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彼女のいる街  作者: しし
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再捜索


「どうしたの? 迷子かい?」

おじさんは、やわらかい声で聞いてきた。


「名前は言える? 住所は?」


 


でも僕は、何も答えたくなかった。

泣きながら、ただ首を横に振った。


 


「通ってる学校の名前は? お父さんかお母さんの名前でもいいよ」


それでも僕は、なにも言えなくて。

今朝大丈夫って言った僕が馬鹿に思えて、

自分が情けなくて、消えてしまいたくて、

もう一度、首を横に振った。


 


おじさんはしばらく黙って、

それから言った。


 


「じゃあ、交番に行こう。……おうちに帰れるよ」


 


僕は思わず、顔を上げて言い返した。


 


「……やだ」


 


「交番はだめ」


 


お母さんが言っていた。

“多少、頭が悪くてもいいから、交番のお世話になるような真似だけはしないで”って。

だから、だめなんだ。絶対に。


 


僕はもう一度、しっかりと言った。


「交番はだめ」


 


おじさんは、猫を抱きかかえたまま、僕の前にしゃがみこんだ。

目の高さが一緒になって、顔がすごく近くにある。

とらは少し窮屈だったのか、ふにょふにょと文句を言った。


 


「ごめんごめん」


そう言って、おじさんは猫を抱え直す。

とらはまた、ふにょふにょと文句を言いながら、自分でベストポジションを探して動いた。

おじさんが小さな声で、「とらー、痛いよぉ」って言ったとき、

僕は、思わず笑ってしまった。


こんなに大きいおじさんが、猫に敵わないなんて――。

なんだか、可笑しかった。


 


おじさんは僕を見て、にっこりと笑った。


「何してたの?」

「おじさんに、しゃべっても良いって思えることはある?」


 


僕は、彼女の学校を探していたことを話した。

おじさんは自分の携帯を出してくれたから、彼女のインスタの投稿も見せた。

それで、結局その学校が男子校だったことも。


 


おじさんは、うんうんと頷きながら、ずっと聞いてくれた。

ときどき、「すごいね」とか、「そうなんだ」と言ってくれて、

まるで友だちみたいで、話しやすかった。


 


話し終わると、おじさんは少し考えてから、手を差し出して言った。


「じゃあ、もう一回だけ、今度はおじさんと一緒に、彼女の学校を探してみようか?」


 


僕は、おじさんの目を見ながら、聞き返した。


「……交番には連れてかない?」


 


おじさんは、優しく笑って、はっきりと言った。


「大丈夫。連れていかないよ」


 


だから、僕はおじさんの手を取った。


その瞬間、頭のなかで先生の声がした。


――知らない人についていっちゃだめよ。


でも、僕は頭の中の先生に言い訳をした。

とらは友達で、おじさんはとらの家族だから、大丈夫。

知らない人じゃないよ。


頭の中の先生は、仕方ないわねぇみたいなポーズをして消えてった




おじさんと手をつないで、もう一度カフェに行ってみた。

「たぶん、ここだと思う」

そう言って、インスタの画面を見せる。


でも、僕の目の前に広がる景色と、彼女の画像で見えていたものが違う。

それを、おじさんに伝えた。


 


おじさんは、インスタの画像と、目の前のカフェを交互に見比べて、

僕の横にしゃがんだと思ったら

「ああ」と、小さく声を出した。


 


「ちょっと、君を抱っこしてもいいかい?」

おじさんはそう言ってきた。

とらの顔を見ながら、「しばらく、お友達のところね」と言って、

僕にとらを渡してきた。


 


僕はとらを抱っこする。

とらはもぞもぞと動いて、自分でベストポジションを探していたけど、

僕には爪を出さなかった。


 


おじさんは、そっと僕の脇の下に手を入れて、軽く体を持ち上げた。

ほんの少し高くなった視線の先に――あった。


 


「ここじゃないかい? 彼女の写真とおんなじ画角」



柱の飾り、店のランプの位置、遠くの交差点の看板

……全部、ぴったりだ。

あの時、彼女が見ていたものが、今、自分の目にも映っている



 


「ここ!」


嬉しくて、思わずおじさんを振り返った。


「ここだったんだ!」


おじさんは笑って、「良かったね」と言ってくれた。


 


「じゃあ、街は間違ってなかったんだ……」


僕は安心したように、でも少し不思議そうに言った。


 


「でも、なんでここに……学校はないの?」


 


おじさんは少しだけ首をかしげて、遠くを見た。


「うーん、もう一度地図を見ようか」



とらを抱いたまま僕は、おじさんと携帯の地図アプリを一緒に覗き込んだ。

僕に抱っこされてるとらは、画面の明かりがまぶしかったのか、ちょっとだけ顔をそむけた。


僕が調べた学校の場所には、もうマークがついている。

「行った高校」は一つ。

じゃあ、他に候補は――


地図を広げて見ていく。

画面の上も、下も、少し離れたところも……。


「……やっぱり、ない」

そう言って、僕は小さくため息をついた。


 


でも、おじさんが携帯の画面をくるっと指で動かして、ある場所を示した。


「ここに行ってみないか?」



でも――


「違うよ、おじさん。彼女は高校生だよ。」


僕は、びっくりしてそう言った。


おじさんが指差していたのは――中学校だった。


 


「そうか」と、おじさんはにこりと笑った。


「でも、彼女が“高校生”って言ってたのはいつ?」


「えっと……四月。新学期が始まるころ」


「ふむふむ。じゃあそのインスタの写真が投稿されたのは?」


僕は画面を指で戻して、投稿の日付を見た。


「……去年の十二月」


おじさんは「ほらね」と優しく言った。


 



「君もクラス替えとか無かった?学校が変わる子もいる。彼女もそうかもよ」


僕は言葉に詰まって、それでも頷いた。


 


「つまり、この写真を撮った頃は、彼女はまだ中学生だったのかもしれない。

この中学校に通っていて、近くのカフェが気に入ってたんじゃないかい?

それで、高校生になってからも、たまに来る。懐かしくて。

……そういうことも、あるかもしれないよ」


 


おじさんの声は落ち着いていて、まるでなにかの謎解きをしているみたいだった。


僕は携帯の画面と、今目の前にある景色を見比べた。

カフェ、通り、並んだ木々。



「まさか……」


僕は、言葉が出なかった。


「このカフェの近くの中学校。もしそこが彼女の通ってた学校なら……

彼女は中学生のときから、この街にいたのかもね」


 


おじさんは、ただそう言って、笑った。


 


とらが僕の腕の中でくるんと丸くなった。

あたたかくて、ちょっと重くて、それが妙に心強く感じた。


 


「行ってみる?」


おじさんがそう言って、手を差し出した。

とらをまたおじさんが抱っこする。


僕は僕に差し出されたその手を、握った。


「うん」


今度は、ちゃんと自分の声で、そう言えた。


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