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第1話『疲労困憊商人と人畜無害な青年』その3

翌朝。欠伸をしながら朝礼にやってきた店主のオリマーに、ルーカスは緊張しながら話しかけた。

「オリマーさん、あの」

「ん?何だ、朝礼の後にしてくれ」

断られたが、ぐっと堪えてもう一度口を開く。

「すぐ済むんで。──今すぐ店、辞めさせて下さい」

言った。言えた。安堵しているルーカスの後ろから顔を出して、ダニエルの明るい声が続く。

「あ、僕も辞めまーす! 昨日までのお給料、今貰えますか?」

図々しいお願いに、ルーカスはギョッとした。オリマーも渋面を浮かべている。

「何だお前ら藪から棒に……ルーカスに、えーっと新人の……」

「ダニエルです。ダニエル・ブラウン」

こんな時まで笑顔で愛想の良いダニエルに、妙に感心してしまう。ダニエルは辞表までしっかりと用意していて丁寧にオリマーに渡していた。ルーカスも慌てて自分の辞表を出す。店主は手提げ金庫から銀貨を一つずつ数えて出していた。

「わかった。これでいいな」

とんでもない大事であるにも関わらず、驚くほどあっさりと店主は言うといくらかばかりの銀貨をじゃらじゃらと二人に渡す。丁寧に勘定すると、ダニエルは笑顔で頷いた。

「はい、確かに」

「ありがとうございます」

ルーカスも追従してそそくさとお礼を述べた。ダニエルはと言うと既に銀貨をしまっていてもう準備万端だった。

「それじゃあ、短い間ですがお世話になりました!」

爽やかに挨拶して帰ろうとするダニエルに、リカルドから声がかかる。

「お、おい待て……!ルーカスはわかるが何でお前まで辞めるんだ?」

慌てたようなリカルドの声に、ダニエルは足を止めて小首を傾げた。

「え、これ言っていいんですかね……まあ、構わないか」

くるりと従業員たちに向き直ると、ダニエルはいつものように明るい笑顔で何でもないことのように言った。

「いや、僕は小心者なので……二年身を粉にして働いた人に冤罪をかけるような人たちとは一緒に働きたくないんですよ」

ざわり、と従業員たちの間に動揺が走る。皆後ろめたいのだろう。俯く昨日までの仕事仲間に、ダニエルはにこにこと続けた。

「ほら、気分次第で明日にでも人生駄目にされるかもしれないでしょう?真っ平御免です」

そう平然と言ってのけて、リカルドに微笑みかける。

「リカルドさんは流石ですね。そんな危険を冒しても店に尽くされているんですから。尊敬します。僕には絶対出来ませんから」

そう言い切って爽やかに一礼すると、ダニエルは悠然と歩いて店の外に出た。あまりの言動に度肝を抜かれながらも、ルーカスは慌ててダニエルを追いかける。

店の中に取り残された従業員たちは、一様に青ざめていた。

「ダニエルくん……待って下さい、ダニエルくん!」

先に歩いて行ったかと思ったダニエルは、店から出て曲がった途端走り出した。仰天しながら慌てて追い掛けたルーカスは、息を切らしながら必死に呼び掛けた。意外と速い。

少し離れた通りで足を止めて振り返ったダニエルは、思いっ切り笑い出した。ルーカスと違ってあれだけ走って息も切れていない。

「あーすっきりした!」

子供みたいに笑い転げているダニエルに、ルーカスはげんなりした表情を向けた。

「もー何やってるんすか。恨みでも買って仕返しされたら……」

「えー?だって僕、ほんとのこと言っただけだよ?」

何食わぬ顔で首を傾げるダニエルに、ルーカスはがっくりと肩を落とした。あーこの人は……これは今後苦労するなぁ。

ルーカスの表情から苦言を読み取ったのだろう。渋々、といった様子でダニエルが言い訳する。

「僕だって最初は穏便に済まそうと思ってたんだよ?でもさー、ああ訊かれたら答えないのも感じ悪いじゃん」

感じ悪いどころの話じゃなかったんですが……と呆れた目を向けるルーカスにダニエルが言い募る。

「だって……僕のを大事な右腕をあれだけ馬鹿にされたんだもん。ちょっとくらい仕返ししたってバチは当たらないと思うんだけどな

ぁ」

右腕、という言葉ににやけそうになるのをぐっと飲み込む。いかんいかん、ここで甘やかしたら後々もっと無茶するぞこの人。

「バチは当たらなくても、人間に仕返しされますよ。それが一番怖いんすから」

目の前で見てたでしょ?と嗜めると、ダニエルは渋々頷いた。

「うん、ごめん。これからは控えるよ」

そう言って、心配してくれてありがとうとダニエルは笑った。

そんなダニエルの様子に苦笑して矛を納めると。ルーカスは気持ちを切り替えて、重要な事項を確認することにした。

「そう言えばこれから、ダニエルくんはどうする予定なんすか?」

いつもの調子に戻ってダニエルが言う。

「ダニエルでいいよ。これから一蓮托生でしょ。


えーっと、とりあえずあんまりお金なくなっちゃったし店も辞めたからファティスに帰って作戦練ろうかなって思ってる。……あ、僕の実家ファティスなんだ」

そう言いながら、大事なことを思い出したらしい。

「あれ、そう言えばルーカスは実家に今回のこと報告したの?」

ダニエルの言葉にぎくりとルーカスは身を縮ませた。…………考えないようにしてたのになぁ。

「あー……あそこ、うちの実家の取引先なんすよ。辞めたら確実に勘当されるんで、ある意味報告は不要かと」

必要最低限の情報をぼそぼそと呟くと、ダニエルが目を見開いた。

「えっそうなの?!駄目だよ、ご実家にはちゃんとあっちが悪いって報告しとかないと……君がいなくなったらあの店早晩潰れるだろうし……と言うかそれならそうと言ってくれれば無理に誘わなかったよ?」

心配そうな顔で見つめてくるダニエルに、淡々とルーカスは答えた。

「いや、あそこで働くのはもう精神的に無理だったんで」

渡りに船でした、とあっけらかんと言うルーカスに、ダニエルがだよねーと笑う。

「僕もルーカスがいないあの店は無理。君でもってたようなもんだし」

それでよくあんなことしたもんだよ、とダニエルは苦笑した。

「じゃあルーカスは実家に報告してきて。僕は銀行でお金下ろしてくるから。昼にここで集合ね」

ダニエルの言葉に怪訝そうな顔をしてしまったのがわかったのだろう。ルーカスの反応にダニエルがああ、と言いにくそうに目を伏せた。

「えっとその……持ってたお金ほぼ全部、昨日レジに突っ込んじゃったんだよね」

だから今手持ちがほぼ無くて、と気まずそうに笑うダニエルに、ルーカスは唖然とした。

「え、それ俺のせいじゃないっすか!旅費くらい持ちますよ」

「え、でも僕が勝手にしたことだし」

それに手持ちがないと欲しいもの見つけた時に好きに買えないしとあっさりした態度でダニエルは言った。

「だからとにかく、君はちゃんとご実家に報告してきなよ。あの店とはご実家も縁切っておいた方がいいと思うし。で、戻れとか言われなかったらうちに来てくれたら嬉しい」

ファティスの実家だったら何日滞在しても構わないからさ、というダニエルの言葉に、ああ、この人はあったかい家で育ったんだなと何とはなしに思う。


それはそれとして、実家に行くという気の重さに溜め息が出た。ダニエルが心配そうな顔でルーカスを見遣る。

「確かに、この歳になって仕事辞めたとか実家に言いづらいよね……一緒に行く?」

その言葉にダニエルを連れて行く想像を思わずしてしまい、ぶんぶんと首を振った。ないない。あの実家にダニエルを連れて行くのはない。そもそも良い大人が気が重いからと年下の上司を連れて前の仕事辞めましたって実家に言いに行くとか自分が痛すぎる。そう考えて、何だか笑えてきた。何だろう、ああ……気持ちが嬉しいってこういう感じなのか。

「いや、気持ちだけ貰っておきます」

「……ほんとに大丈夫?」

尚も心配そうなダニエルに、ルーカスは小さく笑った。

「はい。今、元気貰ったんで。あと俺も良い大人なんで一人で頑張れます」

そう言われて、ダニエルも笑う。

「そりゃそうだ」

「過保護なんすよ」

まあ実家くらいは踏ん張ってきます、とルーカスが請け合う。

「あはは、了解。じゃあまた昼にね!」

手を上げて言うダニエルに、ルーカスも手を上げて応えた。


「お待たせー!」

「いやどんだけ待たせるんすか」

太陽も中天を過ぎてしばらく経った頃現れたダニエルに、ルーカスが間髪入れず突っ込む。銀行がいくら混み合っていたとしても遅すぎるだろう。

「ごめんごめん、はいお土産」

モックモックのクッキーだよ!と手渡されてルーカスは合点する。

「ああ、ご実家へのお土産買ってたんすか?」

「え、僕とルーカスが食べる用だけど」

そう言いながらまたルーカスの手からお菓子の箱を取り返して綺麗な包装紙をバリバリと開いてしまう。

「はい、待たせたお詫び」

差し出された薄い葉巻型のロールクッキーを受け取りながらルーカスが溜め息を吐く。

「……ほんと何してたんすか」

追及するが、ダニエルは既に自分用のクッキーを開けてサクサクと口に入れている。美味しいのか、顔を綻ばせたあとダニエルはやっと口を開いた。

「菓子折り買って、セタンタでお世話になった人たちに渡して挨拶して来たんだよ」 

急にセタンタ出ることになったからねーと次のクッキーに手を伸ばしている。

「なるほど」

待たされて腹が減ったのでルーカスもクッキーの包みを開けて口に入れる。うわっ何だこれ滅茶苦茶美味い。

「えっこれ滅茶苦茶美味くないすか?」

思わずまじまじとクッキーを見つめるルーカスにダニエルは笑った。

「ね、これ美味しいよねー!挨拶した人たちにも同じの渡したから」

そう言いながら、二人で宿へと歩き始める。

「……ルーカスは、ご実家には報告出来た?」

ダニエルが静かに尋ねる。ルーカスも何でもないことのように話した。

「はい。まあ、予想通り勘当されました」

そうして、気負うことなく笑う。

「これで晴れて自由の身っす」

ルーカスの反応が予想外だったのだろう。ダニエルは瞬きした。

「え、それでいいの?」

「実家嫌いなんすよ」

げんなりした顔で言うルーカスに、ダニエルが思わず噴き出す。

「嫌いとかそう言う問題なんだ」

「そういう問題っす」

きっぱりとルーカスが断言して、ダニエルの方を見た。

「そう言う訳なんで──これから俺は自由に動けるっすよ、会長」

ルーカスが言った呼び名に、ダニエルは緑の瞳をぱちくりとさせた。慌ててルーカスを見上げる。

「えっいや、ルーカスのが仕事出来るしルーカスが商会長じゃないの?!」

「いや、会長が言い出したことなんで責任は取ってもらわないと」

あと俺、今人間不信なので経理や事務以外の仕事したくないですと図々しく言ってみると、ダニエルはえええと困った顔をした。

「客先に出ない商会長なんて仕事にならないでしょう?」

そう畳み掛けると、不承不承と言った様子でダニエルは頷いた。

「うーん、それならしょうがないか……わかったよ、僕が商会長ってことで」

でも、まだまだ勉強不足だから色々教えてよと言うダニエルにやっぱりお人好しだなぁと笑ってしまう。

「会長……そんなんじゃすぐ騙されませんか?」

「え?僕今まで人に騙されたこと一度もないけど」

さらりと答えたダニエルに耳を疑う。

「だって話してたら何となくわかるでしょ。嘘を言ってるかどうかなんて」

当たり前のように言うダニエルに、ルーカスは唖然とした。ダニエルが何気なく続ける。

「あの商店も変な店だったよねぇ……ルーカス以外みんな足を引っ張り合っててさ。店主は表面上はルーカスのこと褒めながら目の上のたんこぶみたいな顔してるし、他の従業員は仕事サボりすぎて教えられないからって適当なやり方教えてくるし」

でも、と笑って続ける。

「ルーカスがとんでもなく仕事出来るし、淡々としてるけど嫌な顔一つせず仕事教えてくれたから此処で勉強してみようって思ったんだよね」

その癖、周りの悪意には無頓着だし。あれだけ仕事押し付けられて文句一つ言わない君の方がお人好しでしょとダニエルは笑った。

あっけらかんと語られる自分が気付けなかった店の裏側に、自分はもしかして商人の才能が無かったのかもしれないとルーカスは愕然とした。ちょっと怠けたいなと思って駄目元で経理や事務だけと言ってみたのだが、適材適所だったかもしれない。

まあそれはともかく、とダニエルが続ける。

「僕は商売で一番大切なことは信頼だと思ってるから。ハッタリとか必要なことは何でもやるけど、最終的には本当にしていく算段で行きたいんだ」

で、それを実現してもらう商会員第一号が君だから、と言い切るダニエルに思わず笑ってしまう。

「え、丸投げっすか?」

「僕だけ大変だなんて不公平だろ?」

ルーカスは根が善良だから、それくらいの方が気を遣わなくて丁度良いでしょとダニエルが笑う。二ヶ月かそこらでそこまで見透かされていることに背筋が冷えた。

「……会長の実家って本当は有名な商店か何かですよね?」

「え?言っただろ、平凡な母子家庭だって」

父親はふらふら旅にばかり出てて小さな頃に死んだからどんな人かよく知らないと言う。……つまりこの人と同じで変な人なのかもしれない。

「まあ、何処までもついて行きますよ」

他に行く宛てもありませんし、と笑うとダニエルが不満そうな顔でぼやく。

「そこはうちの商会が一番条件良いんで、って言ってほしいなぁ」

「じゃあまずその実績を作る所から始めましょうか」

そう発破をかけると、ダニエルが笑った。

「ルーカスの言う通りだ。じゃあ、これからよろしくね」

差し出された手は、思ったよりしっかりしていて温かかった。

「はい。───よろしくお願いします、会長」

初めて、自分で選んだ居場所で新しい人生が始まる。

「じゃあ、次の目的地はファティス!」

笑うダニエルの傍らで、ルーカスは生まれて初めて明日が楽しみだと思った。


「やりやがった、あのダニエルとか言う小僧……!」

雑然とした帳場に、机を殴る鈍い音が響く。ギリギリと歯を食いしばりながら唸っているリカルドには無精髭と濃い隈があり、以前の余裕は見る影もない。

ルーカスとダニエルが辞めてから一週間。バッハ商店は惨憺たる状況に陥っていた。

まず二人が辞めた翌日、リカルドとウォルターの古参を除いた全員が一斉に辞めた。一斉に、である。

皆一様に怯えた顔で「一身上の都合で」と言っていたが確実に前日のダニエルの影響だ。リカルドは必死になって引き留めたが、皆目を泳がせて聞く耳を持たない。

「リカルドさんは流石ですね……」

「尊敬します」

と言うばかりで、リカルドの苛立ちは益々募った。

それからは地獄だった。リカルドもウォルターも古参で、気軽に再就職出来る程若くない。だからこそ店に残ったのだが、そこに大型卸売問屋一店舗分の業務が一気にのし掛かったのである。

ルーカスに自分の業務を譲ってから一年。それから暇をもて余したリカルドとウォルターは賭け事ばかりしていた。今やカード捌きは手元を見なくても出来るが、業務はうろ覚えである。古いメモを引っ張り出しながら必死に帳簿をつけ、伝票を整理するが二人ではとても追い付かない。ルーカスはこれをたった一人でやっていた筈なのに、である。

リカルドは家に帰れず帳場に何泊もした。それでも残務は詰み上がる一方で、店主のオリマーが小言を言いに来る。寝不足と過労に負けそうになりながら、リカルドは何度怒鳴りかけた言葉を飲み込んだことか。うるさい、そんなことを言うなら手伝ってくれと。

店主は、あのルーカスの若造に出来たんだから勤続二十年のお前に出来ない筈ないだろうと当たってくるがとんでもなかった。よくよく調べてみたら、ルーカスは一店舗の仕事を丸々やっていた。以前は十人程で分担していた業務を全部、である。仕事を押し付けたのは一人ではなく全員だったのだ。

前回のやり方を確認しようと帳簿や伝票を見ると、全部がルーカスの筆跡だった。最近のものは恐らくダニエルのものであろう教科書のような筆跡が混じっていたが他は全部ルーカスのものであることに気付くと、リカルドの胆は冷えた。確かに来た当初、計算が異様に早いとは思ったが……あいつ、おかしいくらい有能だ。オリマーは気付いていなかったが、そのルーカスを基準に叱られるこちらの身になったら堪ったものじゃない。


そして。利益の中心となっていた取引先から次々と契約を切る旨の手紙が届き、リカルドは心労で気が狂いそうになった。夢枕商店にヘミングウェイ商会、等々の契約解除を申し出た店舗に慌てて直接向かうが、そこで知ったのはとんでもない事実だった。

「ダニエルくんが菓子折り持って挨拶に来てくれたんだけど、ルーカスくんもダニエルくんもそちらを辞めたんだって?そうしたらもう、バッハ商店さんとお取引する理由はないと判断致しましたので」

お引き取り下さい、と慇懃無礼に言う受付の机の横には王宮近くの人気菓子店の菓子折りの箱が置いてあった。



クソ、クソ、クソ!あのダニエルとか言う小僧、大人しそうな面して滅茶苦茶やりやがった……!

悪態を吐きながら店に戻ると、最後の頼みの綱であるウォルターが泡を吹いて倒れている。一体何があった。過労か?

自分が倒れたい気分だったが、仕方なくオリマーに店を頼み、ウォルターを医者へと連れて行ってから店にとんぼ返りする。

疲れた。

だが、店へと戻ったリカルドを迎えたのは鬼の形相を浮かべた店主オリマーだった。

「お前……売り上げの金貨が二枚足りないが何処にやった」

「へ?」

青天の霹靂である。そもそも、リカルドは今日客対応で外に出ていたので売り上げの詳細を知らなかった。嫌な予感がして店の出口を見遣ると、そろそろとフレディが出かける姿が見えた。──まさか。

「お前が盗んだんだろう、リカルド!」

ウォルターが泡を吹いて失神していた理由を悟る。リカルドは、絶望で目の前が暗くなるのを何処か他人事のように眺めていた。


ふと、店主がリカルドの業務をルーカスにやらせろと言ってきた日を思い出す。昔、リカルドは店で一番重要な業務を任されていることに誇りを持っていた。だから当然新参のルーカスにやらせることを渋ったのだが、店主のオリマーが忌々しそうに言ったのだ。

「あいつはスペンサー商会からの肝いりで雇わざるを得なかった。だが、スペンサー商会に情報を流されると思うと虫酸が走る」

だから、ひたすら仕事をやらせて潰して、『こんなことも出来ないのか』とルーカスの有責で辞めさせたいのだと言う。

そうして、あのプライドの高い店主が自分に頼み込んできたのだ。

「どうにかしてあいつを辞めさせたいんだ、頼むリカルド」

若い頃から知っている、ずっとお世話になってきた店主にそこまで頼み込まれたら頷かざるを得ない。そこから、堕落するのはあっという間だった。

ああ、あの日自分が頷いていなければ。こんなことにはならなかったのかもしれない。

もう、オリマーとリカルドの間にも信頼は存在していなかった。


こうして、バッハ商店は完膚なきまでに潰れたのである。


ルーカスがバッハ商店が潰れたことを知るのは、その一週間後。ダニエルと共に新しい商会を立ち上げる為にセタンタに戻ってきた時のことである。


古巣の惨状など露知らず。過重労働から解放されたルーカスはその頃、無邪気に笑うダニエルと共に新しい夢にわくわくしていた。


ダニエル・ブラウンの創る新しい商会の物語は、ここから始まる。



◆◆◆◆◆


僕はダニエル。ダニエル・ブラウン。ファティス出身の十八歳で、駆け出しの商人をしている。逃げ足はそこそこ速いけど、戦闘はからきしで傭兵は三日で辞めた。一つだけ普通じゃないことがあるとしたら、幼馴染のレオン・ソリッドハードが勇者になったこと。僕自身はごく平凡な一般市民だ。

ブラウン商会シリーズ第1話、読了ありがとうございました。この二人がわくわくするような商売で世界を変えてゆく物語が書けたらと思っています。不定期連載ですが、大好きなキャラクターたちなのでライフワークのように少しずつ大切に書いていく予定です。よろしくお願いします。

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