第4話『売れない絵画』その2
数時間後、ファティスへと向かう馬車の中に、ダニエル、ルーカス両名の姿があった。
ゴトゴトと小石を巻き上げ、上下に揺れながら進む馬車の中で、ダニエルがルーカスへと声を掛ける。
「ルーカス、大丈夫?」
「あー。味わったことのない感覚っすけど、平気っす」
その声は心なしか明るい。その言葉通り、ルーカスはそもそも馬車に乗ること自体が初めてであり、ダニエルとの旅路ということもあって内心でははしゃいでいたのである。
もっとも、同行しているもう一人さえいなければもっと良かったのだろうが。
「そう!前回は話しそびれたんですけどね!この森そのものが広大なコリグの栽培地になってまして……、あ、知ってます?コリグってこの森以外だと全く根付かないらしいんですよ。不思議なもんですよねぇ。土壌自体に森の魔力が溶け込んでるのか、とにかく同じような環境を用意してやってもエルムの森の外だと直ぐに枯れちまうんだそうですよ。あ、これは何もコリグに限った話じゃなくて、それ以外の植物も、果ては土までもが、森から出すと死んじまうんだそうでして。まるでこの森そのものが一つの世界みたいだなって、大昔に大賢者が創り上げた結界だ、なんていう魔法学者までいるくらいで──」
馬車内にて。二人の対岸に座ってひっきりなしに話し続けているのは、お馴染みロッテンマイヤーであった。
何しろこの男、話が長い上に途切れない。騎士団の中でもゴシップに目がないと評判で、知識を得るのが趣味だと変わり者扱いされている男である。雑学を聞くのが大好きなダニエルとはウマが合うのだろうが、ルーカスはとうに辟易として別のことを考えながら聞き流していた。
「へえ。まるで森そのものが巨大な生き物みたいだ」
ああ会長、そんな相手が喜ぶようなこと言っちゃって。向こうは一を聞いたら百で返してくる男ですよ!?
「分かります!?そうなんですよ!森自体が一つの巨大な意思を持ってるんです!いや~、やっぱり会長さんは分かってくれると思ってましたわ!これ周囲に言っても全然分かってくれなくて……。いや、確かに生き物というのは大袈裟な表現かもしれませんが、同じ方向性を持った意識の集合体と考えると決して間違っていないというか……」
ほらぁ話し出しちゃったじゃないすか……。
「つまり、入ってきた獲物を捕らえ、補食する。動物にとっては至極当たり前の行動原理だけど、この森においては植物も同様の行動を取るって訳だ。そしてその食べこぼしは腐って土に溶け、森全体の栄養として還元される。実に利にかなったシステムと言わざるを得ないね」
「おお!それですそれ!」
と思いきや会長までノリノリである。あーあ。とつまらなさを感じたルーカスは横を向いて馬車の背もたれに背を預けていた。
しばらく森の話題で盛り上がっていた二人であったが、そのうちに話題は移っていた。
「それで、今回は馬車ってことは、何か荷運びですかい?商会ですもんね」
「あー。それですか……」
前回は徒歩での護衛だったので気になるところなのだろう。ムッとしながらも口を挟まないルーカスに代わってダニエルが口を開こうとしたその時、先に声を出したのはロッテンマイヤーであった。
「あっ!すみません!護衛任務で相手が話す以上の私情を聞くべきではないと教えられていたんですけど!あちゃあ、ホントすみません。好奇心が抑えきれなくて!」
「あっはは!前にも言いましたけど、ロッテンマイヤーさんのそういう素直なところ嫌いじゃないですよ」
あの様子だと普段から怒られているのだろう。先制で謝罪するロッテンマイヤーにダニエルが微笑む。モンゼランドといい、正直な相手に弱いというのもダニエルの長所であり、また短所でもある。この世界には好奇心猫をも殺すなんて言葉はないが、いつかそれで彼が困るような時が来るのではないかとルーカスは思っていた。そしてそうなった時には自分が何とかしようとも。
「別に隠すようなことでもないですからね」
そんなルーカスの決意など露知らず、朗らかな笑顔を見せながらダニエルは口を開く。
「とある五十年前の絵に隠された真実を探るために、僕らはファティスに向かってるんですよ」
「えっ!?なんですかその滅茶苦茶面白そうな話!?ゴシップ好きとしては聞き逃せないと言うか、根掘り葉掘り聞きたいと言うか」
「あのっすねえ」
いい加減ルーカスが二人に小言を言わんと口を開こうとしたその時、ロッテンマイヤーがピクリと反応した。
「お二人とも、静かに」
「へ?」
一瞬のうちにその目付きが鋭くなり、周囲の気配を窺うようにキョロキョロと小さく動く。急に様子が彼に驚くダニエルとルーカスであったが、言われた通りに口をつぐむ。
直後、御者の悲鳴と共に馬車が急停車した。
「うわあぁぁぁ!か、囲まれてる!!」
ガクン、という衝撃に揺れる馬車内で、始めに動いたのはロッテンマイヤーであった。
「じゃ、ちょっくら行ってきます。お二人は中で待機を」
そう言うが早いか馬車の外へと飛び出していく。ダニエルが窓から外を覗くと、そこに映っていたものは馬車を取り囲むように立つ、深緑の色をした少女のような何かだった。その頭には色とりどりの植物が咲いており、身体には植物の蔓が巻き付けられている。
「魔物だ」
前回の移動時には遭遇しなかった故、ルーカスにとっては初めて目の当たりにする存在でもある。生まれて初めての生の魔物を前にして、ルーカスは自然と身を竦めていた。
「うわぁ魔物だ!植物系のやつは珍しいなぁ」
そんなルーカスとは対称的に、ダニエルは窓から外を眺めて興奮した声を出している。
「ちょ、会長!はしゃいでる場合っすか」
ルーカスは戦々恐々としていた。何せロッテンマイヤーがやられてしまえば、いや、そうでなくとも多勢に無勢で突破されてしまえば、自分たちの命など風前の灯火なのだ。そう考えてしまうと、少なくともダニエルのように無邪気に観察する気になどなれなかった。
もしそんな危険な状況に陥ったなら、自分に何が出来るだろうか。ルーカスは考える。少なくとも、ダニエルを逃がす盾にくらいはなれるだろうか。己は死んでも問題なかろうが、ダニエルの商才が失われてしまうのは世界にとっての損失だ。そして自身は彼に救われた命とあらば、例えダニエルにその気がなかろうと盾になるのは当然のことだ。
そこまでを覚悟してルーカスが顔を上げると、
「おー。終わった!凄かったね!」
もう全部終わっていた。
「────へぇ?」
「お二人とも、とりあえず片付きましたんで、新手が来る前に出発しちまいましょう」
などと言いながら涼しい様子で戻ってくるロッテンマイヤーに、ルーカスは放心したままであった。
「いや~!見事でしたね!並み居る魔物の群れを片っ端からバッタバッタとすれ違い様に斬り結ぶあの手腕!」
「いやあ恐縮ですね~。今回は敵の統率が取れていたので想定外の動きがなくて逆にやりやすかったですよ」
「なるほど。これで逆に彼女らが森の栄養になるという訳ですね」
感心して誉めるダニエルに、いえいえそれが。と手をパタパタ振るロッテンマイヤー。
「魔物は森の養分を吸い上げる癖に、死骸は大抵魔毒が溜まっていて栄養どころか土を腐らせたりするんですよ。森にとっちゃ、百害あって一利なしな存在なんですね。森以外でも魔物が増えると自然が滅茶苦茶にされちまうってんで、騎士や傭兵が積極的に魔物退治を任命されているのは、そういった側面もあるんですよ」
「……なるほどなぁ。思った以上に厄介な存在だったんですね。魔物は」
「そーなんです!この間なんて……」
今しがた戦闘があった等とは微塵も感じさせぬテンションで、先程までと同じように話し始めた二人を眺めて、ルーカスは力が抜けたようにヘナヘナと背もたれにしなだれ掛かるのだった。
◆◆◆◆◆
翌日の夕方、ダニエルたちはファティスへと到着していた。
どうしても森で一泊する必要があったとはいえ、夜間の警護はロッテンマイヤーがバッチリと務め上げてくれたため、馬車はあれ以降さしたるトラブルもなく目的地に到着していた。
「じゃあ、以降うちらはトーマス亭でのんびりさせて頂きますんで。なるべくお帰りになられる前日に声掛け頂けると助かりますね」
そう、必要事項を説明するとロッテンマイヤーは御者を連れてさっさと引き上げていった。
魔王軍との競り合いが膠着状態に陥りつつある今、騎士団も戦争より町間の護衛任務がメインになりつつあるらしい。特にファティス、セタンタ間の護衛任務としてすっかり慣れているロッテンマイヤーは休むことなくこの二ヶ所を往復させられており、気分は最早ツアーガイドなのだとか。ちなみにトーマス亭には納屋もあるので、馬にも安心である。
「さて、行こうか」
二人の背を見送った後で、ダニエルはルーカスに声を掛けた。
「うす。……会長、ちなみにまず何処に行くんすか?」
「え?そりゃ勿論──」
いきなり絵の場所を巡ろう!などという話がそ飛び出すことも覚悟して耳を傾けるルーカスであったが、ダニエルの答えは至ってまともであった。
「うちで母さんに聞くんだよ。この絵について頼れるのは、悔しいけど母さんが一番だ」
苦虫を噛み潰したようにダニエルが言う。悔しいけど、という辺りに彼の親に対する気持ちがよく出ている。相変わらず、母親は苦手なようだ。
「ルーカスも、嫌だろうけど付き合ってもらえる?」
「勝手に反抗期仲間にしないで下さいます?俺は別にローザさんと会うの嫌じゃないんで」
「反抗期!?」
違うというのか。どう見てもダニエルのそれは遅れてやってきた反抗期だろう。
「違うし!」
そんなやり取りをしながら、二人は四ヶ月ぶりにダニエルの実家まで足を運んでいた。
「母さん」
ダニエルがドアをノックしながら呼び掛けると、中から、「えっ!?」と声が聞こえてパタパタと足音が近付いてきた。ドアがそっと開けられ、果たしてそこから顔を覗かせたのは、ダニエルの母親、ローザであった。
「やだ。ホントにダニエルじゃない」
「うん。僕だけど」
「なんで毎度毎度来る前に連絡の一つも入れないの。この子はも~」
困ったようにそう口にしながら、ローザはダニエルの背後に立つルーカスを見掛けると「あら」と口に手を当てていた。
「ルーカス君も来るなら尚更言いなさいよ~!ご飯の用意、私の分しかしてないのに」
「あの、俺宿で食べるんでいっすよ。そんな気を使って頂かな──」
「ダメに決まってるでしょ。もうルーカス君だってうちの子なんだから。ほら、上がって上がって」
ローザに促され、ダニエルとルーカスの二人は(半ば強制的に)家の中へと案内された。
「あの、うちの子って?」
先程の発言が気になってダニエルにそっと尋ねるルーカス。それに対して「ああそれ」とぶっきらぼうにダニエルは呟いた。
「うちのご飯食べた子はもううちの子だからって。母さんの言い分だよ。油断してると家族にされるから気を付けて」
「なんでそんな怪談みたいに言うんすか」
実家と絶望的なまでに折り合いの悪いルーカスからすれば、人の善く愛らしいローザに家族だと言って貰えることに悪い気分はしなかった。こんな母がいながら悪態をついているダニエルを、微笑ましく思う半面羨ましくも思っている。
さて、ダニエルとしてはすぐにでも絵を見せたかったのだが、料理人モードに突入したローザに、「夕飯の後にしなさい」と一蹴されてしまった。曰く、この状態に突入してしまうと相手に満足行くまで飯を食べさせない限り、その他の一切を受け付けないのだとか。
ここでごねた所で満足いく回答を得られないと理解しているダニエルはルーカスと共に大人しく待つことに。
一時間後、夕飯が二人の前にずらりと並べられた。
炒められたニンジン、とうもろこしを加えた葉モノのサラダに、一口大に切られた鶏の香草焼き、皿ごとオーブンで焼いたグラタンのパイ包みに、悠に五人前はあろうかというパンの山。
とてもではないが用意していなかった、と言っていた人が一時間足らずでお出し出来る代物ではない。毎度ながらとんでもない手腕だとルーカスは感心しきりであった。
「母さんは毎度作りすぎなんだって。こんなに食べれないでしょ」
「あら。でもレオン君ならペロリよ?」
「レオンを基準にしないでよ。食欲に関しても並外れてたんだから」
ダニエルの幼馴染みであり、幼少期はよく家に来ていた現勇者レオンは、よく動きよく食べる子供だった。作れば作るだけ食べてくれたのでローザも張り切っていたものだ。しかし今ここにレオンはいない。
「食べきれなかったら勿体ないでしょ」
「そんなことないわよ。育ち盛りなんだから」
「ぐぬぬ」
もう育ち盛りという年齢ではない、と口にし掛けたダニエルだったが、ここで言い合って折角の料理を冷ます方が勿体ない。
「頂きます」
女神アリアに軽く祈りを捧げた後、ダニエルはグラタンを食べ始めた。ルーカスも遅れてダニエルの所作を真似た後、目の前のグラタンへとスプーンを付ける。
それにしても、相変わらず実家でのダニエルは商会の彼とは別人である。食事の所作に気を使っているところもそうだが、母から子供扱いされることを極端に嫌っている節がある。商会での飄々としたやり手の空気はなく、頑張って格好付けようとして空回っているという感じだ。……というか。
「うま……っ!?な、なんすかこれ!?」
「何って、グラタンよ?お口に合わなかった?」
「いやいやいやいや!滅茶苦茶美味いっす!ゴロッと入ってる野菜が焼いてあっていちいち美味いっていうか。野菜の旨味がグラタンに染みててこんなの初めて食べましたよ……!」
「あらあらルーカス君は褒め上手ね!そんなこと言われたらもっと張り切っちゃうんだから。……それに引き換えうちの男ときたら……」
「……なにさ」
「貴方に言ってるの。なによ感想の一つもなく黙々と食べちゃって」
「別にいいでしょ。美味しいとは思ってるよ。でも僕がいちいちルーカスみたいな反応してたら気持ち悪いじゃん」
「そういう所、お父さんにそっくりよ」
「!」
それだけは言われたくなかったのか。青天の霹靂といわんばかりの驚愕の表情を見せた後、ダニエルは青ざめた。
「う、うぐぐぐぐぐ……」
「そんなに似てらっしゃるんすか?」
「そうなのよ。無口……って言ったらまだ聞こえがいいんだけど、思ってることを前々言ってくれない人でね。そのくせ思い立ったら全く悩まずにズバッと動いちゃうのよ。困ったものでしょ?ルーカス君は大丈夫?」
「いえ。会長、商会ではよく話してくれますよ。俺のことも気遣ってくれますし、多分今は照れて」
「ああもう分かったよ!」
自身を差し置いて会話を弾ませている二人に割って入るようにダニエルは大きな声を上げていた。二人の視線が集まる中、今度は顔を紅潮させながら、ダニエルは蚊の鳴くような声で小さく呟いた。
「…………その、美味しいよ。……いつも、ありがと……」
「それでいいのよ」
「ぐうぅぅぅ……」
満足そうなローザとは対称的に、ダニエルはひたすら悔しそうであった。日頃無敵に見える会長の形無しな姿を見て、珍しいもの見たなー。とルーカス。そんなこんなで楽しい夕食会は過ぎていくのだった。
「全っ然楽しくないんだけど!?」
◆◆◆◆◆
「で、話って?」
一息ついたところでローザがダニエルへと声を掛けた。ようやく本題に入れる。と、何故かどっと疲れた様子のダニエルは口を開く。
「ああ。うん。これこれ。この絵を見てほしくてさ」
手伝って貰おうと思ったルーカスは、食べすぎて動けなくなり椅子に座ったまま沈黙している。仕方なくダニエル自身で包みを開くと、三枚の絵を取り出して机へと並べた。
「これ。五十年前に描かれた絵らしいんだけどさ」
「どれどれ……。あら……!」
ファティスに長年住んでいるだけあり、一目見ただけでローザにもピンと来たらしい。
「ファティスの絵じゃない。あらあら、この風車、懐かしいわねぇ……」
風車小屋も湖も、どちらも魔王軍に町が襲われた際に破壊されてしまい、今は存在していない。ダニエルがこの絵に惹かれたのも、そういった事情も込みでのものだ。しかし、今知りたい本題はそこではない。
「こっちの二枚は僕もよく知ってる。けど、この花畑だけは知らないんだ。母さん、何か知らない?」
「花畑……?」
白い大量の花が咲き誇る三枚目の絵を見つめると、ローザは訝し気に眉をひそめた。何か記憶に引っ掛かっている。そんな顔だった。
「何かこう、ここまで出掛かってるんだけど……」
「そっか。ってことは母さんの子供の頃の話かな」
「子供の頃…………、ああっ!それだわ!」
ダニエルの何気ない一言が最後のピースになったらしい。ローザは絵の額をしっかりと持つと、花畑を見つめながら頷いた。
「丘の上の赤花畑よ!一面に咲いた赤い花がまるでカーテンみたいに風に揺れていて、すっごい綺麗だったの。思い出したわぁ」
「え?」
安堵したのも束の間。ダニエルは次の疑問に言葉を挟んだ。
「赤花畑?これは白いけど」
「あ、あら?そうね……?記憶違いだったかしら?」
変ね……。と首を捻るローザは、ややあってぽんと手を打った。
「それなら明日、マギーさんに聞いてみるといいんじゃない?」
「マギーさんって、丘の上に住んでるあのお婆ちゃん?」
「そう。この絵のものかはともかく、私の記憶の花畑はあの丘にあったのよ。昔からあそこに住んでるマギーさんなら何か分かるかもしれない」
「ちぇ。一筋縄じゃいかないか」
しかしローザの言う通り、昔からそこにいるのなら何か知っている可能性は高いだろう。
「ありがと。参考になったよ」
ダニエルは母に礼を言うと、轟沈しているルーカスを引き連れて自室へと引っ込むのだった。
「……すいません。もう食えないっす……」
◆◆◆◆◆
ルード大陸一の飯テロリスト、ローザ。




