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第2話「ブラウン商会結成」その3

翌朝。パンケーキパーティーと銘打った、要するにローザの焼いたふわふわの絶品パンケーキに色々なものを好きに合わせると言う美味し過ぎる朝食を取ると。今度は腹九分目に何とか抑えたルーカスにダニエルが声をかけた。

「細かいことはまだあんまり考えてないんだけどさ。今後の作戦会議したいから、お腹が落ち着いたら僕の部屋に来てもらえるかな」

「今すぐ行けるっすけど」

腹九分目なんで、と断言するとダニエルが笑う。

「じゃあ腹八分目になったら来て。しっかり頭が回る状態で聞いてもらいたいから」

ダニエルの意味深な言葉に、ルーカスは少し緊張しながら頷いた。



心の準備をしっかりしてから、ダニエルの部屋をノックする。中からいつも通りの「入ってー!」と言うダニエルの声が聞こえたので、ルーカスは失礼しまーすと呟きながら恐る恐る足を踏み入れた。

そこには、レオンの部屋と違って良い意味で雑多な物に溢れていた。

窓には若草色のカーテンが風に揺れ、陽の当たりにくい壁際には小さな本棚にぎっしり本が詰まっている。年代物の植物図鑑に医学書、小さな子供が読む絵本に旅行記などジャンルも様々でダニエルの興味の広さが窺えた。

ベッドにはローザが作ったのであろう可愛らしいキルティングのカバーが掛かっているし、壁に寄せられた大きな机の端には水晶が混じったものや変わった形の石が布の上に綺麗に並べられていて、眺めているだけで面白い。机の前の壁には、簡素だが大きな地図が貼られていて細かな書き込みが沢山あった。

しかし肝心のダニエルの姿が見えない。ゴソゴソ音のする方に顔を向けると、奥のクローゼットにダニエルが居た。

「あ、ごめんごめん! これを機に色々セタンタに持って行こうかと思って。ベッドの上とか椅子とかに適当に座ってて」

迷った末にベッドの上に座ってみるとふわふわだった。改めて間近でカバーを眺めると、よく見たら熊と森の草花の柄になっている。……ファティスって熊が縁起物なのかな。

クローゼットを片付け、ダニエルが戻ってくる。机の前の椅子に座るのかなと思ったら、机と椅子を移動させて部屋の真ん中に持ってきた。ベッドに座っているルーカスの向かいの椅子に腰掛けると、いたずらっ子のような笑顔でダニエルは宣言した。

「それでは今から──第一回ブラウン商会企画会議を始めるよ」



ブラウン商会。初めて聞く自分たちの商会の名前に、ルーカスは密かに高揚した。ダニエルがどんどん会議を進行してゆく。

「まず商会長が僕ってことになったから、商会の名前は仮にブラウン商会にしておくけどそれでいいかな?他に良い案があればどんどん言って」

「意義なしっす」

と言うか不思議なくらいしっくり来る。ルーカスの反応に安心したように、ダニエルはふっと微笑んで続けた。

「次に、商会の仕事内容。基本的には良いと思った商品を他の町で売る流通の仕事をメインに考えてるんだけどね……自社商品もあった方がいいでしょ?

それで、とりあえず商会の商品第一号としてはこれがいいかなって」

小さな勉強机の上に、書き込みの細かな大判の羊皮紙がバサリと広げられる。

「これって……まさか世界地図ですか?」

「まあルード大陸だけのマップだけどね」

「こんな細かい地図初めて見ました……これ、どうしたんすか?」

「僕が描いたんだよ。セタンタに来る前はルード大陸中を旅して回ってたから、ついでにね」

これだけ精巧な地図を自分で歩いて描いた?一人で?

実物を手に取ってルーカスは戦慄した。今までの地図とこれは全く違う。

今まで、ルード大陸で普及していた地図はもっと簡素で大雑把なものだ。故に、旅慣れた者でも初めての町に赴く時は普通はその町に行ったことのある案内人を雇う。そうしないと無駄足どころかその町に辿り着けないまま無駄死にしかねないからだ。

町と町の間には魔物が出る所も多く危険なので、ルード大陸の一般市民の中には一生を自分の町だけで過ごす者も多い。かく言うルーカスも今回ダニエルに付いてファティスに来るまで生まれ育ったセタンタを出たことはなかった。ひょいひょいと先を迷いなく歩いて行くダニエルに、内心青息吐息で付いて行ったのは秘密だ。

けれどその常識が、この地図さえあれば変わる。

「これ、安全なルートが細かく書いてありますね。これだけの情報があれば」

ルーカスの言葉に、ダニエルが不敵に笑った。

「そう。旅慣れてさえいれば、初めての町でも一人で行ける」

ルーカスならわかってもらえると思ったとダニエルは嬉しさを堪え切れないように言う。

これ一枚あれば、今までと世界の景色が一段変わる。その様を想像して、ルーカスは背筋が震えた。

「あと、世界中を旅しながらこれもついでに集めた」

じゃらりと机に無造作に置かれたのは、無数の美しい石たち。───ルード大陸全土にある、主要な商会と商店のマジックストーンだった。

「……有名どころ全部あるじゃないですか。これ、まさか──全部、一人で歩いて集めたんですか?」

「うん。途中で路銀が尽きたから、現地で働きながらだけどね」

読み書き計算出来ると何処でも何かしら働かせてもらえるから便利だよね、と何でもないことのようにダニエルは笑った。

「代筆屋でも宿屋の下働きでも何でもやったけど、やっぱり良い店で働くと経験値も土地勘も上がるから楽しかったなぁ。あ、そこのマジックストーンは有名どころと現地で僕が気に入った店全部集めてあるから」

いつかフィーブのラグリア牧場辺りと提携出来たらいいよね、今は夢物語だけど。にこにこしながらダニエルが語る。

ルーカスは、空恐ろしい気持ちで一生付いていくと決めたダニエルの顔を眺めた。この人、これで細かいことは何も考えてないってよく言ったな───とんでもないもの見せてきやがって。


ルード大陸において手紙が出せると言うことは、受け取り先のマジックストーンを持っていることが必須条件だ。つまり、代々受け継いでいる取引先のマジックストーンをきちんと所有していることが基本となる。こまめに手紙を書いてアポイントを取り、実際に赴いて商談をしたり契約書を交わしたりするのだ。普通の商店なら同じ町の店と、あっても他の町のマジックストーンが数個あれば上出来。大商会であっても王都セタンタと主要な町のものだけで、すべての町の商会のマジックストーンを持っているなんてことをしたのは恐らくこの人が初めてだろう。

つまり、その気になればルード大陸全土でダニエルは商談が出来る。契約書を交わすとなれば勿論、実際にそこに赴かなければならないが──ダニエルなら苦もなくやってのけるのは想像に難くなかった。

「──ちなみにこれ、実際にどれくらい使う予定なんすか?」

静かなルーカスの問い掛けに、穏やかな笑顔でダニエルが答える。

「勿論、やりたいことをやるのに必要なだけ全部」

わくわくするだろ?と言わんばかりのダニエルに、ルーカスは溜め息を吐いた。───まったく、本当にこの人は。

「わかりました──つまり俺のこれからの仕事は、世界を股に掛けて商売をする会長を全面的に支えるってことですね」

「うん。君にしか出来ないと思ったから誘った」

さらりとそう言うことを言うから本当に始末に終えない。こんな面白いこと──商人なら引き受ける以外の選択肢があるだろうか。

「まったく、しょーがねぇっすね──やってやりますよ、会長」

真剣な眼で、それでも高揚を隠し切れていない腹心の部下にダニエルは破顔した。

「うん──これからもよろしくね、ルーカス」

これが、最終的にルード大陸の商品の四割を担うことになるブラウン商会の結成の瞬間。商人の間で伝説となるダニエル・ブラウンとその腹心の部下ルーカスが商会として第一歩を踏み出した時だった。



ファティスでの滞在は、ルーカスにとって忘れられないものとなった。

「会長、あれの価値を理解させる為に俺をファティスまで歩かせたんすね」

「あ、バレた?」

嬉しくて仕方ないと言ったダニエルの良い笑顔に、ルーカスは溜め息を吐く。……ちゃんと頭を働かせないと、全部この人の策略に踊らされることになるなこれは。まあ、それはそれで楽しいだろうが──いざと言う時に安全策で会長を守らなければならないのは自分になるだろう。だとしたら、楽しく踊らされるだけでは到底足りない。

「本当は馬車の方が初心者のルーカスにはいいかなと思ったんだけど──体験は金貨に勝るから」

緑の瞳に底知れない微笑みを浮かべそう言ってのけるダニエルは、やはり食わせ者だ。全力で食らい付いていかなければ置いていかれるだろう。それはとても困難で──けれど不思議と悪くないと思える未来予想図だった。

「まあ、面白かったんで勘弁してあげるっす」

精一杯強がってから、本題に入る。

「じゃあ、まず世界地図の販売から具体的に詰めていきましょうか。量産はこれからっすよね?」

ダニエルが頷きながら、真剣な眼で自分の描いた地図を見定める。

「これを売るならやっぱり木版印刷だよねぇ」

「セタンタには確か二件、木版印刷所ありましたよね……ツテはないっすけど」

「ファティスには木版印刷所自体ないしなぁ……ツテはなくても駄目元で当たってみるしかないね」

思案しながら、ダニエルが呟く。

「そうなると、商会の本拠地はやっぱりセタンタだね。目星付けてる所があるからそこを借りよう。──宿屋を借りるの面倒になってきたから、僕は商会の建物の一部屋貰ってそこに住もうと思ってるんだけどルーカスはどうする?商会で宿屋の一室を借り上げて宿舎にしてもいいけど」

ダニエルの言葉に、ルーカスはセントラルベアーに泊まった時のことを思い出す。あの時はすべてのやり取りをダニエルが担ってくれたが……自分でやると思うと非常に億劫だった。

「あ、俺も商会に一部屋下さい。その方が楽そうなんで」

「了解。じゃあ部屋数の多い方を借りよう」

この時の決断を、ダニエルは後になって珍しく後悔することになる。彼は、部下のワーカホリックを甘く見積もっていたのだ。しかしそんなことは後の祭りで。熱を秘めた話し合いに、瞬く間に時は過ぎていった。

窓の外には、ファティスの美しい青空が広がっている。緑の森と、険しい山脈、豊かな水源に恵まれたのどかな町。けれど、そこには数々の魔王軍襲撃の爪痕が残っている。その傷痕と失われた夢を抱きながら残された住民は生きている。


しかし、ファティスの民は始まりの民だ。ルード大陸に上陸して、開拓者たちが最初に創った町がファティスだと言われている。故に、好奇心旺盛で逞しい住民が多い。勇者レオン・ソリッドハートに、後に世界有数の商会長となるダニエル・ブラウン。今も未来を切り拓き続けるファティスの民たちの夜明けは、あと少しだけ先の物語だ。

「まさかさー、商会から一歩も出なくなるなんて思わないじゃん……流石に責任を感じてるんだよ。え?『ここが俺のうちですから』じゃないから。職場だから。あと何でちょっと嬉しそうなの?もールーカスはさぁ……」


ファティス移転時

「え?商会に部屋を用意してもらえないならセタンタに残る??何で!?ファティス好きって乗り気だったじゃん。えーっと、そんなに嫌なら僕の実家に泊まる?いや駄目だな。それこそ一生出てこれなくなる……じゃあレベッカの宿に宿舎用意するから!駄目?もールーカスぅ……レベッカの宿だよ?ロッテンマイヤーさんも泊まったことないファティスで一番良い宿だからね??」

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