。学校も大変だな」
(母)
「え〜、不審者対策なの!
卒業したての子供を?
あなたみたいにちょっとのことなら融通を利かせるとかできない人がいるのね
なんでもルール、ルール。
そうゆう人は他人の気持ちが分からないのよ」
(父)
「ほらまた始まった。
感情を優先させる癖を直した方が良い
結局、何かあったら“学校が悪い”って文句言うくせに」
(母)
「何よ!
感情を大切できないあなたが悪いのよ!」
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「やめて……」
僕は小さな声で呟いた。
耳を塞いでも頭の中に響く怒声に、僕はただ頭を振ることしかできなかった。
あの声たちは、今、ここにはいない。
でも、思い出だけは、頭の中に居座っていた。
僕は、小さく縮こまることしかできなかったあのときの自分を思い出した。
「卒業したら、学校にはもう入れないんだ……。
だから、彼女は本当は中に入れなかったはず……」
言いたくない言葉を、無理に押し出したみたいに、僕の声はかすれていた。
おじさんは静かに僕の顔を見て、そっと「うん」とだけ言った。
とらがおじさんの腕の中で、すん、と小さく鼻を鳴らした。
静かな違和感が、じわじわと形のない不安に変わっていった。
……彼女の**投稿にある“嘘”**。
それが、胸の奥でひっかかったまま、どうしても消えてくれなかった。
「もしかして、言えない言葉を物語にしていたのかもな」
おじさんがふっと言った。
「誰にも見せない。でも――本当は、誰かに見せたかった。
だから、インスタにあげてたのかもしれない。
“あたかも現実”のように書いて」
僕はその言葉を、胸の奥にしまおうとした。けれど――
しまえばしまうほど“嘘つき”という言葉が暴れ出して、
うまくいきそうになかった。
とらはおじさんの胸に顔をうずめて、この世に何の不満もないような、安心しきった顔をしていた。
とらを触った時に感じる温もりだけが、僕にとって嘘ではない本当のことだった。
僕の視界の隅で、とらのしっぽがゆらゆらと揺れていた。
気がつくと、僕たちは交番の前にいた。
ゆっくりと歩いていたつもりだったのに、僕は目の前に来るまで気が付かなかった。
「……嘘つき!」
僕は声を上げた。
「交番には行きたくないってちゃんと言ったよ!
おじさん、大丈夫って言ってくれたじゃないか!」
心臓がどくどく鳴っていた。
自分でも知らないうちに、すごく怒っていた。
なのに、泣く直前みたいな弱く震えた声しかでなかった。
おじさんは黙っていた。
やがて、小さく――ほんとうに小さく、寂しそうに笑った。
「……大人はね、子供に嘘をつくんだ」
「え?」
「君にとって、それが“良いこと”だって、勝手に思ってね。
君がどう思うかなんて、ちっとも考えずに……」
「……ごめんよ」
夜の風が通り抜けた。
とらが小さく尻尾を揺らし、僕をそっと見下ろした。
「……おじさんも、嘘つきだよ」
僕はそう言って、おじさんから目をそらした。
でも、とらとおじさんと僕を結ぶ手を、離すことはどうしても出来なかった。




