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彼女のいる街  作者: しし
6/11

とら

まわりは、すっかり暗くなっていた。

街灯の灯りもベンチまでは届かない。

それでも僕は、まだベンチに座っていた。

猫は、僕のひざの上にいて、ぬくもりだけがそこにあった。


誰も、僕のことを探しには来ない。

ずっとこうしていても、きっと誰にも気づかれない。

お父さんも、お母さんも、僕のことなんか必要としていない。

おばあちゃんは、どうかな……。

行くって、お母さん、伝えてくれたんだろうか。

……また、忘れちゃってるかもしれない。

僕と猫だけが、この世にいるみたいだ──

そんなふうに感じていた。


 


遠くから、声がした。


「とらー」


誰かが、誰かを呼んでいた。


それまで、ぺったりと寝ていた猫の耳が

ぴくりと動いて、上半身を起こす。


 


「とらー」


もう一度、声が聞こえたとき、

猫は「なぁーん」と鳴いた。


 


「とら、おまえ、そっちかあ」


声は、だんだん近づいてくる。

そのたびに、猫──とらは、「なあーん」と応えるように鳴いた。


 


僕は、とらの頭をそっと撫でて、

小さくささやいた。


「……おまえ、とらなの?」

とらはもう一度、「なあーん」と鳴いた。

まるで、そうだよって言ってるみたいに。


僕には、家族が呼んでくれる名前はないのに。





道の先から、「とら」って呼んでいた声の主が、ゆっくりと現れた。

中年のおじさんだった。

僕のひざの上にいるとらを見つけると、驚きもせず、にこやかに声をかけた。


 


「おや、とら。新しいお友達かい」

「もう今日は帰ろうな」


 


おじさんは僕のほうを向いて、あたたかい声で言った。


「こんばんは。もう遅いよ。君もおうちに帰らなきゃ」


僕はおじさんの声をぼんやりと聞いていた。



おじさんは少し困った顔になって言った。

「もしかして、とらのベッドになって帰りそびれちゃったのかな。……すまなかったね。

今度からは遠慮なくどかしてやってくれていいんだよ」



そう言いながら、おじさんは僕と猫にゆっくり近づいてきた。

とらは、あんなにどっしりと座っていたのに、

おじさんの差し出す手に身を預けるように、するりと抱き上げられた。


とらの体がふわりとひざから離れた瞬間、

僕ととらだけの世界が、音もなく壊れた。

残ったのは、ぽっかりと空いた胸の奥の穴だけだった。


 


──とらには、迎えに来てくれる人がいるんだな。


そう思ったら、なんだかよくわからなくなって、

気づいたときには、僕は泣き出してしまっていた。


泣きたくなんかなかったのに、

泣かないって決めてたのに。


迎えが来ない僕と、とらの距離が遠く感じられて


涙は止まらなくて、とらのいたあたたかさだけが、まだひざに残っていた。


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